三セク関連に質問集中

9月定例会議の一般質問がきのう行われ、5人の議員が村政を質しました。

とりわけ議論が集中したのは第三セクター関連で、3議員がほぼ同じ視点からこのことをとりあげました。

去る3日の行政報告を取材した秋田魁新報のF記者さんは、村の第三セクターに関する報告内容に注目したのでしょう、翌日、その部分に触れた記事が掲載されました。

議員各位は、行政報告以前に主なる質問を準備していたでしょうが、第三セクターという同じ課題で、しかも同じ視点で三議員が質問に立つのもめずらしいこと。これは、この課題がそれだけ村政にとって重要な内容をもっていることのあらわれとみなければなりません。

今日と明日は、そうした三セク関連も含め昨年度に実施された村全体の事業についての決算審査が特別委員会で行われます。各事業の内容や評価についての考えは、今後の予算に反映される要素を深くもちます。それだけに決算審査はとても重要な役割をもちます。

森の顔役たちがそろい始め

去る6日からきのうまで撮りためていた森の精、里山のキノコたちのご紹介です。

まずは、いつものピンクのハギモダシ。この種は今年は発生量がやや多いようです。

同じホウキタケ科でも、肉厚のネズミハギモダシ(ウスムラサキホウキタケ)はそれほどでもなく、一様でない自然界の奥深さをおしえられます。

3日に「見置き」していたネズミハギモダシは6日になったらだいぶ大きくなっていました。この間みられなかった所にも幼菌たちが顔を出し、見事な菌列ができています。もう少し大きくしてからいただこうと、6日も採りはせずに、写真にだけ撮りおさめてきました。

森には、キノコの世界では最も絢爛といえる色を見せるタマゴモダシ(タマゴタケ)もよく見られます。あまりに毒々しい紅色、朱色、それに毒キノコたちに共通する姿なので、たいがいの方はこれを見れば「毒キノコ」と決めつけるでしょう。が、村でも通の方々はタマゴモダシと呼ぶように昔から食べていたキノコです。

ヨーロッパでは、このタマゴタケを高級食材として扱うことをガイド本はよく書きます。食材を活かす料理があり、そういう食文化があるからなのでしょうが、私が、我が家の家庭料理風の調理で数回食べてみても「そんなに、おいしいキノコではない」というのが感想です。毒きのこと区別する判別は易しいですが、猛毒種と間違うこともあり得ます。私にとってのタマゴタケは、ながめて楽しむキノコです。

森には同じテングタケ科のキノコで猛毒種たちも次々と顔を出しています。真っ白な姿をしているのはドクツルタケの仲間で、わずか1本で致死量にいたるほどの猛毒種でしょう。そばにはやはり毒種のテングタケの仲間らしい姿も。老菌の傘からは煙のような物質が放出され空中に漂っていました。いったいこれは胞子なのか何なのでしょう。

キノコたちがにぎわう森の地面には、晩生のギンリョウソウも目に入ります。一見するといかにもキノコのようですが、ご承知のようにこれはれっきとした植物。森には、生物界が演ずるいろんな楽しみが待っています。

▼そうしていて数日が過ぎたきのう。田んぼの収穫に向けた乾燥・調整機械の準備や、各種の書きものや原稿つくり、議案勉強の合間に「見置き」していたネズミハギモダシ(ウスムラサキホウキタケ)に向かいました。顔を見てから約一週間経ちましたが、このキノコは生長が遅し。まだ採るには惜しいですが、何度も通えないのでやむなく土から離しました。離すときには、キノコの株が太くて地面にしっかりと着いているのでボコッと音がしました。もっと生長させたら小型マイタケほどの大きさになったでしょう。後から顔を出した株もあり、きれいに並んで発生するこのキノコたちの仲間特有の菌列はお見事です。

そばには、やはり後から出たタマゴモダシ(タマゴタケ)があっちにもこっちにも。今年はこのキノコの発生が多いようです。

脇には、正真正銘のホウキタケも。この本命のホウキタケは、我が家がよく食べる前述のハギモダシ(毒種扱いされているハナホウキタケかベニホウキタケ?)に比べて私が通う山ではいずこでも発生量がそれほど多くないキノコです。茎は肉厚ですが、ネズミハギモダシより大きさとボリュームは一段下です。

同じように早生もののアガキノゴ(赤キノコ・サクラシメジ)も、食べ頃の姿でやはり菌列をつくっています。

森には、食、食毒不明、食不適、毒、猛毒など、イグチ科やテングタケ科、ホウキタケ科のキホウキタケをはじめキノコの顔がずいぶん増えました。オオワライタケやナラタケモドキも見えます。わずか一週間で、森の精たちの顔ぶれはなんとにぎやかになったもの。

それらの中でも、やはり見て楽しいのは、ハギモダシ(ハナホウキタケかベニホウキタケ)とネズミハギモダシ(ウスムラサキホウキタケ)の美しい菌列、そして紅色、朱色と鮮やかなタマゴモダシ(タマゴタケ)です。

森ではツノハシバミの実が目立つようになりました。今年は私が目にする範囲ではアケビと同じようにそれほど豊作とはいえないようです。実をひとつつまんで殻を割ってみたら、殻の6割ほどの大きさまで真っ白な中味が充ちています。味は未熟で今イチです。

この季節の里山は木の実がまだ少ないとき。林の中では、地面に横たわっている倒木を起こしたり、腐った切り株の根元を掘り起こしたりした生きものの動きの跡が所々で見られます。こんなに重い倒木を簡単に動かせるのはクマさんしかいません。おそらくこれは、卵を食べようとアリの巣を探した痕でしょう。

▼最後に、もう一度わかりやすいようにホウキタケの仲間たちを順にならべます。

最初が、我が家や村内の一部の方々はハギモダシと呼んでよく食べるキノコ。どうも学者さんからは毒種とされているハナホウキタケかベニホウキタケらしい。正式な名前は今もって私にはわからないキノコです。2枚目が肉厚食茸ネズミハギモダシ(ウスムラサキホウキタケ)。3枚目も肉厚食茸のホウキタケ。そして最後はやはり毒種?でしょう、キホウキタケにしては黄色みが薄いですからキホウキタケの仲間としておきます。これは食べる土地もあるようですが、我が家では毒種扱いで食べません。

▼溜めて載せたので文も長くて写真も多く、2日分掲載ほどの分量となってしまいました。

内視鏡検査とピロリ菌

そろそろ胃カメラ検診を受けておこうかと、先月、何年かぶりであの黒い管をのみ込む胃健診を受けた。

食欲も体調もごく普通でどこもなんともなく、治療や服薬も先年にやった眼科医院での眼の手術時以外いまは無し。病院のスタッフと診察で向き合うことは久しくなかったので、たまに訪れる病院では、診察を受ける前のあまりに近代化されたいろんな手続きに少し戸惑った。

内視鏡検査では、「胃が慢性的な軽い炎症状態と思われる。念のために組織をとって検査する。ピロリ菌の検査も行う」という診断がされ、これははじめてのことだが内視鏡で「組織」をとられた。「とる」時に軽い自覚症状があるのかと思ったが、黒い管の中にスルスルと入れられた組織を取る道具ですばやく検査物は口の外に出された。

横たわり、食道、胃、十二指腸と黒い管を腹の中に入れていながらも「ほほう、医学の進歩はたいしたものだ」などと思ったり「なんでこれだけ医学が進歩しているのに、いまだにこういう太い管を腹に入れなければ検査できないのだろう」と、勝手なことを思ったりもした。管をのんでいる最中にそんなことを思うほどの余裕があるということは「若い医師だが、内視鏡を操るのに巧みなのか?」などと思ったりもした。のみ込むときは、やはり少しは「オエッ」ときて苦しかったのだが。

このほどその検診の結果が出た。「組織に異常はなし」ということ。つまり胃ガン、食道ガンの心配はないということらしい。医師は、ただし「ピロリ菌は陽性」という結果が出たという。「ピロリ菌はガンの原因となるリスクが高い。胃炎や胃腸に関するほかの病気にも影響を与える菌。除菌するかどうか」という旨で矢継ぎ早に問いかけられた。

ピロリ菌をかかえたままでもこれまでなんともなかった(本来、人間の体には免疫力があり、抗菌できている。抗菌薬は、その大切な免疫力に悪影響を与える可能性もあるらしい)のだが、そういう診断を聞いたので「菌を直ちに除去する」と即決した。薬を処方され、およそ2ヶ月後に除菌結果を検査するとのこと。その時にはあの黒い内視鏡の管をのむ必要は無く、息を吐いて調べるだけの検査(尿素呼気試験)で済むことを看護師さんはやさしく説明してくれた。あの黒い管をまたのまなくてよいなら助かる。ホッとした。

ピロリ菌を殺すのか、ただ弱体化させて体の外に出すだけの薬なのかよくはわからないが、おそらく菌は殺されて除去されるのだろう。さてその後一週間、朝と夜二度のその抗菌薬の服用がきのうで終わった。薬の副作用で便秘や下痢など胃腸に若干の変化があるかもしれない、ということで整腸薬も処方された。結果、胃腸には何の異常もなく、薬とピロリ菌がおなかの中でたたかっただろう一週間は過ぎた。結果の診断は11月1日にされる。

▼台風15号による大きな被害。被災された方々へ心からのお見舞いを申し上げます。

豊かな海づくり大会、トラフグ放流

天皇陛下御即位記念 第39回全国豊かな海づくり大会が、7日~8日にかけて秋田市内で開催されました。

大会二日目のきのうも真夏日の炎天下、秋田港で行われた海上歓迎・放流行事に招待いただき参加。放流の魚種はマダイとトラフグです。

魚が一匹ずつ入れられた容器が準備され、私らが持つことになった容器の放流魚は、最近「北限のフグ」として秋田産が市場で人気を集めているという高級魚トラフグの稚魚。稚魚といってもいかにもトラフグらしく丸々と太っていて、おどけたような顔をしている10㌢ほどのかわいらしい小魚でした。

放流の前には、会場となった港の海で漁法紹介として漁船のパレードが行われ、各漁法に用いられる船とともに、男鹿海洋高校の実習船や県漁業取締船などもはじめて目にしました。

島国の我が国。豊かな海づくりのためには、豊かな山と森、豊かな川がなければならないことが強調された大会だったと思われます。豊かな山、森、川の上流を保ち育てるのは山村であり、そのためにも山村に一定数の人々が住み続けられる国の政策実現が大切になっています。

こういう内容の大会ではよくあることですが、会場はすべて写真撮影を禁じられていました。写真がないのはそのためです。渡された大会パンフレットに載せられている放流行事のプログラムをご紹介しておきます。台風15号の関東地方への上陸予測のため天皇、皇后両陛下は予定されていた海上歓迎・放流行事にご参加できなくなり、その旨が司会進行役のNHK坂本愛アナウンサーから告げられました。

その15号はやはり千葉県に上陸。その影響か今朝の室内は湿度80㌫の湿った空気で生暖かく、起床したら、東の空は橙色の朝焼けに染まっていました。

次々と森の精たち

来週11日に行われる一般質問は、4日正午までに5人の議員から通告が出されました。

きのうはそれら質問通告に目を通したり、決算案などに再度目を通し、議会としてもっとも重視してあたらなければならない村政の主要課題は何かを私なりにとらえています。

正社員の人材確保もふくめた第三セクターの経営改善は、そのうちの一つです。

▼稲刈りができるだけ順調に進められるよう、田んぼの排水をさらによくするのもこの季節の大事なしごとです。そのためきのうは田んぼの中に入ってぬかるみ状態をたしかめました。このところの断続した雨天などで、窪地では足をとられるほどのぬかるみも。雨天続きでよく乾かなければコンバインがはかどらないような所も何箇所かあります。

我が家もそうですが、排水が悪くてかつ粘土質で土深く、さらに窪地の多い田んぼを刈り取る方は「今後の晴天を、何よりも祈る」の思いでしょう。

そうした合間に自宅裏の里山へ。そこも、この間の里山と同じようにサンゴのようなハギモダシが真っ盛り。手のひらよりはるかに大きな塊もあり、このキノコ独特のきれいな菌列も見事です。林内にはチンダゲ(チチタケ)やウスヒラタケもちらほらと見えます。

ウスヒラタケは早速味噌汁でいただき、大量収穫のハギモダシは「塩蔵して、冬のデゴ汁(大根汁・おでん風鍋)に」と家族は塩蔵の支度にとりかかりました。

里山では、アシベニイグチの仲間、真っ白なシロオニタケの仲間やクサウラベニタケの仲間のような毒種もふくめ、食不適、食毒不明のキノコたちもいよいよ数を多くしています。

最後の2枚の写真の大きいキノコは、ミズナラとアカマツ混じりの林に毎年顔を出す私は名前のわからないキノコです。上品な香りをもち、おいしいキノコと推測されます。これと似た毒キノコはあんまりありません。今年は写真だけにしておきましたが、いつか少しの試食をしてみようかなとも思っています。

歴史を偲ぶ赤滝神社の奉納物

村の郷土誌は、わが村に人々がくらしていた歴史の証としての石器や土器などから、岩井川矢櫃に旧石器時代の後期、約一万年前(それは約1万3千年前らしい)の人々のくらしの痕があることを記している。約8千年前にさかのぼるとされる北ノ俣沢入り口のトクラ遺跡は成瀬ダムに沈むが、このほど考古学に造詣の深いS氏からお聴きしたら「県内で最も標高の高いところで発見された遺跡」ということである。

「世界最大級」といわれる縄文時代の大型磨製石斧が発見された上掵遺跡のあるわが村も郷土誌はロマンを込めつつ重厚に記す。さらに歴史をもっと下って江戸になれば、村内にも様々な神社が建立されたことを郷土誌は記す。

とりわけ歴史の重みと文化・芸術性で私たちの目を引き、このブログでも度々ご紹介してきた社は、下田の志茂田神社、田子内の天神社、平良の山神社、肴沢の八坂神社と山神社で、それら神社の彫り物「すまっこしょい(隅っこ背負い)」とよばれる力士像や下田神社の雅やかな彫り物などは、貴重な文化財ともいえるものであろう。

村はそれほどに、歴史の宝が多く遺されているところで、それらの中には、成瀬ダム建設事業により先般「遷座」が行われた仁郷台地の「赤滝神社(安永7年建立と棟札は記すとされる)」も加えられる。今からおよそ240年前に建立されたとみられる社である。現在の社はかなり改築が重ねられた後のもの。

先月にご神体が「遷座」されたその赤滝神社にきのうまた向かう機会があった。いつもの赤滝の写真撮影とちがい、目的は神社のなかに遺されている人々の奉納や参詣などの証痕を知るためである。元神社は今月中に解体される予定。なので、社のなかにあるそれら納め物を一時保管し、神社にちなむ人々の歴史をより深く知るために一回目の観察が「神社を保存する会」の会長さんらによっておこなわれたのである。

小さな社(ご神体がすでに遷座しているので、正確には社であった建物)の扉が開けられ、ご神体が鎮座していた本殿の奥所には、江戸の文化年間を記して奉納されたと思われる木彫りのキツネ像や、年代不明のやはり石彫りのキツネらしい(お稲荷さんの狐か、すぐそばに狐狼化という名の山もあるから狼像か?)像、彩色がほどこされている龍らしい木彫り像、小さな石彫りの像、幾本かの掛け軸や幟らしいもの、祭祀の際に用いられたのだろうか、江戸の弘化二年の文字が書かれている木札など年代モノがたくさん納められていた。

社の中には、「赤滝」や、右から読むようにして「社神滝赤」と書かれ、あるいは彫られた奉納の額や見事な彩色の絵馬額も何枚かあり、それらからも、この社がもつ歴史の重みを偲ぶことができた。

そして、「えっ、これは!」と一瞬驚いたのは、古びた木箱に入れられていた木彫りの女性像。それもやはり彩色されていて、お姫様が身につけるような雅やかな着物をまとっている像なのである。その像を目にしたら、どなたでも伝説の能恵姫を想像するだろう、そういう木彫像も出てきたのである。

小さな社だが、あんな狭い空間から出てきた出てきた人々の多くの生きた奉納・参詣の証。今回は一度目の観察だが、解体前にまた歴史の証の観察は行われる。そして最後の解体時にも、それら小さな遺産はていねいに観察される予定である。

いつか、それらがみなさんの眼に直接ふれられる時がくるだろう。お楽しみに。

▼しばらくは来れないだろうと、滝壺脇の発電所跡の構造物(林業労働者で仁郷の集落がにぎやかだった頃使われたのだろうか)や9月初めの赤滝の流れにもカメラを向けた。伝説では、昔の人々は参詣の際、滝壺にもひねり初穂やお供えの餅を投じたと郷土誌は記す。
今は、滝壺に向かって御神酒や賽銭を献げ礼拝する参詣者の跡があり、それにもカメラを向けた。

滝壺脇の左岸には、何百年もの間の流れや洪水で河岸がえぐり取られ、根を河床にかぶさるように空にさらしていたミズナラの樹があった。

この十数年間、滝に通い写真を撮る度にその根が「いつ崩れるだろう」と見つめていた。それが、今年ついに根から幹まで全体が崩れ落ちて川原に横たわっている。神社はいま解体されるが、おそらく神社の建立時あたりから滝とともに時代をきざみ続けてきたであろう古木だ。ミズナラは自然によって倒れたのだが、神社の遷座とともに命を終えたこと、ひとつの不思議な偶然を感じ、横たわる古木を写した。

社のまわりや赤川沿い一帯はブナやミズナラの宝庫。秋になればそこらはマイタケやナメコなどをふくめキノコの楽園となる。境内にも毎年「アカヤマドリ」という大型のイグチ科のキノコが顔を見せる。きのうも、大きくなりきっていた老菌から、食べ頃の幼菌が鳥居のまわりで見られた。ここでのアカヤマドリとの濃い思い出も、私の記憶の隅にあるのです。

9月定例会議はじまる

9月定例会議が3日~18日の日程ではじまりました。

行政報告を受け、一般質問の通告は今日正午までに各議員から提出されます。今会議では、多くの補正予算案とともに、30年度の決算認定案審議もおこなわれます。議員各位は一般質問準備に加え、予算案の勉強と質疑準備、それになんといっても膨大な量の決算審議の質疑準備で決算案の勉強・分析に多くの時間を充て「いざ本番論戦」に臨みます。

決算案の審議は、次年度の予算案編成などに大きく関わり影響をあたえます。それだけに、ボリュウムのある9月議会は議員にとってとりわけ「準備力」を求められる議会となります。それは、応える当局側もおそらくほぼ同じでしょう。

村の議会の今は、私が議員として活動をはじめた頃とちがい、決算案とともに添えられる「主要事業の成果」がとても充実した「成果説明書」として提出されています。そのため質疑もより効果的に行えるようになっていますので、その点、議員の質疑準備も以前とは比べものにならないほど効率的になっているはずです。

▼夜朝の涼しさが急に増してきました。我が家など「そろそろ暖房を」などと言い始めています。

涼しさの進みとともに稲穂もどんどん色づきを増し、田植えの早かった圃場や、我が家のように施肥量を標準よりかなり抑えている圃場では穂が黄金色に染まってきました。たんぼにくらすトンボたちも赤いしっぽが目立ち、文字どおり赤とんぼの季節入りです。

予想されたように、この調子だと今年の稲刈り適期は例年より早めとなることは確実のようです。ただしなんぼ適期が早く見込まれても、刈り取り期のお天気がどうなるかで稲刈りの時期は大きく左右されます。晴天がどれだけ続いてくれるか、雨降りがどれだけ長くあるのか、9月半ばから10月はじめは、稲作農家がお天気にもっとも敏感となる一ヶ月間です。

森の精(きのこ)次々登場

去る31日、9月議会の準備をしていての合間に自宅そばの里山を1時間ほど散策。

夜朝の涼しさが増してきた森では、いろんなキノコの仲間たちが顔を見せるようになっています。

まず最初にご紹介するのは薄紫色のネズミハギモダシ(ウスムラサキホウキタケ)。地面からむっくりむっくりと、サンゴ状の豊かな塊を見せ始めています。まだ幼菌ですから「もう一週間ほどしたら採り頃になる」とそのまま(見置き)にしてきました。「山(山菜やキノコ)の見置きと、アネコ(年頃娘)の見置きはアデにならねぇぞ」というユーモアたっぷりの昔からの言い伝えがこの土地にはありますが、ここの「見置き」はこちらしかわかりませんからだいじょうぶです。

ネズミハギモダシは、ホウキタケの仲間では最も肉厚の種で、成菌になれば姿も大きくボリュームがあり、食通の間では「山のアワビ」にたとえられるほどの特徴あるキノコです。大発生した時の菌列はお見事で、何年かに一度、そんなうれしい場面を見せてくれます。私は3箇所しか発生場所を知らない、出会いの限られるきわめて希少な食キノコです。

お次は度々登場のピンクのハギモダシ。我が家や村の一部きのこ通の方ならよく食べているハギモダシ(ベニホウキタケ・ハナホウキタケ?ガイド本では毒種あつかいのキノコ)はいよいよ真っ盛り。

このキノコは、8月半ばから9月半ばにかけて我が家の食卓に上がり続けます。前述のネズミハギモダシとともに塩蔵もされ、冬のおでん料理などにもよく利用されます。

森には「それ1本を食べただけで命を落とすことも」といわれる明らかな猛毒種、食不適種も含め、姿形、色様々なキノコがほかにも顔ぶれを多くし始めた季節です。もう暦は9月入り。私の季節巡りも、花を愛でる山からキノコを愛でる(採る、撮る、眺める)山巡りへと、少しずつ秋色を濃くしてゆきます。

ところで、30日に載せた最後の写真のキノコについて「あれは、何というキノコ」との問い合わせがありました。あれは「キアシグロタケ」という名のキノコです。ジェンコシナダケ(オツネンタケモドキ)やアシグロタケと同じように、乾燥してうどんやそばの出汁に用いられるキノコです。

私は、そのまま繊維を絶つように横切りして食べやすくし、炒め物などで歯ごたえを楽しむキノコです。アシグロ族は、オツネンタケモドキよりも旨味はかなり落ちます。最後の写真が、そのキアシグロタケです。

9月定例会議は3日~18日

8月30日に開かれた議会運営委員会で、3日に開会する村議会9月定例会議の日程が決まりました。

会議は、3日に行政報告と秋田栗駒リゾート(株)などの各報告、議案提出・説明、11日に一般質問と常任委員会の陳情審議、予算特別委員会、12日~13日に決算特別委員会、最終日の18日は議案審議となります。日程は別掲のとおりです。

議案では、教育長の選任案(再任)や補正予算案、平成30年度決算認定案などが提出されます。

一般質問の通告締め切りは4日正午、質問日は11日です。団体、個人問わずみなさんぜひ傍聴にお出でください。

▼31日の夕方、立ち寄っていた童から「イワナとりに行きたい」の声がかかり、網をもって自宅前の小沢へ30分ほど。この沢は、カシカ(カジカ)、イワナ、ヤマメ、川ザッコ(ウグイ)、ニガペ(アブラハヤ)、スナメロ(スナヤツメ)、ドンジョ(ドジョウ)など魚の宝庫。

小さな淵の瀬尻に小さな網をあてがい、ちょっと追い込んだだけで一度にイワナ3匹とウグイ1匹が網に入りました。幼児の頃から同じ体験を毎年しているだけに童も手馴れたもの。魚獲りも「もう少しで一人前」というところまでコツがわかるようになってきました。

▼31日夜は大曲の全国花火競技大会。もちろんこちらはテレビでの観覧。心配された雨もあがり、個性あふれる全国の花火師たちの競技花火、注目された特別プログラム花火、待ちに待った大会提供花火に見入りました。

そしてなんといっても惹かれるのは「♪♪♪秀麗無比なる鳥海山よ♪♪♪」の秋田県民歌にあわせて打ち上げられる最後のスターマイン。県民だけでなく全国のみなさんが、毎年、この歌声、このメロディ、この響き(花火も含めて)を心に刻み込んでくれることをうれしく「秋田って、なんだか、いいよな」と誇りに思います。

最後の県民歌の前にとか、大会提供花火とかで、われわれが唄った「朝明け雲の…♪♪♪…みんなでみんなで唄おうよ♪♪♪」の県民の歌もふくめ、楽曲「大いなる秋田」の演奏会のように合唱曲(児童の合唱もふくめて)もふくめ流されるなかでスターマインなどが打ち上げられたら「花火との調和が、なんぼ、ええだが」などとも思う時があります。

観光や移住定住をふくめ、人々に「そこに住み続けたい、そこを訪れたい」と思っていただける最大のカギは、そもそも肝心カナメのそこに暮らしているひとびとが「郷土に誇りをもっているかどうかだ」ともいわれます。

花火は大曲とともに広く県民の誇り、二つの県民歌と楽曲「大いなる秋田」も県民の誇り。花火だけでなく、自分たちの県や市や町や村、集落のことを「私たちの地域は、これが誇り」とみんなが外に向かって伝えることができている。そういう心がそだてられているかどうかが大切なのだと、大曲の花火は教えてくれます。県南も秋田も、ほかの市町村にも、県民歌や花火のように全国に誇れる歌、踊り、まつり、曲、伝統、食、モノづくり、宝の資源はあふれていますからね。

写真はNHKBS放送からです。最後の写真は、観客と花火師たちの「ありがとう」のエールの交換です。この光景も県民歌とともに毎年胸が熱くなりますね。ありがとう大曲の花火に関係されたすべてのみなさん。

ナラ枯れの目立つ季節

深緑の8月は、ナラ枯れ病にとりつかれた木が次々と葉っぱを赤くして枯れ死する季節。

村を訪れた観光客の方々が、ナラ枯れで茶色になった葉っぱをみて「紅葉、始まったの?」
と言われたそうですが、それほどに「葉枯れ」は目立ちます。

あまりにナラ枯れ菌の勢いが強く広範囲となり、自治体が予算を置いての防除程度ではその伝染をくい止めることは不可能のようです。やはり、病に冒されないうちの伐採で適度な木材利用につとめるのが最大の防御なのか。その伐採も様々な事情、条件、制約があって単純にはできません。こうまで病菌の勢力が広範囲になれば、その対処策も「効果」ということをよく考えなければ、税金の「ムダ使い」ということになるでしょう。

かってはマツクイムシによるマツの枯れ死があいつぎましたが、今度はナラの病菌による枯れ死。同じ樹木でありながら、どうしてマツやナラだけがこのように昆虫を媒介としての線虫や病原菌によって枯れ死するのでしょう。ほかの針葉樹や同じブナ科の広葉樹でもブナにはそういう枯れ死ということがおきませんから、二つの樹種はなにかの免疫力が極端に弱いからなのか、不思議なものです。これも自然界がつくり出したひとつの必然なのでしょうか。

ナラ枯れは、樹木そのものへの被害に加えて、その樹木たちが生きていることによって成り立つ動物や菌類などあらゆる生命体の存在にも大きな影響を与えます。

ナラ林が集団死滅すれば、たとえばそれに実を結ぶドングリがなくなり、ドングリを食用とするネズミ、リス、鳥類、それらの小動物を捕食する猛禽類や獣類、そしてドングリを大量に食べるクマたちなどに大きな影響が及びます。食物連鎖のきわめて大事なひとつが欠ければ、クマの生息と出没にも大きな変化があらわれることは必至でしょう。動物は「食べ物」と「生殖」を中心にして生きているのですから。

ナラ枯れは、ほかにも人々のささやかな楽しみであるキノコの繁殖にも決定的な影響を与えます。とりわけナラ類と共生する土キノコの仲間は、ナラが死滅すればキノコの菌も生きられないわけですから、ホンシメジたちの仲間や写真のようなホウキタケの仲間、コウタケの仲間など、おいしさで代表格のキノコ採りは場所によってはほとんどできなくなるはず。木がなくなれば、シメジのような共生菌だけでなく腐朽菌も繁殖できませんから、楽園のキノコの森は、さぞかしさびしい森となるでしょう。困ったものです。

くりかえしますが、ナラだけ、どうしてこう病原菌に弱いんでしょう?不思議です。