50年~100年の体験だけでは判断できぬことも

多くの若い命が一瞬にして奪われ負傷者も出た那須の雪崩事故。事故のニュースが流れる都度、ご家族や関係される方々の悔しさ、亡くなられた方々の無念を思うと、なんともいわれぬ悼みがこみあげてきます。

雪崩事故では、とくにこの季節におきるヒラ(底雪崩)をはじめ、過去に村人が幾度か犠牲になっていて、よそごととは思えぬ注意をはらって関連のニュースを視聴しています。

事故を起こした雪崩はどんな構造の雪崩かまだ確定はできないようですが、状況によればワス(表層雪崩)の可能性が高いとみられているようです。ヒラだけでなくワスでも、わが集落の人々の事故遭遇が過去にはあります。入道から県境の峠を越えた岩手和賀川支流・南本内川流域の国有林内で、3月はじめ大きなワスによる惨事がおきているのです。

それは、昭和38年、営林署の作業員としてはたらく方々の宿舎がワスの直撃を受けたもの。やはり積雪面がある程度締まった後に時ならぬ大雪が新雪として降り、ワスが予想もしない距離を猛スピードで滑り下り、夕食後だったのでしょう7時40分頃、くつろいでいた宿舎の人々を直撃した事故です。私の母の従兄弟二人もこの事故で亡くなりました。

国有林に何十年も入山している方々も、「まさか、そこにワスがくる」などとは思えないから宿舎を建てたのでしょう。山のそういうベテランの方々の判断範囲をこえたワスがおきたのですから、自然災害は、50年から100年の直接体験だけでなく、もっと長く広い体験や歴史から学ぶことが大事ということをあらためて感じます。東日本大震災も、千年という長い歴史刻みで注意を払わなければならなかったといわれることと同じです。

実は、「狭い(50年~100年)体験だけをたよりに行動すれば危ない」ということを、昨日の朝、自宅向かいの山の雪崩をみて再度痛感したためこんなことを記しています。

同じ斜面を前日に写真で載せています(左の写真)。雪崩止めのないところのヒラ(底雪崩)の跡を紹介しようと載せたのですが、その時はまだ左の大きな斜面のヒラは落ちていません。ここには下に雪崩止めがあり、その上部で大きな割れ目ができていますが滑りはまだとどまっています。

私はいつもの体験から「割れ目の下はそのうち崩れるだろう」程度に思っていました。ところがなんと、昨日朝見たら、割れ目の上部全体の膨大な量の雪がすべて雪崩止めをこえて落ちたのです(右の写真)。こういうことは数年に一度はありますが、「まさか、今、割れ目の上が落ちるとは」と、狭い体験から来る自分の判断の甘さを知らされました。

4月、いよいよヒラが本格化します。道路の春山除雪や春山登山も始まります。100年の間何もなかったから大丈夫ではなく、山と雪の状態をよく見て、皆、危険を察知することに怠りがないよう今後もつとめねば、です。