県境尾根の雪景色とノウサギ(その2)

長い時間をかけてやっと上がった尾根なので、行きつ戻りつ、上がり下がりしながら、視界に入る山と沢を俯瞰し望む。そこは、シャガヂアゲ(アゲは急斜面を上がり下がりできる場所)、クロポシ、ナガノアゲ、エシャガのアゲ・ハッピャクヤアゴ(胆沢川のアゲ、八百八歩)、オオモリザ(語尾につくザとサは沢の意)、カッチナシ(カッチは沢の最上部)、トビダゲヒド(トビダゲはきのこのトンビマイタケ、ヒドは沢よりさらに小さな窪地)、サガサガ(語尾のガは沢や川の意)、タゲヒギザ(竹引き沢)、ハヂベェティ(八兵エ平)、フコシ、スソノモリ、オシバ、コシバ、オシバサ、メェグラ(前倉・クラは崖の意)、ヌゲノサ、カラポリ(水の流れがいったん地中にもぐりこむ沢)、オサ、カザヨド(風よど)、オイワ、コイワ、シシパナ、ゴンシロウ(ゴンシロウ森)、タゲ(焼石岳)、サンサゲェ(三界山)、ミナミノモリ、ホソヅル、ウシコロ、ササモリ、イワナメザ、ジョノグラデイ(丈の倉平)、ダダラ、などなど集落の人々に愛され名付けられた大自然である。

ここはみな胆沢川流域で岩手内の国有林だが、その山は岩手側にもかかわらずちょうど南本内川流域と同じように東成瀬村地元集落の暮らしと深く関わってきたところ。だから、前述のように、県域は岩手の山なのに東成瀬・岩井川、椿川地区の人々が名付けた沢や山の名も多くある。自分たちの「くらしの山」だったからである。ちなみに、国道397号がつくられる時、測量の時だったろうか、胆沢川上流域の道案内をつとめたのは岩井川のマタギ谷藤嘉一氏(故人)だった。それを顕彰してだろう、胆沢川の上流部にあたるダダラ上の砂防堰堤そば通称タゲデッツァ(ツァも沢の意)をまたぐ国道397号の橋には「かいち橋」と名が刻まれ、タケデッツァは共通名として「かいち沢」とやはりその名が記されている。

尾根から視界に入るほとんどのブナ山や沢は、小学生、中学生、そして10代の若い頃からイワナやカジカ獲り(胆沢川上流域の清流カジカは「エシャガカシカ」と呼ばれ美味で人気があった。今は、砂防堰堤より上流域からは絶滅したのか?)、山菜キノコ採り、冬山や春山歩き、ブナ材の伐採搬出、択伐(選択伐・抜き伐り)された切り株へのナメコ栽培などで春から秋まで仕事をするなど、大森山トンネルのない時代から通い続けたところ。

岩ノ目沢の左岸から西北の県境にかけては、胆沢川との合流点近辺を除いて択伐もふくめ一度も伐採されたことのないブナ原生林。なので、樹齢の重なった古木、大木が多く、雪山の景色眺めには絶好の林としてあげることができる。

ところで今回の山行では、そうした景色眺めとともにもうひとつの目的が雪上でのノウサギとの出会いだった。

ノウサギの生息数は、先日も記したように激減して久しいが、ここ沼又沢は範囲が広いこともあっていくつかの足跡が前日降った新雪上にくっきりとのこされている。それらのうち、たまたま2匹のノウサギとご対面することができた。

まず一匹は、大森山トンネル手前のススコヤ(すずこやの森)の沢。国道397号に出て沢の斜面を眺めたら、すぐにそれとわかるノウサギが低木の下に伏せていた。それは、とっくにこちらに気づいて警戒している姿で、眼の玉をまん丸にありったけ開いている。

ノウサギは、夜の活動を終えればそのほとんどは低木・柴木の下に深浅様々な雪穴を堀り、昼はその出口に伏せて休む。その伏せ場は天気や季節によってほぼ決まっていて、長年の狩りの経験から我々はそのおよその居場所を推測することができる。このノウサギも、昔からよくいわれた伏せ場にいたのである。

少し遠かったが、まずは逃げ出さないうちに伏せている姿を写真にした。後に遠回りして上部からウサギに5㍍ほどまで近づいた。姿が確認できたのでシャッターを押そうとした瞬間にウサギは跳びだし、たちまちのうちにススコヤの沢を越え県境の尾根方面に消えた。かろうじて跳ねる後ろ姿をとらえただけで、近くからの写しはできなかった。

2匹目のノウサギは、上がる途中に留め跡(夜の活動を終えて休む時につける特徴ある足跡)を見ていたもので、「帰りに、写真を」と楽しみを残しておいていたもの。

ノウサギが休む時の留め跡の特徴をこれまで幾度か記しているが、そのおよそは次のようなものである。まず、彼らは夜の食事行動を終え休もうとすると跳ね幅が小さくなり、進んでいた方向を突然反転させて同じ踏み跡を戻る。これを村の狩人は「もどり、すけだ(戻り足を着けた)」という。伏せ場に隠れるための忍びの術はそれだけではない。戻り足の次に彼らが必ず行うのはトッパネ(跳っ跳ね)の術。戻り足をいくらか進めて後に急にほぼ直角で横にポーンと大きく跳ね飛ぶのである。「もどり」に続き「トッパネ」があればノウサギは確実にその足跡そばに伏せているのである。

こういう動きを一度で済ませる個体もあれば、警戒心の強い個体では何度かそういう術を繰り返すのもいる。

さて、その2匹目のノウサギは、やはり留め跡すぐの低木下に伏せていた。いつでもシャッターを押せるようにしていたが、今度はこちらの発見が遅く、わずか数㍍まで近づきながらも伏せている姿は写せず。それこそ脱兎のごとく跳び出したウサギは、ブナ林の中からあっという間さえもなく見えなくなった。再生画面をのぞいたら、木々の間を跳ねる遠くの姿がなんとかカメラにおさまっていた。

今冬にはあきらめていた県境の雪景色眺めは、期待したようではなかったもののまずまずの景観に満足。やはりもう無理だろうと思っていたノウサギとの出会いも、近接でとらえることはできなかったがこれも出会えただけで満足。難儀して歩いた甲斐があったというもの。

7時間ほどのカンジキ履き一人漕ぎ歩きだったので、帰宅したら足腰はかなりガタガタ。若い頃なら、真冬のもっと深い雪をこいで沼又沢に往来し、重い猟銃と弾、大き目の双眼鏡、二食分の食料と飲料、ナイフ、ひもなどを背負い、猟果があれば数匹のノウサギをさらに荷に加え帰ったもの。そういう元気、無頓着であった昔と想い比べながら、体の衰えを実感した山行でもあった。