6月定例会議終える

村議会6月定例会議はきのうですべての議案審議を終え、通年議会はいったん休会です。

提出議案はすべて全会一致で原案通り可決となり、議会散会後には全員協議会が開かれました。協議会では、新型コロナ対応で最も新しい状況下での村の対応策や今後の方針などであらためて詳しい説明を受け意見交換もなされました。

新型コロナ禍における事業体などの状況把握とは別に、村民の生活状況の把握についても、すでに5月の村広報配布の際に職員が各戸を訪れ聴き取り調査を行っており、その内容も説明されました。6月の広報配布時にも、村の新たな対応策のひとつである応援クーポン券事業(村指定の宿泊業・飲食店・食品加工販売所に使用限定の村民一人当たり1万円のクーポン券)などを職員が直接手渡しをし、その際にもあらためて状況調査が行なわれます。

なお、国の特別定額給付金は、対象のすべての世帯に6月15日で給付を終え、そのことがこの日散会前の村長の発言で報告されました。100㌫の給付をこれだけ迅速に行えたことは、村の自治の特徴を活かしたとりくみであり、住民はとても喜んでいます。

6月定例会議はきのうで終わりましたが、その定例会議全体の振り返りを行い、今後の活動に向けた協議をするために今月末には議会運営委員会が予定されています。

▼おとといで今年2度目の畦草刈りを終えました。床屋さんに通った後のようにこれで畦まわりはとてもすっきり。田んぼのなかでは、オタマジャクシが何千、何万と育ち、イモリ、ドジョウ、カエルたちとともに小さな命を躍動させています。畦にはシオカラトンボやオニヤンマを小さくしたようなトンボも見られる季節入りです。

▼タケノコ採りで須川高原に入山し遭難された山形市の男性(72)は、昨日朝に入山地点から1㌔以上離れたと推定される地点で地上からの捜索隊が発見し、死亡されたという報がはいりました。なんとも無念なことで、心からのご冥福とお悔やみを申し上げます。

地上から、空からと、連日の捜索にあたられた警察、消防、消防団、村、遭難救助隊員の皆さんにも、ご苦労をおかけしたことにお礼を申し上げたいと思います。

「歴史の道百選」仙北街道の保全で朗報

昨年、「歴史の道百選」にならんだ仙北街道。その選定を祝う会が奥州市側からも出席いただき村で開催されたことはこのコーナーでもご紹介しました。

そういう動きのなかで、今年の3月に街道に関係する「胆沢古道の会」が発足し活動を開始しているという情報に触れました。なんとうれしいことでしょうか。

この歴史の道は延暦21年(802年)にひらかれたという古道で、藩政時代の終わりまで奥羽山脈を越えて往来する交通の要衝としての役割を果たしました。(村ホームページ・村の教育施設・まるごと自然館・仙北街道の欄参照を)

廃藩置県以後、ほかの交通機関の発達とともに要衝としての役割はなくなり、それでも「明治15年(1882年)頃までは栄えた(村郷土誌記)」という古道はやがて一部から荒れはじめ、大正時代にはわずかの踏査交流があったようですが、以後全体を通じての通行はまったく出来なくなりました。100年ほどの間荒れていたその道を復元させようと最初にとりくんだのが岩手県胆沢町愛宕公民館踏査隊のみなさんで、それは平成2年(1990年)10月21~22日のことだったようです。(このことは現地踏査の際のパンフレットにも記されています。)翌年にはそれに呼応して村側からの踏査活動も始められました。

以後、胆沢と東成瀬村のそれぞれに公民館活動と一体の「街道を考える会」が組織され、古道の踏査と復元が本格化。その組織を軸に行政と連携しての古道復元・整備、交流が継続してはかられました。双方のその長年の努力が「歴史の道百選」選定に結びついたといえます。

ところが、何年か前に胆沢側の「考える会」が事情あって解散されたため、毎年刈り払いなどをふくめ整備にあたってきた作業が進められなくなり、東成瀬村側の古道は引き続きよく整備されていましたが、平成29年度以降、胆沢側のとりわけ古道の中心部は年々荒れが進んできていました。

「古道の維持のためには、岩手側の以前のようなとりくみがどうしても欠かせない」ということで、村側でもつよくそれを望み期待していたところ、前述のように新たに「胆沢古道の会」が発足したというのです。村側にとっても、いちばん強くのぞんでいたかたちでの朗報が届いたのですから、みんなとても喜んでいます。「これで、安心して、また古道がまもり続けられる」ということなのですから、その期待と喜びは大きいのです。

岩手側では、雪解けを待ったのでしょう、早速5月25日に現地調査を実施したようで、今後も中心部もふくめ状況調査も行うらしく、今年度の保全活動も計画されているようです。

今年も、例年どおり諸々の仙北街道踏査活動が行われる計画です。新型コロナ禍の関係で今後も予期しない制約等が生じるかもしれませんが、それぞれの組織が連絡をとりあいながら踏査の具体化がなされるようです。必要な情報は村のホームページや村教育委員会などからお取り寄せ願います。

(写真の左中程に遠く見えるのが、焼石岳頂上から望む仙北街道方面の尾根と山並みです。)

▼15日から村の国有林(須川高原)に入山(タケノコ採りでしょうか?)した山形市の男性(72歳)が遭難したとみられ、地上や空からなどをふくめ捜索活動が行われていました。今朝までまだ行方はわからず、今日は遭難救助隊の規模をひろげて捜索が続けられます。

昨夕に遭難救助への出動要請がありましたが、今日は議会の最終日と重なり参加は無理なことを伝えました。ヘリからの捜索でも発見されないということですから、遭難された方は視界が樹木に遮られる場所などに居る可能性が高く、こういう場合は地上からの捜索が大きなカギをにぎります。なんとか、無事で早く発見されることを願うばかりです。

花の百名山・焼石岳、シーズン初めの百花繚乱(その4)

泉水沼から先はもう右も左も前もとハクサンイチゲの大群落がひろがります。咲き始めの花盛りですから花を終えた株はなく、同じお花畑でも、この日の花はみんな若くいきいきした美しさにあふれています。

登山道沿いにはミヤマキンバイが相変わらず多く、イチゲの白花とキンバイの黄色がお互いをひきたてています。時折ユキワリコザクラやこれから見頃となるミヤマシオガマも咲き始めていて、それにヒナザクラも加わりますから飽きることのない花観賞が延々と続きます。

姥石平を周り、権四郎森(南本内岳)や南本内川のカッチ(最上流部)に多い雪渓や雪田を抜け、再度、新緑と雪渓が織りなす春紅葉をながめ、この日お目当ての花観賞は満足すぎるほど充たされて終りました。

いつものように妻への山からのお土産として、タゲのすず(焼石沼そばの湧水)をペットボトル4本に詰め、午後の陽射しを受けるキヌガサソウを未練いっぱいにまた眺め下山です。

往く時に所々の登山路で雪に押さえられた柴木がありましたが、真夏日の下でその雪解けがすすみ、はじけて起き上がった柴木に雪が着いたまま下がっている光景もありました。

後にこの日の歩数計を見たら31,144歩とありました。この数は器具によってずいぶんちがいがあるようですが、これほんとうでしょうか。

花の百名山・焼石岳、シーズン初めの百花繚乱(その3)

標高はそれほど高くない焼石岳(1548㍍)ですが、列島の北に位置し、なおかつ日本有数、ということは世界有数の豪雪地帯の山という条件下にあります。さらに奥羽の脊梁として位置しているだけに冬期は日本海側からの強烈な北西の風雪に見舞われることから、頂上もその一帯も独特の植生が発達、それが「花の百名山」といわれるこの山の特徴となっています。

この日の頂上も、まわりの残雪と花たちがつくりだす絶景が360度の展望を楽しませてくれます。頂上で、ハクサンイチゲ、ミヤマキンバイ、ミネザクラが花盛りで、昼食をとりながら東の北上平野をじっくりながめます。

眼下には水田のなかに家々が散在する奥州市・胆沢の屋敷林をふくむ「散居集落」を望み、北には、雲に頂が隠されながらも岩手山の裾が目に入り、それより南には早池峰山も。真正面近く北上山地のなかで目立つ頂は太平洋そばの五葉山でしょう。直下の花の楽園・ンバイシティ(姥石平)には、遠目の利く私の眼にハクサンイチゲの花群落の白さがかすかにわかり期待がいよいよふくらみます。

暑くも寒くもない快適なお天気で、頂上でゆっくり過ごし姥石平へ下ります。途中には咲き出したイワウメもあり、南の森の雪渓に見とれ何度も歩を止めます。若い頃よく雪の山を歩いた胆沢川支流の細鶴、大岩、小岩、風よどなどの沢やそのカッチ(最上流部)の湿原、前倉などのクラ山(崖山)、笹森や小出川方面の山々を望み、当時をしのびます。昨年歴史の道100選にあげられた仙北街道方面もいいながめです。

横岳分岐まで下りたら横岳コースへ向かい、群生が見えだしたハクサンイチゲやユキワリコザクラを堪能です。ミヤマシオガマやチングルマも咲き始めてほんの数輪が見られます。ここまでだけで、「花のいい時に来られてよかった」と充分に満足の山行きでしたが、この日の最後の花舞台ハクサンイチゲの競演はもう少し先で、それは見事なほどまでの美しさにととのえられていました。

▼13日(土曜日)、午後、村の直売所を訪れた秋田市の中年のご夫婦が「魁新聞のハクサンイチゲの記事を見て、焼石にのぼってきた。ハクサンイチゲがきれいだった」と語りながら姥石平の花や雪渓を歩くクマの写真を見せてくれたそうです。こちらにも新聞記事やブログなどを通じて「焼石の花はすごい」という声が寄せられています。そのハクサンイチゲ、今週いっぱいは全域での花盛りが見られ、今はミヤマシオガマやチングルマも花数が増えたのでしょうからまた少しちがった絶景がのぞめるはずです。

月末になれば、8合目焼石沼のミヤマキンポウゲやハクサンチドリなど数多の花が咲き、ここでもまた高原の花リレーが続いて、絶景のバトンが次へ引き継がれます。

直売所に最高品質のタケノコ並ぶ

奥羽脊梁・ブナの森深山でタケノコが最盛期をむかえています。

県境界隈のブナの森でも、最高品質のタケノコが出る場所はごく限られています。そこは古くからハギミ(山菜・キノコ採りを生業とする人々)をはじめとする「山を知る」ごく少数の土地の人々だけが通える場所です。そこで村人に採られるタケノコは「0000のタゲノゴ」「0000のタゲノゴ」などと呼ばれます。おそらく国内でもこれだけ良質のネマガリタケノコが発生する場所はほんのわずかでしょう。

その「0000のタゲノゴ」は、自家用としても利用されますが、販売では昔からの特定の流通ルートがあるらしく一般の店頭に並ぶことはあまりないようです。ところが過ぎた週末には集落の先輩Sさんが採ってきたその「最高級」がめずらしく村の直売所にもならべられていました。もちろん、それはたちまちのうちに売り切れてしまったそうです。直売所には村特産のイチゴも見られるようになりました。

村のタケノコ採りも雪解けの遅い一部の場所に移り、あと2週間ほどでそれも終わりとなるでしょう。ブナの森では、タケノコに混じってキノコのサモダシ(ナラタケ)が春のカオを見せ始めています。秋にはよく採られるキノコですが、春に採る人はほとんどなし。私は春のサモダシも味噌汁でおいしくいただきます。

半月前にワゲ(ヒラタケ)を採ったブナの枯れ木には、今シーズン二度目の良質のワゲがまたいっぱい顔を出していました。同じ枯れ木から半月で二回もいただけるのですから、自然の恵みには感謝感謝です。

▼「田んぼは野の生きものたちの命をささえる場」ということをいつだったか記しました。我が家の田んぼもふくめ周囲はドジョウの棲息が多いためにそれを狙うアオサギがしょっちゅう訪れます。大きな足で時には早苗を踏みつけるものですから「こらッ」と怒りたくもなりますが、一呼吸おいてよく考えれば「彼らも生きなければなァ」です。早苗が生長し田んぼの水面が見えなくなればさすがのアオサギもドジョウ捕りはむずかしくなります。それまでの間は少しの我慢をして見つめることにします。

▼新型コロナ禍でしばらくの間できなかった童たちのスポーツの練習試合がようやく再開されています。日曜日には村のグランドでも隣の市のチームと野球の交流試合が行われ、童たちは思いっきり元気に体を動かし、久しぶりのプレーを楽しんでいました。

▼秋田県民歌に歌われる「秀麗無比なる鳥海山」です。横手盆地のりんご園からのぞむその山容はまさに秀麗そのもの。雪をいっぱいに抱いた姿は、りんごやさくらんぼの樹園と田んぼの緑になんともよく映えて見えます。

花の百名山・焼石岳、シーズンはじめの百花繚乱(その2)

焼石沼周囲のリュウキンカをはじめ、9合目までの登山道沿いは、フキノトウ、シラネアオイ、ミヤマスミレ、オオバキスミレ、サンカヨウが随所で見られ、なかでもミヤマキンバイはとくに多く、登山道はさながらミヤマキンバイ街道の様相です。

諸々の安全を祈願した9合目焼石神社から頂上にかけては、咲き始めのチングルマやミヤマダイコンソウがわずかに目に入り、ハイマツの緑と岩石、残雪と、自然がつくった庭園の中を快適に上ります。

ここまでだけでも、もう、花、🌹、❀ 、✾、花と、花の百名山にふさわしい様を堪能できたのですが、この日はそれより先の頂上から姥石平にかけての花観賞も大きな目的です。そして、その期待にもうひとつの花舞台は見事にこたえてくれました。それは(その3以降)でご紹介します。

▼6月定例会議2日目のきのう一般質問が行われ、通告どおり3議員が質問に立ちました。状況下、新型コロナ対応関連の質問が多かったことは当然ですが、今後も、状況に応じて、議会側としての提言や提案などが常任委員会等の活動を通じて為されることを私も期待しています。産業・経済活動や村民生活の様々な面への影響がこれからさらにじわりじわりと及んでくることが憂慮されるからです。

そういうこともあり、きのうの本会議終了後の運営委員会と全員協議会では、追加提出議案の説明を受けた後に協議がなされ、関連予算の審議や一般質問は終わりましたが、議案への説明、質疑や質問と答弁を経て後の村の対応策について、「今後のために、全体状況の説明を再度受け、協議をしたい」という旨の発言がありその時間を設けることにしました。

花の百名山・焼石岳、シーズンはじめの百花繚乱(その1)

栗駒国定公園(西栗駒地区)に位置する花の百名山・焼石岳。今シーズンはじめの百花繚乱を幾度かにわたってご紹介します。

8日、登山道の残雪には前日の登山者の足跡がのこっていました。でもこの日は村側からの登山者はゼロ。土曜、日曜はにぎわったでしょうが、頂上や全行程をふくめても、予想したように平日なのですれ違った登山者は数人。

歩き始めに目に入るマイズルソウは蕾状態で開花はもう少し先。ミツバオウレンは咲きそろっていますが、コミヤマカタバミは朝早くなので花を閉じています。五合目まで上がれば、陽ざしも強くなりそれも咲き出し、イワカガミが花真っ盛りです。

ブナの林内は低木のムシカリやムラサキヤシオツツジ、タムシバ、樹下にはツバメオモトやズダヤクシュが咲き始め、水たまりにはサンショウウオの卵もみられます。

8合目近くになればこの日もっとも期待していたひとつのキヌガサソウが満開です。この日は、キヌガサソウ、リュウキンカ、ハクサンイチゲ、ユキワリコザクラ、ヒナザクラが主なお目当て。8合目では春一番に咲くキクザキイチゲがまだ見られ、ここからはシラネアオイもいっきに増えます。

タゲの水(湧水)そばから焼石沼周囲にはミズバショウ、リュウキンカ、ノウゴウイチゴ、サンカヨウが花盛りで、ミネザクラがようやく咲き始めています。沼の岸辺には大きなイワナが悠々と泳いでいました。

▼8日の参議院本会議で公職選挙法の一部改正案が可決されました。すでに記してあるようにこの法改正は、町村議会と町村長の選挙についての公営化拡大が大きなねらいで、実現に向けて町村議会議長会が精力的にとりくみ、今通常国会で議員立法として提案審議されていたものです。

秋田県町村議会議長会はこの件についてとりわけ力を注いできたものであり、この数年、法案化にむけて機会あるごとに発言をしてきた一人として法案成立はほんとうによかったと思っております。議員立法にあたって尽力していただいた県選出の国会議員各位、そして要望活動に集中してとりくまれた全国町村議会議長会の会長、事務総長をはじめみなさんに心からのお礼を申し上げる次第です。ありがとうございました。ご尽力ご苦労様でした。

すばやい新型コロナ対策に「よかった」の声届く

村の新型コロナ対応では、国民一人当たり10万円給付の「国の特別定額給付金」について、県内でもっとも早いと思われる申請・支給を開始しました。これは、専決処分を経て後、直ちに郵便による申請が進められたためだと思われ、そのとりくみは「早く、確実に」という村民の期待にこたえたものでした。4日時点の議会審議の質疑の中では、全世帯のなかで「未支給は、残り1世帯のみ」という給付状況が答えられております。

業者さんたちの実態把握や要望とりまとめはもちろんですが、村民全体のおかれている状況把握についても、村と議会はこのことを重視してきました。村では職員が直接担当世帯を訪問し毎月村広報を届けています。5月の村広報配布にあわせて、その機会が活かされ、「新型コロナ関係での村民の声」を職員が各戸から直接聞く時間もとり対応してきました。

その後に、国の感染症対策として交付金や給付金支出事業が打ち出され、村議会6月定例会議には関連補正予算案が提出されました。その審議では異例ともなる予算特別委員会の開会当日開催と審査、そして会議初日の本会議審議というスピード感をもって提案と審議は進められました。このことについては先日もこのコーナーでのべたとおりです。

結果、予算の執行が早まり、おとといには「今日、申請の内容が村から届いた。早くて助かる」というある業者さんからの声が議会側にも寄せられております。これも、申請書類が届けばすばやく給付が進められる見込みとうかがっています。

熟慮しかつ早く事を進める。小まわりのきく政治、これは地方自治の大切な要素です。村と議会は、この給付対応の面でも、「自分たちのことは自分たちで決める」という地方自治のカナメとなる要素を最大限に活かしたスピード感をもって対応に心がけています。

別掲は、「よかった」という声が寄せられ始めている本定例会議ですでに決まった村の「新型コロナウィルス感染症対策事業」の概要です。

タケノコ採り遭難と無事自力下山

おとといの夜9時近くになってからです、「大森山山麓でタケノコ採り遭難が発生した。明日早朝から捜索を開始するので、参加できるかどうか」という連絡が急きょ入りました。大森山麓は、全体がなだらかなので時々遭難事例がおきる場所です。

人命第一ですから、何事にも優先してそれにあたるのが我々遭難救助隊員のつとめです。「出動できる」ことを告げ、捜索活動に必要な自分なりの準備をととのえました。遭難したのが地元の山でもあり、「隣り合わせる合居川渓谷に向かった可能性もあり得る」ということも考慮し、そのための捜索行動の段取りなども先輩の隊員と連絡をとりあいました。全体方針は捜索本部が決める事ですが。

大森山の北麓は合居川渓谷のなかでも断崖の多い箇所。とりわけドヤノ沢と呼ぶシャガヂアゲから下る沢は本流との合流点近くに滝が連続し、普通の装備では沢を歩くことができず、少しの遠巻きも必要です。隣接する滝ノ又沢も同じで下流部には危険な滝があります。このように合居川渓谷にもし下れば、その現場は崖や滝など危険箇所がきわめて多く、捜索隊でもそこに入れる方は相当の山歩き谷歩きに慣れた者でないと二次遭難や事故の危険もある山です。ですからこういう場所は、県警や県消防のヘリコプターでの捜索活動が最も有効です。今は、ドローンも重要な器具でしょう。かつ地上からの捜索は、山を知る精鋭でないとムリということです。

様々な連絡を取り合いながら、「翌日6時半に隊員はバスで現場へむかう」という出動態勢に夜から朝にかけ備えました。きのう早朝にはさらに捜索に必要と思われる「資材」のことで先輩と相談などをしていたその矢先、救急車が山の方へ向かいます。それを見て「発見されたのかな?」と思ったらその通りで、「無事、自力で入山箇所に出てこられた」ということです。

遭難された女性の方は、入山した日の午後から一夜を孤独ななかで過ごされたわけですから、その間の心中は察して余りあるものがあります。ムリして歩き回らなかったのが幸いしたものと思われます。「自力下山」の報を同僚の捜索隊員の方から聞いた時は「えがった」と、家の中でみんなから声があがりました。ほんとうにホッとしました。

スナヤツメ産卵期

金曜日正午で村議会6月定例会議の一般質問通告が締め切られました。通告は3議員から出され、午前中にその内容を確かめました。一般質問は11日に行われます。

▼過ぎた週末、村の直売所運営に参加している妻が「タケノコが出なくて困った」と嘆いているのを小耳に挟みました。

村の特産夏秋トマトなど夏野菜が出る前のこの直売所の「顔」は山菜であり、今の季節だとその主役はタケノコ、それにワラビです。ワラビは里山でも比較的手軽に採れますし、また村では転作田にもたくさん栽培されていてこの品集めは心配なし。しかし、ネマガリタケノコはブナの森深山まで出かけなければならず(須川高原なら道路そばでも採れますが)、自家用は別にして「販売目的」ということで山入りする方はごく限られています。

しかも、山菜採りを生業としている方は、昔からなじみの仲買人さんや町の朝市などで売る方がほとんどで、直売所にまでタケノコを持ち込める方はごくわずかの方々のよう。そのごくわずかの方々も、今年は暖冬少雪の割にはタケノコの出がそれほど早くなかったり、高齢化や仕事など様々な都合で山に行けなかったり、国道が閉鎖されていたりでどうしても山への足が遠のき、そうした諸々のことが重なって品薄ばかりか「タケノコがない」という日もあるとのことらしいのです。

「タケノコがないので、少ないのでお客さんに断り続けてばかり、申し訳なくて。直売所のために、タケノコがほしい」というつぶやき声をそばで何度も聞いたら、これはもう黙ってはいられません。旬のタケノコがないとはなんとも情けなし、それでは山村の直売所の名がすたるというもの。自家用は別にして、売るために採るのはここ数年中断していたこちらでしたが、そういう事情なので「直売所のカオ」を揃えてやらねばと、急きょこの週末は「やむを得ぬ、店援助のタケノコ採り」に向かいました。

天気がよかったので焼石岳の登山者もかなりいたらしく、でかけた村のタケノコ山入り口の駐車場は車でいっぱい。山に入ったら、あちらこちから年季の入った男女の声らしい「ホーホー」の叫び声や、時にはけたたましい爆竹の音が聞こえます。あいかわらずクマ公のタケノコ食べ跡は随所に見られます。ようやくタケノコ山は、「雪解けの遅い箇所を残して、どこでも、誰でも採れる」真っ盛りの季節入りです。こちらも金曜午後と土曜午前の2日間、それぞれ正味1時間半ほどで30数㌔をすぐに採り終え早々と帰宅。おととい、きのうは、そのタケノコが直売所のちょっとしたカオ役をつとめたようです。

ブナ林には、昨年秋に赤く色づいたヒメアオキの実が雪の下で冬を越し、まもなく落ちそうな真紅に熟した実をいっぱいつけています。

▼土曜日、山から帰っての午後は、訪れた童とともに自宅前川原や小川で自然観察と魚獲りです。この日の観察の目玉は、蟻地獄とスナメロ(スナヤツメ)の産卵床つくり。

蟻地獄では、「地獄」でアリや蜘蛛がすばやく地獄の主(ウスバカゲロウの幼虫)に捕らえられる様子を観察。捕まえられたアリや蜘蛛たちはたちまちのうちに動けなくなってしまうのですから、これにはいつものことながらたまげてしまいます。何か体がマヒする毒液でも「主」は出すのでしょうか。

「蟻地獄って、ウスバカゲロウの幼虫だよ」と言う童が、餌食となった蜘蛛といっしょに穴の主を手のひらにのせたら、地獄の住み処の主は前進ではなくあとずさりの動きをします。この姿で幼虫なのも不思議ですが、その動きもおもしろいものです。円錐地獄の底にいて虫たちを地獄に引きずり込むのですから、あとずさりというわけです。虫が地獄のしかけに落ちたとわかったらすぐに反応して、地獄の主は砂をパッパッと噴射、さらにスリバチ状の地獄から虫が逃げられなくする仕業も二人でジッと観察。その技はたいしたもの。

童は、同じ川原でこんどは「これ、カゲロウの成虫だよね」と羽根のついた虫をつかんでもいました。ウスバカゲロウと似てはいますが、カゲロウの幼虫は陸上に棲むウスバカゲロウの幼虫とは別で水棲です。生きものって、なかなか見分けがむずかしいですね。

さてスナメロ(スナヤツメ)です。「あっ、はじめヒルかと思った」と成瀬川支流の岩井沢の瀬を見てスナヤツメを先に発見したのは童。スナヤツメは、礫のある瀬にイワナの産卵よりもっとていねいな自らの行為で窪みをつくり、そこに産卵するのでしょう。その窪みができあがると何匹もの群れの塊が見られるようになります。この日は、2つの小さな窪みで、それぞれまだ一匹ずつのスナヤツメが盛んに窪みつくりをしています。

もう少し時がたてば、窪みには塊となった群れ(やはり雄が多いのかな)の姿が見られるでしょう。産卵を終えれば鮭と同じように彼らの命は絶えるのです。群れができたころに見かけられればまたご紹介します。このスナメロ、むかしは「ドジョウより脂っこくて美味い」と、地元でも我が家でも好んで食べたもの。今は、ギャバヂ(アカザ)と同じで絶滅危惧種になってしまいました。でも、村の成瀬川ではほとんど見かけなくなったギャバヂとちがい、まだスナメロはかろうじて目に入ります。

生きものたちの観察を続けていた川原や小川の砂地には様々な動物たちの足跡も見られます。「オッ」と思わず声をあげたのは大きなクマの足跡。しかも新しい。川を渡って住宅近くのここら辺をよく往き来しているらしい跡です。

▼この日の夕方には、近くの町場に住む村出身の同級生から「いいワラビあった。これ、食べての」と村の山で採れた立派なワラビを頂きました。田んぼにワラビ栽培をしているこちらですから野山のワラビはここしばらく食べることがありませんでした。ワラビは最高級の品質で、色もお見事。(食べものは、色も大切ですからね)久しぶりに野山のワラビを、おいしくありがたくごちそうになりました。