贈り物に若き日々をしのぶ

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おとといの夕方、若い頃農業先進地研修で1年間お世話になった相模原市のSさんから、定期便の「みかん」を贈っていただいた。

みかん箱には小田原地方のある農園の名がある。産地でも味では有名なみかんらしく、生産農家がもぎたてのみかんを自家で直接箱詰めしたらしい。私たちが町で買い求めるようなワックスがけとかの厚化粧がされず、味は「これは、美味い」という逸品ものだった。

電話でのお礼を申し上げたら、Sさんは28日で76歳になったという。わたしがお世話になったのが1970年、通称・東成瀬地震(マグニチュード6.5)の時だったので、あれから45年。わたしも「きのう1日、64歳です」とお伝えしながら、過ぎし日々のことを思い起こした。

こちらが相模原で研修していた45年前、父や、父と山林のしごとで同業であった同じ集落のTさんなど3人が、車に川連漆器を積み込み(販売と土産用)、首都圏在住同郷の知人をめぐるドライブ行に出かけてきたことがある。そのとき、3人がSさん宅に一夜の宿をお世話になったこともあった。それ以外にもわたしがご迷惑をおかけしたことは数え切れないほど。

45年前たしか3歳だったSさんの息子さんは、中学生のとき、夏休みでわが家に友達と遊びに来られ、北の俣沢や南本内川などで魚獲りの一時を過ごしていただいた思い出もある。ご夫妻の来村とわたし等夫婦の相模原へのお邪魔もふくめ、ずっとおつきあいをさせていただいているが、人の縁とは不思議でもあり、またありがたいものである。

人の縁はどこでどうつながるかわからない、を実感したのが昨年もここでふれた村の中央要望の時。総務省にうかがった際、要望を受けていただいた赤間政務官はなんと、Sさんの息子さんKさんと知り合いで、農場を経営しているSさんのこともよくお知りだった。「世の中、広いようでいて狭いもの」ということが人生には幾度かあるものだが、この時も、45年前につらなる人の縁の不思議さを思った。

私は相模原からの定期便で、妻も研修でお世話になった千葉・館山、花卉栽培農家Sさんからの定期便で、それぞれ年に幾度か届けられる贈り箱を手にする度、およそ半世紀近い若き日々に記憶が遡る。