「初夏なら、まずこの花」と向かったヒツジグサ。7月はじめのその日は、ジュンサイの花としっとりと抱き合うようにして咲いていました。
ツナギ(人刺アブ)の出ないうちの7月23日、盛夏の天正の滝では、久しぶりに童らと水浴びに興じました。
娘たちが栗駒山への山小屋一泊登山をしたとき、「日の出を撮ってほしい!」とカメラを手渡しました。笊森(ざるもり)の避難小屋から撮してもらった雲海と日の出の写真はその時の一枚です。この日は、焼石の日の出も「よかっただろうなァ」と思いました。今年は予定した日が天気に恵まれずあきらめましたが、来年は焼石の「寅年のご来光」を拝むつもりで計画しています。
初秋となれば、ブナの森深山へ一度は必ずむかうトビダゲ(トンビマイタケ)採り。今年は発生量が極端に悪く、ほれぼれするような若くて大きな株とは出会えませんでした。一方で、同じ時期に顔を出すナラトビ(オオミヤマトンビマイタケ)は例年どおりの姿を7月末から8月初旬にかけて何度もみせてくれ、軟らかな肉のような味を何度も楽しみました。豪雪の冬を象徴するように、谷にはこの時期でも雪が残っていました。こんなこともめずらしいことです。
8月12日には、パラリンピックの採火式が村でも椿川のまるごと自然館前で行われました。
9月、田んぼの穫りいれとキノコの季節の本格的なはじまりです。童たちがみんなそろっての稲刈り作業も、あとは出来なくなるでしょう。年長の童らが成長し、ほかの様々な行事や「やりたいこと、やらなければならないこと」のほうに心と体がむくからです。
紅葉の季節をむかえたのに焼石には行けませんでした。車で手軽にむかえる深山池塘の草紅葉から、いずくらの崖紅葉だけは今年も記録しておきました。
9月から10月にかけてはキノコたちのもっともにぎやかな季節。私の心もワクワクする季節です。里山からブナとミズナラの森深山にかけて、今年も元気で山入りすることができ、いつものミズナラ、いつものブナでたくさんのキノコたちと出会えました。今年は、全体としてキノコは不作の年で、サモダシやマイタケ、シシタケ、ホンシメジなどは例年よりかなり少なめの発生でした。なぜなのか、センボンシメジだけはずいぶん多く見られた年でもありました。菌類にもいろいろとご都合があるのですね。9月末には、クマが野で倒れて死んだ後の白骨ともご対面。我が家田んぼすぐそばでのことでした。ほかの動物たちとちがい、クマが自然の状態で原野に死体を見せるのは極めてめずらしいこと。夏頃に、このクマの命が奪われる何かの出来事があったようです。病か、事故か、老衰か、死に至った原因も、写真のようにこうして死体を見せることになった理由もナゾです。
11月下旬には町村議会議長会と豪雪議長会の全国大会へ。新型コロナ禍で開催がどうなるかと思いましたが、各都道府県会長会の役員だけ参加という人数制限で大会は予定通り開催。県議長会の会長として、また全国豪雪議長会の副会長として新たな体験をいろいろとさせていただいた年でした。コロナ禍の都内入りなので、帰宅したら抗原検査キットではじめての自己検査。陰性でホッとしたことも今年の特徴ある体験でした。
今年もやっぱりお終いはキノコです。根雪が比較的遅くなったので、12月はじめまで新鮮なおいしいエノキタケやナメコをいただくことができました。
きのう27日は、今年はじめての屋根の雪下ろし。風下で雪が多く溜まるほんの一部だけの作業でしたが、「ほんとうの冬到来」を屋根にあがって再度感じたところです。
▼一年をふりかえってみれば、昨年と同じように会議や行事、要望活動などへの参加・出席が極端に少なくなっていることに気づきます。手帳も、いったん予定した日程に横線が2本引かれ「中止」の二字が随所に書き込まれています。何から何まで新型コロナによるものです。
そんななかで動き続けた私の一年の、そのほぼあらましを今年もお知らせしてきました。読み直しをしないで載せてしまい、悪文、迷文、珍文、誤字・脱字に後で気づき、おおよそは直したつもりですが、こうして1年をふり返ってみればまだまだ「校正」の必要なところがいっぱいあります。でも、まずはそのままにしておきます。
「個人ではなく公式ホームページでのブログ」ということをしっかりと頭におき、ひきつづき来年も「天地人」の心で、山里の自然、村のこと、人々のことをお伝えしたいと思います。1年間のおつきあいに感謝を申し上げます。よいお年をお迎えください。