深山渓谷はいよいよ「山眠る」とき

以前の私なら、写真や山菜・キノコ採り、林や谷歩きでもっとも多く通ったのは胆沢川流域の渓谷でした。

しかし、東日本大震災後、山菜やキノコ類などへの放射能汚染がいわれるようになり、それら汚染地域(主に東北南部太平洋側)での採取が種によっては自粛がもとめられることがありました。隣接する県の南部などではとくに野生キノコについてそれが今なお続いている地域もあります。残念ながら胆沢川流域も多くがその該当地域に入るようで、そういうことがあってこちらも10年近く胆沢川流域への夏季の山入は焼石登山を除けばほんとに少なくなっています。ただ、同じわが集落に隣接の地でも、南本内川流域は採取自粛の対象地域ではありません。北寄りなので放射能汚染は比較的少なかったからでしょう。

原発事故による放射能汚染は、福島の方々へをはじめ深刻な生活破壊を及ぼし人々の安寧な暮らしを奪い脅かし続けています。それに比べれば山菜採取の是非などは些細なことですが、でも、自由な暮らしが放射能汚染によって制約を受けるというのは我々もまったく予想しなかったことで、山入りしてきた多くの人々にとってその自由が制約をうけたのは驚きでした。山菜採りを生業とされている方で、これら汚染対象地域に山入りされていた方などは生活にも少なくない影響があるはずです。

さて、前置きが長くなりましたが、そんな放射能汚染の背景があって、こちらの山菜やきのこ採りの山入先は大震災以後主に村内の山だけに限ることとなりました。そうした中でこちらがいま最も多く通うのは合居川渓谷の国有林です。

国有林では、合板材、漆器、製函、パルプ用としての素材生産とともに、集落の「組合組織」によるその跡地伐根などへのナメコ栽培もかつて長く行われました。素材の生産・販売は払い下げを受けた業者の手によるもので、わが家は長い間その業者のひとつでした。

そんなこともあって、ブナ材の伐採・搬出(搬出はワイヤーロープによる架線張方式)に従事したこちら(架線技士として主に集材機の運転作業に従事)は、合居川にも度々作業に入りました。それに加えて、山菜やキノコ採りでもこの谷は「地元の山」として慣れ親しんだところ。さらに、狩猟免許をもってからはクマ狩りで最も多く山入りしたのも県境に接する最適の猟場のこの地元の山・渓谷でした。

それもあり、あれもありでとにかく慣れ親しんだサンサゲェ(三界山)の裾を源流とする合居川の谷と尾根。谷は雪崩の常襲地帯。昔から積雪期はマタギたちさえもいっさい入らずの危険地帯なので雪の12月はいよいよ「山眠る」の季節入りです。天正の滝界隈や柱状節理の名勝「いずくら」の崖上部には冬眠前のクマたちがまだブナの実を食していて、谷入り口から滝展望台近くのトイレ(冬季閉鎖)周囲をふくめ、それらのクマたちがそこ らじゅうをうろつき大きな足跡をのこしていました。