「歴史の道百選」仙北街道の保全で朗報

昨年、「歴史の道百選」にならんだ仙北街道。その選定を祝う会が奥州市側からも出席いただき村で開催されたことはこのコーナーでもご紹介しました。

そういう動きのなかで、今年の3月に街道に関係する「胆沢古道の会」が発足し活動を開始しているという情報に触れました。なんとうれしいことでしょうか。

この歴史の道は延暦21年(802年)にひらかれたという古道で、藩政時代の終わりまで奥羽山脈を越えて往来する交通の要衝としての役割を果たしました。(村ホームページ・村の教育施設・まるごと自然館・仙北街道の欄参照を)

廃藩置県以後、ほかの交通機関の発達とともに要衝としての役割はなくなり、それでも「明治15年(1882年)頃までは栄えた(村郷土誌記)」という古道はやがて一部から荒れはじめ、大正時代にはわずかの踏査交流があったようですが、以後全体を通じての通行はまったく出来なくなりました。100年ほどの間荒れていたその道を復元させようと最初にとりくんだのが岩手県胆沢町愛宕公民館踏査隊のみなさんで、それは平成2年(1990年)10月21~22日のことだったようです。(このことは現地踏査の際のパンフレットにも記されています。)翌年にはそれに呼応して村側からの踏査活動も始められました。

以後、胆沢と東成瀬村のそれぞれに公民館活動と一体の「街道を考える会」が組織され、古道の踏査と復元が本格化。その組織を軸に行政と連携しての古道復元・整備、交流が継続してはかられました。双方のその長年の努力が「歴史の道百選」選定に結びついたといえます。

ところが、何年か前に胆沢側の「考える会」が事情あって解散されたため、毎年刈り払いなどをふくめ整備にあたってきた作業が進められなくなり、東成瀬村側の古道は引き続きよく整備されていましたが、平成29年度以降、胆沢側のとりわけ古道の中心部は年々荒れが進んできていました。

「古道の維持のためには、岩手側の以前のようなとりくみがどうしても欠かせない」ということで、村側でもつよくそれを望み期待していたところ、前述のように新たに「胆沢古道の会」が発足したというのです。村側にとっても、いちばん強くのぞんでいたかたちでの朗報が届いたのですから、みんなとても喜んでいます。「これで、安心して、また古道がまもり続けられる」ということなのですから、その期待と喜びは大きいのです。

岩手側では、雪解けを待ったのでしょう、早速5月25日に現地調査を実施したようで、今後も中心部もふくめ状況調査も行うらしく、今年度の保全活動も計画されているようです。

今年も、例年どおり諸々の仙北街道踏査活動が行われる計画です。新型コロナ禍の関係で今後も予期しない制約等が生じるかもしれませんが、それぞれの組織が連絡をとりあいながら踏査の具体化がなされるようです。必要な情報は村のホームページや村教育委員会などからお取り寄せ願います。

(写真の左中程に遠く見えるのが、焼石岳頂上から望む仙北街道方面の尾根と山並みです。)

▼15日から村の国有林(須川高原)に入山(タケノコ採りでしょうか?)した山形市の男性(72歳)が遭難したとみられ、地上や空からなどをふくめ捜索活動が行われていました。今朝までまだ行方はわからず、今日は遭難救助隊の規模をひろげて捜索が続けられます。

昨夕に遭難救助への出動要請がありましたが、今日は議会の最終日と重なり参加は無理なことを伝えました。ヘリからの捜索でも発見されないということですから、遭難された方は視界が樹木に遮られる場所などに居る可能性が高く、こういう場合は地上からの捜索が大きなカギをにぎります。なんとか、無事で早く発見されることを願うばかりです。