花の焼石岳ご来光山行(その1)

むかし、まだ焼石岳にあがべご(日本短角牛)が自然放牧されていた頃、8合目焼石沼に牛の監視小屋(初代の小屋はずっと手前の清水そば。沼のそばは二代目の小屋)があった。

小学生当時もふくめ、テントなどもたない我々はよく子供たちだけで、あるいは家族連れでこの小屋に泊めていただいた。焼石岳頂上で、岩手、秋田側両市町村の親善登山行事がしばらく行われていたが、この監視人小屋がなくなったのはそれよりまだ前。小屋がある頃には、この行事に参加する村役場職員や近隣自治体の関係の方々が前夜の泊りなどでテント代わりにも小屋はよく利用された。

監視人小屋は、いつ、だれでも、泊りを許してくれるいわば無料の山小屋のようであったので、監視人さんはご迷惑(もしかしたら、話し相手がいて、登山者とお酒を飲み交わしたり、ごちそうのときは歓迎だったかな?)だったろうが、文無しの我々は気軽に泊まれることができてよかった。今のようにキャンプ用の炊事器具やインスタント食材の豊富な時ではなかったから、煮炊きできる薪ストーブがあるのも助かり、こちらも30年ほど前まではこの小屋で友人たちと子供を含む家族連れで煮炊きを楽しんだこともある。

8合目に小屋があるから夜道でも気楽に向かえ、昔は夕方から、あるいは深夜にもよく焼石をめざした。泊りだけでなく、天気の急変などでは避難小屋の役割もここは果たし、若い頃の山行きではそういう体験もいくつかある。

と、そういうことで、前書きが長くなった。つまり、「監視人小屋があったので、昔は、焼石頂上からのご来光を拝むことが簡単にできた」ということをいいたくて、ついつい脇道にそれた。実は、焼石頂上でのご来光拝みは、記憶に残っているのでは50年近くほど前しかない。久しぶりにと先年、山好きの女性らをお誘いして向かったが、あいにくの雨天、曇天でのぞみはかなわなかった。

行事なしの休日、オホーツク海高気圧が張り出し太平洋側は曇り、日本海側は快晴、こんなまたとない機会が急にやってきた22日、「今晩、たげ(岳)さいぐ」と妻に告げ、夜11時半に家を出発。今回は単独行。駐車場からの歩き始めは11時50分。林がないところでは上弦からの月光が強く、星のまばたきも薄くなるほどだが、電灯に頼り黙々歩く。

クマ避けに時々ホーホーと声をあげ、ラジオを聴きながら焼石沼到着が2時少し前。それから9合目に向かったら風があり、風があるのに草木が濡れているので雨具を着ける。沼に波がたつほどの風だ。汗をかいたがそのまま頂上に向かう。

9合目焼石神社を過ぎての岩わたりの夜道歩きは視野が狭く、ちょうど足も疲れがピークになる頃で危ない。こんなことは初めてだが、岩の道で2度も転んだ。幸い穴にも落ちず、足をくじいたりもしなかったが、膝と手を強打し痛む。こんな無様もはじめてだが、とにかく油断は禁物と教えられた。

休みなしで頂上到着は23日午前2時半。奥羽の峰を境に横手盆地は晴れで町の灯が見え、胆沢平野はすべて雲の下。ねがってもない夜景の中、風に耐えて日の出を待つ。

日の出の予定時刻は、秋田の新聞で4時半。日の出までの時間があり、手袋をかけなければ手がかじかむほどに風も吹く。体をあたためようと少し駆け足したり、風下に寄って妻が準備してくれた熱いコーヒーを飲んだり、お月様と星空を眺めたり。

DSC_1125-1DSC_1129-1DSC_0002-1DSC_0007-1DSC_0009-1DSC_0013-1日の出はまだだが、雲海が月光に照らされて太平洋側は夜の雲の海がずーと眼下にひろがる。雲の上から顔を出しているのは左に和賀山塊や岩手山、岩手山とならびで向き合っているように見える北上産地側に高い頂の峰が連なっているのでこれは早池峰山か。そのはるか右側・南の遠くにやはり頂を見せる山がある。これは太平洋沿岸部側にある五葉山かな。月光が雲海に反射して、まだ日の出前に、こんな景色が見られるのはなんとうれしいこと。