戦傷病没者追悼式

戦後77年をむかえる村の戦傷病没者追悼式がきのう役場防災センターで行われました。

新型コロナ感染症のため過去2年間は式典が挙行できずで、実に3年ぶりの追悼式典となりました。ただし、今年も開催はできたもののコロナ禍中にあり、連休明けには変異株が新たな拡大をみせるなかでの式となりました。このため来賓の案内枠も極力縮小され、議会もいつもは全員へ案内をいただいていたのですが今年は私一人だけの出席となりました。

式典では以下のような内容で追悼の言葉を申し上げました。

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追悼のことば

令和四年度の東成瀬村戦傷病没者追悼式がこのように厳粛に執り行われるにあたりまして、先の大戦禍で尊い命を犠牲にされた皆様のご冥福を心からお祈りし、つつしんで追悼の意を表します。

まずもって、世界規模の新型コロナ感染症禍にあり、昨年、一昨年と2年続けてこの場での追悼がかなわなかったことをお許しください。

さて、村は、昨年に続いて豪雪対策本部が設置された冬が過ぎ、例年よりやや雪解けの遅い春となりました。それでも5月の村は、たちまちのうちに厚い雪も消え、皆様が心をときめかせたでしょう萌葱の緑と花々に彩られ、成瀬川の雪しろの流れは躍動の息吹にあふれております。

ですが、世情は、皆様も戦地で命を奪われあるいは苦しめられたでしょう、あの感染症、その新たなコロナウィルスにより、世界もわが国もこの病魔と向き合う日々となっております。それに加えて、2月にはロシアによるウクライナへの軍事侵略が本格化され、多くの人々の命が無差別に奪われるという最悪の惨事が今なお続いております。

村議会はいち早くこの侵略を非難する決議をあげましたが、ウクライナでおきている人々の悲惨な現実を目にしますと、人生これからという尊い命が戦争のため残酷に奪われたあの大戦時における皆様の無念の思いと重なり、私は言葉に詰まります。

戦争はこのように自然災害とちがい、政治指導者の誤りによって命が奪われる行為であります。それを教訓として、皆様の尊い命の犠牲の下に築かれた歴史から私たちは学び、国の誤りを二度と繰り返さない誓いをもって祖国は平和憲法をもち、戦後の日本と村が築かれてきました。

戦争という最大の人災も、大地震など最大の自然災害も、年月をながく経るなかで体験が風化し悲惨な歴史が忘れられやすいといわれます。今日のこの追悼式は、皆様への深い哀悼のまことをあらわす場であります。あわせて、戦争許すまじ、戦争の事実を風化させずに伝え残さなければというわれわれの強い誓いの場ともしたいと思います。

結びに、村議会は、平和な村と国づくりのためになおいっそう努力することをここにお約束し、御霊の安らかならんことと、ご遺族の皆様のご健勝を心から願いまして追悼の言葉とさせていただきます。
令和4年5月11日 東成瀬村議会 議長 冨田義行

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