先日、胆沢川上流部での木材搬出のことを記したら、「山仕事でつかう「ガンタ」とはどんな道具なの?」というおたずねをいただきました。
先の写真の中にも、「ガンタ」という道具をつかってブナ材を転がしている場面を載せましたが、道具の現物がすぐ手元にないので、そのガンタをつかって作業している様子の写真をもう一度載せてみました。1枚目の写真がそれで、3人で長さ約2㍍のブナ材を「せ~の」の声とともにガンタで担ぎあげ、バチゾリに片方の端を載せようとしている光景です。今の林業は究極の機械化となり、道具のいくつかは「古物」なのかもしれません。
バヂゾリの雪道は人力ではなく木材の自重で滑り下るために、適度な角度の坂道を林の中につけます。ただ、時にはどうしても緩い傾斜しか造れない箇所もあります。そういうところでは木材をひきずっているわけですから、操作をするバヂ乗り手はソリからすばやく降り渾身の力をこめて引かなければソリが止まってしまいます。そんな時にも、後ろにいる助手がガンタを肩にして押すというこの道具の使い方もあるのです。ただし、それは「助手がいた場合だけ」の話ですが。
ところで、余話です。胆沢川上流部の国有林大森沢でブナ材の払い下げを受けた当時は国道もトンネルも完成していません。そのため、雪上で伐り集められた木材は夏場に集材架線で空中を運び県境の尾根に上げたことも先に記しました。岩手側から県境の尾根を越して秋田側に大量の木材を搬入したというのは村の歴史ではおそらく最初のことで、それは昭和39年、こちらがまだ中学生の頃です。
エシャガ(胆沢川)上流部の大森沢に沿った県境の尾根には、私の知るところでは秋田側へ越える3箇所のアゲ(峠越えの急坂)と名のつく地名がありました。それは、夏道もふくめ昔から仙北道とならんで胆沢川流域の上下流部へ通ずる主要な山道としてつかわれたハッピャクヤァゴ(八百八歩)のアゲ、ほかは山菜採りや狩人たちが冬場に雪崩の危険のないところということで林のある斜面を上り下りしただろうナガ(中)ノアゲ、シャガヂアゲの以上3つのアゲです。
最初に木材を上げたハッピャクヤアゴは、車の着く焼石林道まで秋田側の距離が長く、県境の尾根からは馬を利用して土の道をいわゆる地引きさせたのです。使役の「馬は7頭」と亡き父の記録にあります。馬方たちはススコヤの小屋で寝泊まりし日々勤しみ、後年には村の冬山木材搬出でも我が家に宿泊しはたらきました。後にこちらが働くようになった大森沢の上流部から材を越した時は、ナガノアゲの県境から焼石林道までの距離が長くはなく、集材架線を二段にしてすべて運ぶことができたので馬方は必要なくなったのです。
ユギ担ぎなど、当時の山林労働や山のくらしでは記録にとどめておかねばと思うことがまだまだあります。最も印象に残るバヂジョリ引きとガンタ使い、胆沢川の県境を越えた架線ケーブルと馬による木材搬出、それらの一端を先の余話として昔の写真からご紹介です。