必ず来る大地震

今日は東日本大震災の日。犠牲となられた方々を追悼し、原発事故により今なお避難されている方々をはじめ、被災された皆様へ心からのお見舞いを申し上げます。

10年前の今日は3月定例議会最終日。震災の時は午前で議会終了後に年度終わりの懇親会を夜に予定し、それまでの間に村内で所用を果たしていた。大地震の揺れがあった時間はちょうど運転中で、田子内から下田付近を通っている時だった。

早速役場にかけつけた。防災センターで、新しく就任することになった副村長をはじめ職員のみなさんが諸々の対応にあたっていたときのことを思い出す。

懇親会は急きょ中止。村内や県内では目立つ人的被害などはなかったので、停電やガソリン不足への対応は別にして、以後は津波被災地への支援が村の大きなとりくみとなった。

こちらも、兄弟たちや身内関係が仙台や大船渡などに暮らしていたので、交通路が確保されてからはそちらに向かった。

津波被災の写真は、4月2日、身内の安否確認で訪れた大船渡から陸前高田をまわって来たときの現地の様子である。行方不明者を捜していたのだろう、津波が止まった山際でガレキを寄せて活動する消防団員の姿が今も目に浮かぶ。

震災翌日の3月12日には中学校、16日には小学校で行われた卒業式写真も、棚から引き出してみた。我が家前、岩井川の国道に長く連なる車は、震災後の18日夕方、ガソリンスタンドで給油を待つ方々の列である。

2007年から記していたこのブログを2010年12月に訳あって止めていた。震災はその翌年春だったので当時のことは私のブログには記録されていない。ブログはその年の7月に再開した。

いわれるまでもなく世界有数の地震大国のわが国。奥羽山脈内陸の直下型地震、東北太平洋側や日本海側の地震、首都圏直下型地震、相模トラフ、南海トラフの地震などと、予告される発生確率年数にちがいはあるものの「おきる可能性はいつでもある」と予告されているだけでもこれほど多くの大地震のエネルギーが溜められている。

近い将来か遠い将来かはわからないが、これまでの大地震の発生サイクルをみれば、忘れる間もなく大地震はくる。必ずという言葉はそれほど多くつかう言葉ではないが、この国に暮らしていれば、「大地震は、必ず来る」ということを覚悟しなければならないのである。後は、それが「いつ、来るか」ということなので、ぬかりのない備えにみんなで心がけたいものである。