思い出深きヤビツグラウンドの今

村内全体の4つの小学校と一つの中学校(分校)が一同に会しての五校運動会など、当時を知る村民ならいろんな思い出がつまっているヤビツ(※矢櫃)グラウンド。

地元岩井川でも、小学校と中学分校(昭和48年からは分校ではなく校舎となった)の運動会や集落こぞっての住民運動会で人々の心に深く刻まれているグラウンドです。

グラウンドは廃止されて久しく、その土地は高台にあって位置の上から電波通信の中継地点として最適な箇所とされ、携帯電話やラジオ、防災用無線施設などで次々と鉄塔が建設されました。施設以外の地面には雑草が生い茂り、アカマツなど樹木もみられるようになっています。

1枚目の写真は西側100㍍走のスタート地点。2枚目は東側200㍍走のスタート地点、3枚目は東側ゴール方面、4枚目はグラウンドへの当時の入り口車道側で、手倉・椿川・大柳方面と成瀬川を見下ろした南方です。秋の5校運動会では、それぞれの地区からグラウンドまで遠い距離を歩いて矢櫃まで往き来したのでした。(地区によって、時によって選手などは別だったのかな?)

それぞれの地区の鉢巻きと旗の色は、大柳・桧山は黄色、椿台は白、岩井川は赤、田子内は緑。4色が集う真剣な競い合いはほんとにすごいものでした。運動が得意な方もそうでない方も、あの赤土のグラウンド、そして乾いたのどをうるおした林の中の水場や、時にはオオヘゲ(大堰・現在の遠藤堰)の水を汲み飲んだ、昭和の時代がなつかしいですね。みなさんには、ここのグラウンドでのどんな思い出が濃くのこっていますか。

※矢櫃(旧石器時代後期のグレーバー・彫刻刃類の出土がある。新石器時代の遺跡もあり、後三年合戦の際の義家・清衡連合軍と家衡軍の弓矢戦で矢を入れる容器・櫃にともなう伝説の地でもある。)

▼真夏、ユリ科の仲間たちが花の世界を豊かにしてくれます。早春に甘くおいしい山菜としていただいたカンゾウも、ヤマユリとともに猛暑日のなかで次々と花を開き始めています。