先に立つ者にもとめられる資質

国政の次のトップを決める急転のうごきがはじまっている。

国でも、県でも、市町村でも、治めるところの先に立つ者に求められる最大のカナメは「民の側に心が寄り添っているか」であろう。そのため人の先に立つ者、とりわけ国政では、深い国家観、洞察力とともに人としての徳がより深くもとめられることは、古今東西の歴史上の人物たちの言葉からも学ぶことができる。

村の郷土誌にも、これは大きな治世のことではないが、藩政時代、行政組織の末端にあたるところの村の長ともいえる「肝煎」(きもいり)役について、その役目にふさわしい人物を選ぶための条件として当時の秋田奉行所がしめした四つの資質が記されている。いつかも、この欄で引用したことがあったかもしれないが、行政組織トップの資質として示唆に富むものがあるので再度ご紹介したい。

肝煎の四つの条件

一、第一貧ならず、正直にして心広く、質朴にして貪らず。

二、慈悲あって贔屓(ひいき)なく、分別ありて奢らず。

三、また、身上余慶もあり、頼もしげありて気長く、偏屈ならず。

四、大酒を好まず、好色のくせなく、芸能の癖のないもの。

条件は以上である。時の藩主たちも、藩政の重鎮たちも、治める末端組織の肝煎の条件としてこのような条件をしめしたということは、自らももちろんこれに心がけ、それだけにとどまらずさらにもっと崇高なトップとしての資質獲得に磨きをかけていたものと思われる。

肝煎四条件は藩政時代のものであり、もちろん今の時代にみなあてはまるものではないが、ひとつひとつの条件・言葉が引き出された背景を考えれば、国、県、市町村と治める組織の違いはあっても、現世のトップというものにもとめられる大切なイロハがよくよく考えられ掲げられていると思われる。論語などから教えられるいくつかの言葉もそうだが、時代が変わっても、治世の柱となる者にもとめられる大切な教訓は変わらないのである。

武士道の著書で広く世界に名が知られた新渡戸稲造は、人の先に立つ者の存在について別の著書「武士道的一日一言」のなかで「仁と義と勇にやさしき大将は 火にさえ焼けず水に溺れず」の言葉をのこしている。どんな危機、有事にも的確な対応ができる、国のトップにはそういう資質がとりわけ強く求められているからであろう。今でいえば、新型コロナ禍、入院の必要な方が入院治療できない、またはそのまま死に至るという考えられないことが日々おきている時、この有事に的確対応できる政治がもとめられているのである。

ところで、民主主義、高齢化社会の現代では、これらの資質のほかにも大切な要素があることを我々は教えられる。それは年齢のことである。前記のような資質を考えれば考えるほど、政治の場で仕事をする者が自らを律するうえで大きな要素の一つとして「年齢」をも考えていることがいくつかの発言事例からも類推できる。

全国的に、国政でも、県政規模でも、70歳代の方、あるいは80歳に近くなった方々が、「今後の活動」つまり「引退」ということをひきあいにして年齢を強く意識したと思われる発言を春以来度々発していたことは衆知のことだ。

こういうことを記している私も今年3月に70歳となった。小さな村ではあるが、そこで政治の一翼をになう仕事をする者の一人として「ついに70歳を過ぎたか」と大きな節目の年齢を意識せざるをえなくなっている。

村の政治にも、「若い力」、「新しい力」がもっともっと求められる時代に我々は立っている。そういうことを考えながら古希を越えたなかでの仕事に全力をあげたいと思う。70歳代は、後々の村発展を見据えれば、「後のことを考える」それを強く自覚しなければならない年齢だということを心に持ち、積み重ねたものを活かしつつ進取の気概で仕事に邁進したい。