ブナ材を運んだ特製のソリ

先日、農機具格納庫の屋根につかえた雪寄せをした時、屋根裏の窓に届くほど雪が高くなっていて、そこからハシゴなしでも格納庫の屋根裏に入ることができました。

屋根裏には、木材の素材生産業を営んでいたわが家が使った昔の道具や農作業用具が保存されています。それらのなかでわたしにとって思い出の深い道具がいくつかあり、深山国有林のブナ材搬出などで活躍したバヂゾリ(バチそり)や大ジョリ(大ぞり)もそれらの一つです。

このブログでも幾度かご紹介しているバヂゾリは、ソリに金具のブレーキ装置がつけられたものです。荷物をすべてソリに載せる普通のソリ運搬とちがい、バヂゾリは、搬出する丸太の片方をソリに載せ、もう片方は雪に接するようにします。これはソリと材の自重で急坂を滑り下りるためで、ブレーキはそのために装具されます。急坂とカーブの雪道を下るには高度の操作術、そして恐怖に勝る度胸が必要とされます。

ブナ丸太材には時に直径1㍍、長さ2㍍もの荷もあり、ソリの搬出では最も怖く危険な作業で、死亡や大けがの事故が多かったのもこのバチゾリ運材です。荷を下げた戻りはソリを背負って急斜面の雪道を上らなければならず、これも重労働でした。背負うときソリに着いた雪などで肩や背中が濡れるため、それを防ぐには濡れと汗を防げる犬の毛皮が最適で、バチゾリ運材に犬の毛皮は欠かせぬ作業衣でした。

大ジョリは、幅広のソリにシラシメ油(食用油)を塗って滑りやすくしたもので、人里でよく堆肥運搬などにつかわれたカナゾリと同じで材木すべてをソリに載せて運ぶソリです。カナゾリよりもはるかにソリが幅広なのは、やはり直径1㍍、長さ2㍍もの材を運ぶこともあるためで、ソリの幅が広くないと荷の重さで雪道にソリが沈んでしまうからです。

こちらは自重で滑り下りるバヂゾリと違い、平坦あるいはほんの少しの勾配をつけた雪道で荷を運ぶソリで、人力で引き、ゆるい勾配は人の足でふんばってブレーキにしたり、稀にカナゾリ運搬のように木材でつくったテコをブレーキにします。勾配が緩すぎる場所でいったんソリを止めてしまうと再度動かすのが大変で、ソリを「止めないように」と引くときの判断力が求められ、止まりそうな時の力の入れようは並外れとなる労働です。

2つのソリとも今では「文化財」もの。ソリは、すべて集落の技に秀でた方によってつくられました。昔、このソリたちが春の雪山深山で活躍した季節が今年もまもなくやってきます。写真はわが集落県境の岩手県胆沢川上流域の国有林でバチゾリでブナ材を運んだ姿です。多くが犬の毛皮を着ている作業の様子、ソリを背負って上る姿、こんな山林労働の光景はもう遠い昔語りとなってしまいました。

▼きのうでまる71年間を生き72歳となりました。昭和26年、1951年3月1日の亡き祖父(母方)の日記は「寒 ヤナギ沢杉出し早上がり ハナ 九時半産スル 長之ババタノム 寅 助治ノコエヒキ 大水橋オチル」と記しています。

寒とは祖父のこと、大雨のためか、娘のお産で山仕事が禁忌のため仕事を早く切り上げたのでしょうか。ハナとは私の母でいま93歳、朝9時半にこちらが生まれたということでしょう。長之ババとは親戚筋の方で、お産婆さんのこと。寅とは母の亡き兄で、助治は祖母の亡き弟(わが家の大本家の当主)のこと。コエヒキは、ソリによる堆肥運びのこと。大水橋落チルは、成瀬川に架かっていた長い杉の丸木橋が大水で落下したということです。

その日記の天候欄には「東南 雨風」とも書かれています。それから72年経ったきのうも小雨、今日も朝から雨です。いよいよ今日から村議会3月定例会議が始まります。