「ああ、ええなぁ!この景色」(その1)

先日、早めの決済を役場で済ませた後、急ぎ支度をしてそのまま雪山へ向かいました。

朝、県境の尾根筋をみたら、ブナの木々が白く輝いています。「陽射しもあるようだから、きっといい景色が眺められるはず。こんな日はそうはない」と意を決しての行動です。

「意を決する」などというと大げさともなりますが、若いときとちがってやや遠い雪山行きは、これはいまの私にとっては少々「決断」のいること。若いときなら、厳冬の雪深い季節でも、一人カンジキ履きでハデ(深い雪)をこぎ、馬場にあった畜産管理センターから県境大森山や三界山の裾に向かったり、焼石沼近くまで上り胆沢川筋を下ったり、やはり県境・明通沢のカッチ(最上流部)に向かったりしたものですが、さすがに60歳代も後半になるとガタがきた足と腰に不安を覚え、一人の雪山遠出は「行けるかな? ムリかな?」と、行動を決めるまでかなりの思案をするようになったからです。

しかし、この日の県境尾根筋の輝きは私のそんな不安をしのぐ魅力にあふれていて、その魅力に誘われるように、カンジキとカメラを手に車をスキー場に走らせました。

歩き開始は一番手前のゲレンデ駐車場から8時半少し前。この日は営業していない一部リフトのそのゲレンデをまずはカンジキを履かずに一直線で上りです。最初から急登なので、これはなかなかこたえました。リフトの最高降り場地点到達まで1時間近くを要しました。

途中、これから開催される大会準備などにむけて、スキー場従業員の方がポールの束をどっしりと肩にして勢いよく格好良い滑りで下ってきました。「準備をする方々は、こういう滑りもできないといけないんだな」と、その見事な滑りとお仕事ぶりに感心しながら「ごくろうさん」とごあいさつ。リフト終点の管理室にいる従業員の方にも「ごくろうさん」とごあいさつをして、さあカンジキ履きでの歩き開始です。

真冬とちがいこの日は、厚い堅めの雪の上に、新雪は前夜に降った少しがあるだけ。それほど足が沈まず歩きは楽なほうです。まずは、見晴らしのよい場から沼又沢全体を望みます。予報は晴れなのに、この場から頂上の一部がのぞめるサンサゲェ(三界山)、権四郎(権四郎森・南本内岳)、南の森など焼石連峰はまだ雲にほとんど覆われています。

県境到着は10時を少し回る頃。晴れ空にしては気温が上がらず。おかげで前夜の降雪でブナに着いた雪が凍ったまま、あるいは半ば凍った状態で保たれ、朝に自宅からながめて期待したとおりの景色をたっぷりとのぞむことができました。今日は、とりあえず、その景色の一部を切りとってご紹介です。ブナの原生林は、千古斧の入らぬ胆沢川源流岩ノ目沢北側の支流にあたる沢筋です。最近の雪山行では私がもっとも多く通う沢と林です。

▼この日は堅めの雪に新雪が少し積もり、いくつかの斜面で小規模のワス(表層雪崩)が発生していました(ウルヰの畜舎そばでも)。雨天続きのヒラ(底雪崩)にも要注意です。

雪穴方式の消火栓維持

豪雪の村では、防火水槽や消火栓など雪に覆われてしまう消防設備をいつでも供用できるよう、雪から出しておくというつとめがあります。

コンクリート枠の防火水槽は、除雪機械が出動する度に機械力で雪が寄せられますが、消火栓の機械除雪はムリ。そのため、消防分署員を主にして、消防団、時には近場の地域住民の手なども借りて、ひと冬のうちに、何度も何度も人力で消火栓の雪が除けられます。

その何度も何度もが結構手間取るしごとなので、消火栓の背丈をはるかに上回る積雪になると「雪穴方式」に除雪をきりかえた方が楽になります。雪をすべて除けるよりも、「かまくら」のように正面の穴だけ掘れば雪寄せでは手間が省け、消火栓もすばやく作動させることができるのです。

村では、数多くあった簡易水道施設の更新統合をすすめ、すでに大字田子内と椿川の両地区は設備が完成し、残るは今年からはじまる岩井川のみ。この施設整備にあわせて、従来より背丈がはるかに高い消火栓が更新設置されていますから、村内で「雪穴方式」の消火栓がみられるのもあと3~4年ほどでしょうか。

ただ、今冬の豪雪では、その背高のっぽ消火栓も雪に隠れているところがみられました。これはこれで背丈が高いだけに、穴を掘るのも中途半端で「雪穴方式」にもなかなか適さずの様子とお見受け。豪雪の土地では、すべてにおいて、簡単にものごとの解決がつかないことがいっぱいあります。

消火栓をまもってきた「かまくら」が形をだいぶ崩してきました。その姿からも「冬は終わりだな」を雪国人は感じます。

くらしをささえるヘギ(堰・用水路)

各集落で積雪2㍍~3㍍超えを記録した豪雪の村とはいえ、空の様子、雪の色(積もった雪にも降る雪にも)、吹く風、木々の色、それに時折の陽射しにと、もう3月、雪国人は「春近し」をとらえはじめています。

豪雪の村の人々が冬を越すうえで最も頼りにするのはヘギ(堰・用水路)。

わが集落にある遠藤堰(エンドウゼギ)もそのひとつ。今冬は、村の山々に適度な間隔で降雨もあったためか、各河川の水量も2月のもっとも水量減となる季節でも安定した流れが保たれ、ヘギにも十分な水量が引かれました。

おかげで、豪雪であったにもかかわらず、わが集落では「流雪溝などに水が足りない」という苦情もほとんど聞かれずに冬を越すことができました。

ヘギは冬の役割をまずは果たし、5月にはたんぼへの用水としてまた大切なつとめに入ります。ヘギにかぶさる雪もまわりの雪も、あと1ヶ月と少しですべて消えてしまいます。解けない冬はない、自然の力って、ほんとに大きいものですね。

 

少しずつ春の装いが

あっという間に3月ももう6日。集落のまわりに春のヒラ(底雪崩)がみられ始め、流れが春色に変わり始めた小川の岸辺にはネコヤナギがほころびはじめています。

小川にかぶさる雪の量も今年はなみはずれて多く、普通の年は越え渡れなかった流れの箇所でも、「雪の橋」が随所にできていて簡単に渡ることができます。冬の流れが解かれ勢いを増し始めた成瀬川の岸辺も、雪の背丈が多し。

この流れをうむ深山の雪の量も今年はたっぷりで、雪崩の規模も例年より大きいはずです。春山登山や釣りでの渓谷越えのときも、今年は雪崩でできる「雪の橋」が大きくのこるとみられますから、川越えも案外たやすくできるでしょう。

コミュニティの文化祭

毎年3月の第一日曜日とその前夜は、地元岩井川部落のコミュニティ文化祭とそれにちなむ行事が行われます。この両日は、恒例のジュネスカップスキー大会も好天のもとで円滑に行われ、村内の子供たちが大活躍されたようです。

3~4日両日ともにまことに穏やかで春近しを感じさせる天気となりました。豪雪との難儀な向き合いもそろそろ終わりと感じていますから、地区住民たちは比較的ゆったりした気分で第41回目を数えるコミュニティ文化の祭り(手作りの様々な作品、写真、書、歌、踊り、演奏、ごちそうなど)を楽しんでいるように見えました。

私の同級生には、写真や工芸、手芸作品などに優れた技をもつ方々が幾人かおられますが、きのうも、見事な作品がいくつか展示されていました。展示こそされていないものの、ほかにもすばらしい作品をつくっている方がおられて、きのうはそうした秀でた手芸の技をもつ同級生のあるお一人に「オメ(あなた)も、だへよ(出展を)」と呼びかけました。

小中学校のわが同級生は40人と少し。部落に住んでいるのはそのうちの3分の1ほどですが、同級生の範囲でみてもこうですから、約200戸の部落全体の年齢層だと、まだまだたくさんの「出展していない優れた業人」がおられます。それぞれ声かけあって、さらに多くの作品がだされてほしいものですね。

猛烈な荒れ

今から67年前の2月末から3月初めにかけての家族の様子を記した祖父の日記には、「2月23日、ヤナギ沢杉切リ ガン四九羽飛ンデ行 西北ニ」、「2月26日、コヘヅカホリ」「2月27日、ヤナギ沢杉出シ 山ヨリ炭下ゲ コエヒキ」、「2月28日、夜 東南大雨風」「3月1日、東南雨風、大水 橋オチル」などと記されています。

67年前のこの時期も、北へ帰り始めた雁の群れが早くも目にとまり始め、発達した低気圧により南東の風雨が吹き荒れ、堆肥穴掘りや堆肥のソリ引きが始まり、山では杉の伐倒とソリでの運び出しと、自然にも人の動きにも春の気配濃くなっていたことがわかります。

67年前の、その大水で橋が落ちるような時の朝「九時半に産する 長之ババタノム」と娘(私の母)のことを記している祖父。それを時々読むこちらは「オレは、大荒れの日の朝に生まれたのか。とりあげてもらったのは、地元上野の、長之ばあさんだったのか」とその日のことを知ることができています。

それから67年後のきのうの村も、ちょうど同じように南東の風雨となり、各地の積雪が緩みました。そのため朝から村はパトロールを強めるなど特別の態勢をとり警戒にあたりました。自然の緩みを雨にも雪にも感ずる3月。高校の卒業式もはじまり、体も心も春近しをしっかりととらえはじめています。

我が家前の成瀬川も、おだやかでしばれる真冬の流れが解かれ、今年初めての増水を見せました。

そうして迎えた夜、アマゲェシ(雨返し)の「爆弾低気圧」がやはりやってきました。台風一過などといいますが、この春先の低気圧は、村にとっては大型で強い台風並みで、台風よりも吹き荒れる時間が長いと思われ、その分恐怖の時間も長く続きます。

南極のブリザードとはほぼこういうものなのでしょうか。深夜から早暁、そして夜があけても、ものすごい吹雪が荒れ狂っています。台風は風が見えませんが、吹雪とともに荒れ狂う低気圧は白魔ともいえる風の形相がそのまま見えるだけに、すさまじさに怯んでしまいます。

その強風のためでしょう短時間停電もあり、家は軋みの音をたて続けています。「大きな被害がなければよいが」と、今日から始まる議会の最終備えの仕事部屋で、魔のように吹き荒れる音を聞きながらパソコンのキーをたたきました。

豪雪の里山、ブナとミズナラの森で

雪の村にあって、もっとも雪の多い過ぎた2月末の里山です。

里山といっても、我が家の前も後ろもそこはブナやミズナラの林。春の山菜から秋のキノコ、四季を通じて鳥や生きものたちとの楽しい出会いが待っているところです。

さて、目にかなりの老化があらわれている当方ですが、それら森に棲む生きものたちを見つける眼力だけはまだよくはたらくようです。

豪雪の今年、白一面の世界の里山で、その眼力は真っ白なノウサギに注がれます。最初の写真のノウサギは夜間の行動を終えて柴木の下に穴を堀り、日中は穴口に伏せて休んでいたノウサギ。穴を掘るのは、タカなど猛禽類に襲われた時に隠れるためだと思われます。

 

 

 

 

このノウサギが動いた夜間は降雪があり、雪が止んだ後の足跡がよくわかります。夜の食事活動を終えたノウサギが日中に休む時は、キツネやテンなど地上に棲む天敵から身をまもるために「忍びの者」のような特徴的な足跡をつけます。それだけに、足跡を臭いで追跡するキツネやテンと違い、視認でたどるヒトの目はごまかせません。それどころか、雪上ではその特徴的な足跡が、逆に自分の存在を知らせてしまう証となってしまいます。

夜の動きを終え「さて、休もうか」となったノウサギの足跡は、まず歩幅が狭くなり、後ろ足がやや広めに踏まれ、急に方向を転回して一度踏み進んだ自分の足跡をそっくりそのまま戻り踏みをします。わが集落のマタギはこれを「モドリ」踏んだといいます。

「モドリ足跡」の次には突然ほぼ90度の角度で大きく横っ跳びをします。やはりマタギはこれを「トッパネ・跳っ跳ね」と呼んできました。「トッパネ」の後にはさらに何度も角度を変えた踏み跡(これをカギ跡という)をつけ、雪穴ができやすい柴木根元や低木根元のネグラに至るのです。同じノウサギでも警戒心のとくに強い個体は、これらを何べんも繰り返すことがあります。クマも、穴入りの時はさらに手の込んだ警戒行動をとります。

お天気の関係で、今回の写真は足跡がよくわかりませんが、「モドリ跡」、「トッパネ跡」そしてこちらを発見して伏せているノウサギ、そのノウサギが休んでいた伏せ穴、逃げるノウサギ(ボケ写真)です。尾根でカモシカの休んでいた伏せ床跡もおまけに。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

穴口に伏せている二匹目のノウサギは、雪上の足跡などまったくわからない場所を歩いていて、「眼力」で目に入った別のノウサギです。30㍍ほど離れた柴木の下にポツンと黒が見えます。「おかしいな?」と思ったらやはりそれはノウサギの目玉。

ノウサギと出会う、群境の尾根で集落を見下ろすなじみのブナの林を通る、私の雪の里山ブナの森歩きは「あと何年できるかな?」この頃はそんなことを頭におきながら、雪上にカンジキ跡をつけています。今日から67歳をスタート、68歳にむかいます。

3月定例会議にむけ全員協議会

平成30年度当初予算案をはじめ、3月定例会議に提出が予定されている議案説明の全員協議会がきのう開かれました。

これに先立ち開かれた議会運営委員会では、3月定例会議の日程を3月2日~20日までとし、一般質問は9日に行うこととしました。また予算特別委員会は12、13の両日に開催されます。

今年は5月に村長選挙をひかえているため、村一般会計の当初予算案は歳入歳出それぞれ32億2千万円(前年当初予算比▲2億8千万円▲8.0㌫)の骨格予算案としてしめされました。

議会事務局提供
議会事務局提供

ありがたくない訪問者

築40年以上になる我が家は、こちらの体と同じであちこちにガタが目立ち始めています。

屋根の軒天もそのひとつで、外側からボロが目についていたのですが、実は、その弱り目のところを狙って訪れるありがたくない訪問者がいて、あきれはてています。

困りものの訪問者はキツツキの仲間の大きなアオゲラ。先日、家の天井付近からタタタタタタタと妙な連続音が聞こえました。「また、ネズミでもいたずらしているのかな?」と思ったものの、音は止まずに定間隔で続き、それにどうもネズミにしては音量が大きすぎる。おかしいなと、外に出てみたら、なんとアオゲラが軒天に穴をあけている最中で、いったん逃げたもののすぐに舞い戻り今度はその中に入っているではありませんか。これにはさすがのこちらもウームとうなるしかありません。

叫んで追い払いはしたものの、すぐそばの木に止まり、5分と経たずにまた軒天に飛んできてタタタタタタタ。穴に入って中からもタタタタタタタ。3日がかりで20㍍ほど離して穴を2箇所に開けられ、軒天の中に入り今度は自由に歩き回っています。

人里へのクマの出没が毎年の大きな関心事ですが、加えてテン、イタチ、キツネなどの生きものたちも、昔より家周りに多くなったように感じていることを先に記していました。正確なデータではないので「感じ」ているです。さらに今度はアオゲラまでが住家に穴を開ける様子を見て、これにはとうとうあきれてしまいました。

古くなった社寺や古民家の柱や壁などには、キツツキのあけた穴が時々視られるものですが、同じようにガタがきた我が家の軒天でもそこには「虫」などいないはず。2つも穴を開けに執拗に通い、天井に入り込むキツツキ。いったいカレは何を目的にこんな行為に及んだのか、我が家のこのナゾはまだ解明されておりません。それにしても、あの堅いボードを突き破るクチバシの力。キツツキのツツキの破壊力は相当のもの、恐れ入りました。

▼お天気がよかったきのう、やり残していた雪下ろしに汗を流す姿が所々で見られました。超特別だった48豪雪時は脇においてですが、「この家の軒が雪でこんなにつかえてしまったのははじめて」と、昔、我が家で林業架線の仕事をともにしたTさんは語ります。

厚く固まった雪なので、大きなノコギリで雪をブロック状にきざみ、手際よく下ろしていたTさん。最近は、雪をノコギリ切断方式で勤しむ方をチラホラみかけます。道具をこわさずに雪を容易くブロックにできるので、堅い積雪の下ろしでは確かにこの方式ははかどるようです。その昔、村内の葉たばこ栽培農家がこれから苗床をつくる時のことを「おらえのオドなば、たばご床の雪よへで、ノゴ使うもんだっけ」と妻は語ります。昔からの生活の知恵は、こんなところでも活かされているのですね。

▼屋根雪にともなう負傷事故が村でも発生。豪雪の年は、積雪の緩む今後に特別の警戒を。

春祈祷

きのうはわが集落がまもり続けてきた山神社の、五穀豊穣や安全を願う春祈祷の日。

いつの年も、2月末は最大積雪深とほぼ同じ雪の量となります。ただ今年は並の冬よりも積雪が多く、ご覧のように社のまわりはこんなに雪深のなかでの祈願となりました。

 

 

 

 

▼前日土曜日の10時頃、合間をみて向かいの山に2時間ほど上がりました。雪深いうえにお天気もあいにく、時折の吹雪きで見下ろす集落もおぼろげでした。

途中、雪原のあちこちには、ノウサギが2匹そろって跳ねまわった跡がみられましたから、まもなく3月、もしかしたら恋仲同士のデートのはじまり跡かも。雪上には、カモシカが長く休んでいた跡もありました。こちらを先にみつけて逃げたのでしょう、窪みの底はカモシカの体温で雪が解けカチンカチンに凍っていました。


 

 

 

尾根筋に発達したダシ(雪庇)が平年よりはるかに大きく、今年の山歩きでは斜面から尾根に越え移るのにいつもの年より時間がかかります。すでに自重で一度尾根から崩れ落ちたダシもあれば、ただいま成長中のダシも。ダシの雪も斜面の雪量も今年はスケールが大ですから、春先の底雪崩の規模は並の年をはるかに上回る破壊力があるとみなければならないようです。