「今年は、アガキノゴ(サクラシメジ)、豊作」ということで、村の直売所にも早くから顔をみせていたサクラシメジ。わたしのむかう車道すぐそばのナラ林にも、先週末、見事な列がならんでいました。
いつもの年なら15日頃からまっ盛りとなるのに、今年はもう過ぎてしまうほどですから、やはり今年の秋は少し早くきているのでしょう。
過ぎた休日のナラ林には、これぞ自然がつくる「芸術作品」とでも呼びたくなるようなフジミャゴ(シャカシメジ・センボンシメジ)も。こちらも今年の発生環境はよいようで、そばにはマスタケや、ボリュウムあるシトリテデ(ウラベニホテイシメジ)も3本見られました。
キノコにシャカという名をつけたり、ホテイという名をつけたり、地方ではフジミャゴやシトリ(シトリは一人、テデは中年男性という意味がふさわしいのか)などという名をつけたり、それぞれ体を連想させるような名をみなさんよくつけたものです。
▼きのう午後は、雄勝中央病院の運営委員会へ。JA秋田厚生連傘下の雄勝中央病院は、県内9つある厚生連病院として、他県でいえば地域ごとに所在する県立病院と同じ役割を秋田県内で果たしているといってよい病院群のうちのひとつです。
こういう社会ですから、経営の土台をしっかりと固める運営が病院にもとめられることは当然です。必要な効率化や利用者の期待にこたえられる医療施設として常に自己改革がもとめられ、それにむかって懸命な努力をしている結果が毎回の運営委員会で報告されます。
湯沢雄勝地域になくてはならない中核病院としての役割を必死に果たしている姿です。
会議のなかでいつも行き着く大きな課題は、診療科目全体に安定した配置をできるようにするための「医師確保」のこと。これは、個々の努力の範囲を今はこえて国の医療政策全体にわたる課題といえます。
資本の原則や経営という側面からだけみたら、地方の人口過疎地はイコール医療過疎地になってしまいます。これを是正するのが国の医療政策の根本であるはずですが、わが国はそういう大課題を国策としてなしえていないようです。
経営の数字や効率化だけに目をうばわれ過ぎれば医療の本質を私たちは忘れがちになります。県立病院と同じような役割を果たしている厚生連の各病院は、それぞれが「地域になくてはならない県民のための病院」なのだという視点で、常に、国政、県政の医療課題として結びつけ「だとすれば、何が必要なのか」「他県の都道府県立病院体制と比して歴年比較でみてどこがちがうのか」などをよくみることも忘れたくないと私は思います。くりかえしますが、「県立病院」といってもよい病院配置群なのですから。