朝と夕、たんぼの水張りぐあいを確かめにまわる日々がまだまだ続きます。
篤農家の方々とちがい、こちらは時に車を走らせながらたんぼを「眺める」手抜き農家の一人。そんなことをしているものですから、畦にモグラが穴をあけたのを知らないでたんぼが乾きそうになっていたり、水を止め忘れていたり。その結果、除草剤がよく効かずに雑草がチラホラというツケも少々まわってきました。
「これではいかん、やっぱり手抜きはできぬ」と、たまにていねいに畦を歩いた先日、畦に、どうしたことかクルミの実がちょこんと一つ見えました。手にしてみたら殻の中には実がしっかり詰まっている色あいと重さの手応え。いったい、畦にクルミを運んできたのは何者なのでしょうか。
昨年夏のクルミをどこかに蓄えていて、それを道路で車に割らせようとしているカラスは今もまだ時々目にしますから、このクルミの主はカラスか。それともリスが運んできて、何かに危険を感じクルミを残していったのか。私の想像は、クルミを口にしてここまで持ち込んだ生きものの動きをどんどんふくらましてゆきます。
▼薪切り作業をしていたら、材の中に、まことにまっすぐなブナが一本ありました。これほどまっすぐだと、私らむかしの木材関係者は「薪にして燃やすのはもったいない」と思ってしまいます。
高度成長時代、木材の価格が今では想像できない時代、ブナなどの広葉樹でも、その用途価値と価格の広さ大きさはそうとうのものでした。
山で切り倒されたブナは、約2㍍、あるいは1㍍に造材切断されました。そのうち太くてまっすぐなブナが最高級で、これは十文字にあるT合板製造会社などに。まっすぐだけれどもやや細めのブナは川連の漆器業者などに。やや曲がりがあり合板にも漆器にもむかない材は、果樹箱や魚箱などの製函材として村内外の製材業者へ。それらのどこへもむかない曲がった材や細い材、やや腐りのはいった材はすべて増田や十文字のチップ製造業者、あるいは秋田市新屋の製紙会社へと運ばれ、材はすべて手厚く利用され尽くしました。
そんな「できるだけ価値の高い材を」という時代を生きてきただけに、材の性(しょう)の良いまっすぐなブナを目の前にすると、燃料用に切断してしまうのがもったいなく思えてくるのです。昔のことが体に染みついているからです。
当時からすれば生産・販売量は激減の漆器産地でしょうが、このまっすぐなブナ一本、川連の漆器産地では、今いったいいくらで取引されているのでしょうか。