思い出いっぱいの社にも早い春が

豪雪の村にくらしているから余計そうなのでしょうか、私の過去の体験を記憶に残っていることで季節区分けをすると、雪解けの春の出来事がいちばん多い気がします。

子供の頃の遊びでは、雪原がかたく締まった上を歩く「堅雪渡り」はほとんどの方が体験したことであり、堆肥運搬用のカナジョリ(鉄ソリ)を持ち出しての乗り遊びも雪国の男児なら体験者は多かったはず。実益を伴いながら遊び心も大きく躍った、児たちだけでのヒロッコ(野草のアサツキの仲間)掘りも、雪国の児らにとっては記憶に濃く刻まれた体験です。

それらのほかに、遊びであげれば、バッケなど新芽を出した野草などを摘んで女の子たちといっしょになっての「ままごと」遊びもよくやったもの。マメボッチ(キブシ)の枝を切って白い中芯を抜き、笛をつくったり、手頃な太さの柴木で木刀をつくってチャンバラごっこをしたり、やはり柴木のマッカ(Y字に枝分かれした部分)などでパチンコをつくり小鳥をおいかけ、雪解け水とは関係ない湧水の澄んだ流れに棲む産卵前のカジカをノゼリ摘みをしながら獲ったりと、早春の児たちはいま振り返ればなんと忙しいものでした。

チャンバラごっこでは、このブログに幾度か記したこともあります。わが家脇の小高い森にある2つの神社(ひとつは三吉様の名がある)(写真)をそれぞれの根城に分けての「ただがいっこ」(チャンバラごっこ)にも没頭、それが最高潮となるのも堅雪を渡って新しい木刀をつくった雪消の春でした。

それぞれの児たちが、「名を名のれ!」とまずは叫び、二刀流が得手の児は「宮本武蔵」だ、ひときわ長い木刀を造った児は「佐々木小次郎だ」と名のり、「赤胴鈴乃助だ、真空切りだ」とか、「鞍馬天狗の東千代の助だ」、傘を差して歩く真似をしての「春雨じゃ、濡れて参ろうの月形半平太だ」とか、「市川歌右衛門だ」「長谷川一夫だ」「月形龍之介だ」等々、正義の味方同士の「争いごっこ」に明け暮れした当時が記憶に深くきざまれているのもこの季節です。

写真は、その当時に遊んだ2つの社のこの春の小さな「城跡」です。今年は雪解けが早く、チャンバラごっこの主舞台となった小さな広場は雪がすべてなくなりました。いまも管理・参られているのは広場にある三吉様の名があるひとつの社だけ。上にあるもう1つの社は廃れたままで、これを見るとなんだかさみしくなります。