温故知新、先人の歩みを知る議事録

今年は、村創立130周年を祝う年でした。

そうしたこともあって、村の歴史をたどることへの関心が深くなり、私が座右の書としている「村郷土誌」をひらく機会がいつもの年よりずいぶんと多くなった年でした。

なかでも、東成瀬村として出発した明治なかば頃と、終戦の昭和20年を前後する頃の議会と村の様子、とりわけ新憲法に地方自治がもり込まれたもとで「新制の村・新制の村議会」として出発した昭和22年5月の初議会当時の様子には私の関心が集中します。加えて、昭和の市町村合併があった昭和30年代はじめ頃の村と議会のうごきを記した頁にも目通しがどうしても多くなります。

創立時の村の様子をさらにくわしく知るひとつの大切な資料は、いつかもここで記しましたが「議会の会議録」です。市町村制によって田子内村、岩井川村、椿川村が合併して東成瀬村が誕生した明治22年の議会の議事録らしきものは見あたらず、議会の記録として確かめられる最初の会議録は明治24年の「村會議事録」です。最初の5枚の写真は、その表紙と中味の一部です。

次に載せた中の5枚の写真は、戦後すぐ昭和21年の「議事録」です。まだ旧制度のもとで村長と議長を同じ人物が兼ねていた当時の議会の記録です。

終わりの2枚の写真は戦後の昭和22年、新しい憲法のもとで自治の方針をかかげ再出発した時の初村議会の記録です。新公選法のもとで選ばれた議員22名によって新たな議会を構成し、5月10日に開かれた選挙後の初議会で新体制を決めた様子がわかります。

当時の議事録はすべて手書きであり、したがって歴史をさかのぼるほどに記述は極端ともとれる要点筆記です。現在のような録音機器による一言も漏らさずの全発言記録ではないので、交わされた議論から議決の経緯をくわしく知ることはできません。でも、村の政治史をめぐる激動期の様子、あるいは時々の最大課題について、村と議会、村民がどうむきあったかのおおよそは、要点書きの重厚な一字一字、一行一行からうかがうことができます。議論の経緯がほとんど記されず、結論・議決だけの記録も多いのですが。

いずれ、これらの「議事録」や付随する重要な会議の記録は村の歴史がつまっている大切な宝ものです。議事録そのものの保全もふくめ、保存管理に特別な視点をむけなければと、ここ数年考えているところです。その一環として数年前にはとりあえず「村議会だより」の縮刷版が発行されてはいますが、肝心カナメ、議事録の完全保存にも意をそそぐ必要があると考える昨今です。