5年ぶりの大日向山行き(その二)

頂上は少しの風があるものの、なだらかな山頂部を往き来して東西南北たっぷりの展望をまずは楽しみます。

西の鳥海山は上る途中の尾根ではよく見えますが、頂上ではブナの梢にじゃまされて林の間からしか望めません。しかし、春山特有の雪の頂が光るこの季節は、秋田、岩手、山形の名のあるほかの山々の頂がずらりと目に入ります。

時計回りに鳥海山の右に見えるのは位置からして太平山、そして右に森吉山でしょうか。次に手前によく見えるのは真昼岳や和賀山塊、そして田沢湖・八幡平近辺の山々でしょう。一方、真北にデンと望むのは岩手山。真東には焼石連峰、それから南へ移って東山、栗駒の山々、小安岳、高松岳、山形境の虎毛山や神室山方面もよく見えます。それらと鳥海山の間には薄く真っ白な月山もかろうじて山頂部だけ特徴あるなだらかな山容が望めます。

横手市山内・桑の沢を眼下にして目を少し東へ移せばすぐそこに三又集落が見え、はるか北には岩手県西和賀町・湯田・沢内の集落でしょうか、家並みや道路も視野に入ります。

村側を見下ろせば、真正面に役場とその周囲の家々、やや西の橋場の橋も見えます。私は役場庁舎3階から毎日のように大日向山を望みますが、この日は逆にその山頂から田子内、下田、滝ノ沢の一部方面を眺めたというわけです。

歩き始めからおよそ2時間半近くで頂上着が9時40分。景色眺めをゆっくりしてから役場方面と遠くに月山を望みながら軽食をとりつつ休憩です。

山頂はそんなに暖かくないので長居は無用。郡境の尾根をやや東に向かい、すぐに南へ90度方角を変えていっきに不動沢への下りです。途中、なじみのクマの越冬穴を近くでのぞきましたが出入りした足跡はありません。この日の歩きでは一度もクマの足跡は見えませんでしたから、おそらくまだこの穴のクマもお休み中でしょう。

10年ほど前の春、冬眠を終えてこの穴から出た土の足跡をつけたばかりのクマと出会ったことがありましたが、そのときは穴のそばにイワウチワの花が咲いていました。この日楽しみにしたその花群落はいずこでもまだすべての株が蕾状態でした。

下りのブナ林ではカモシカの姿もチラリと視野に。雪上のあちこちには、カモシカの糞や、昨年豊作だったブナの実の外殻(イガ)が目につきます。

不動沢に下りてからの林道は雪崩の危険箇所がいくつかあります。私の定時制高校時の同級生の女性(当時17歳)を含む滝ノ沢集落の方3名の命を奪った雪崩もこの林道沿いの枝沢で発生しました。それは昭和42年、1967年3月31日午後1時過ぎのことです。

不動沢とその枝沢はそういう危険な箇所でもあり、私は帰りのコースにこの沢下りを選ぶ時は、雪崩がありそうな所は上部を確認してから早足で駆け抜けたり、あるいは雪崩が届きそうもない反対方向の斜面に上がり迂回することもあります。この日は、雪崩危険箇所の一部はすでに沢の上部で雪崩が起きた跡でもあり、そんな状況をみて危険箇所を早歩きで通過しました。

これまでのいずれの大日向山行時よりも10日以上も時期が早かったため、イワウチワの花がまだ観られないだけでなく、野草のなかでは芽出しの早いウドザグ(ハナウドの仲間)やギシギシもやっと芽を出し始めたばかりです。

雪は多くはないですが、なんぼなんでも「山はやはりまだ早い」を感じた春分の日の山行でした。歩き終えたのは午前10時46分。めったになく早いテンポ歩きの大日向山行き、あまりあちこち立ち寄らず最短のコースどりをしたので、スマホの歩数計は1万3900歩程度を刻んだだけでした。

帰途、大橋場バイパスの田子内大橋に車を止め今登ってきた大日向山を振り返りました。眼下の成瀬川には、つがいらしいオシドリやカルガモたちが春の陽を浴びていました。