101歳の伯父が亡くなる

昨日は伯父の葬儀でした。

伯父は昨年3月にマメないでたちで百寿のお祝いをしたばかり。それこそ健康長寿の鑑のような方でした。しかし、いったん病の身となってからは急速に衰弱が進んだようで、大往生101歳の生涯を閉じる春となりました。

昭和16年3月に召集、日中戦争で大陸にわたり、その後は多くの兵士がそうであったように太平洋戦争末期の18年に上海から24隻の船団で今度は南方戦線へ移り、ニューギニア西部のサルミで終戦をむかえ、戦地での体験が身に深く刻まれている伯父でした。

生前、ほんの一部分ですが若い頃のしごとや戦争体験をお聞きし、その時の伯父の語りをご本人了解のもとでかなり長い時間をかけ録音する機会がありました。

伯父はその際、手元に幾枚かの写真や一冊の本「ニューギニア最後の死闘」を置きながら語りました。その著書は、伯父が属した第36師団の大尉であった富谷太一氏が著し昭和58年に大船渡市の共和印刷出版企画部から出版したものです。富谷氏は秋田県出身で、復員後は調理職に就き、岩手県調理師会副会長、社団法人日本調理師会理事などを歴任された方です。

富谷氏は著書のあとがきのなかで次のようなことを述べていますので一部を引用します。(前は略)「……物量を誇った連合軍の砲爆撃で死んだ者より、食なく、休みなく、薬なしで死んだ者の多いことは、実に残念至極である。……(中略)……戦争は悲惨の一語に尽きる。これほど大きな無駄はほかにはなかろう。無駄を出すことは破壊に通ずる。破壊は悲劇と不幸の基である。心して戦争を拒否することに徹せねばならないと思う。……」(以下略)。

伯父は、この著書の最初のページ部分の空白箇所にペンで「二度と戦争をおこさせぬよう 子供 又 子孫に継がれることを……」という旨を記していました。伯父の語りとあわせてこの著書をお借りして読みながら、戦争の中で、そして戦後と、伯父が生きてこられた社会を想像しあるいは想いおこしたその時のことを今はしのびます。

そして昨夜、またその録音を耳にしながら、平和をまもる運動に尽力する意をかためなおしたところです。