仙北街道「歴史の道百選」を祝う会

今年、文化庁の「歴史の道百選」に選ばれた仙北街道。その選定顕彰を記念しての「祝う会」が、21日、ホテルブランを会場に開かれました。

仙北街道は、歴史に残る文献では平安時代(前九年の合戦以前)からの古道として伝えられる陸奥と出羽を結んできた文字通りの歴史の道。津軽の藩主や、蓑虫山人も通り、また奥州水沢の偉人・高野長英も通ったのではないかと語られる話題多き道でもあります。

さらに、源義経が弁慶とともに日本海側を経て平泉に逃れ来るときにも、おそらく通ったであろうと識者たちにも類推されたロマン深き古道でもあります。なにしろ街道は、東成瀬村側からの山越えを終えてすぐの衣川を経て、平泉はもう目と鼻の先なのですから。

古道は、幕藩体制までは街道としての役割を果たしていましたが、交通機関の発達とともに利用は敬遠され、やがて県境の核心部はごく一部をのぞきほぼ廃道となっていました。

それが、岩手の旧胆沢町とわが東成瀬村の両公民館、両町村民の有志たちの努力で復元され、来年は「復元30周年」をむかえることになります。その記念すべき節目を前に、熊野参詣道や高野山参詣道、旧箱根街道などとならぶ「歴史の道百選」の仲間入りをすることになったものです。

「祝う会」には、奥州市胆沢愛宕地区センター長をはじめとする奥州市の方々4氏も出席。奥州市教育長のお祝いメッセージのご紹介もあり、みなさんは、村の関係者、「仙北道を考える会」の会員さんたちとともに懇談を深め合いました。お互いに、古道を復元させて以後の交流や街道歩きの過去を振り返り、歴史の道の今後の保存(奥州市側の系統的な保全策が喫緊の課題)と活用の大切さを熱く語り合いました。

今回百選に選定されたのは仙北街道のうちの山越え部分の全長約24㌔㍍。その核心部の秋田側県境の十里峠から岩手側の大胡桃山までのほぼ10㌔区間のほとんどは千古斧の入らぬブナを主とした林で、世界遺産の知床や白神山地、屋久島などとならぶ森林生態系保護地域(核心部はその保存地区)でもあります。

この森は、昭和30年代からの国有林伐採急加速となった国策のなか、栗駒国定公園の範囲でなかったにもかかわらずめずらしく人の手が入らなかった地域です。材としては最高級の質をもつ大径の天然広葉樹の森であったのに、搬出が容易にはできない渓谷条件や、環境という面から森林の役割が見直される世論と政策が深まるなか、伐り遅れたためにかろうじて残った森ともいえます。東北日本内陸部豪雪地帯固有の見事な原生林が奥羽脊梁の広大な地域にそのまま残されている、そこの核心部を歴史の道は通っているのです。

春、夏、秋、冬といずれの季節も魅力にあふれる原始の林と渓流の瀬音心地よき森の街道。とりわけ眺望のきく4月半ばからの雪上歩きでは、私の大好きなコースのひとつです。栗駒連山や東山、焼石連峰を左右前方すべてにしばらく望みながらの素敵な尾根歩き、時には街道から逸れてのブナ林歩き、沢筋歩きができるところなのです。「来春には、ぜひ雪上歩きで、00まで」と、山仲間のFさん(街道復元に尽力した中心の一人)や会員の方々と懇談の席で語り合ったところです。