君たちはどう生きるか を読んで

「君たちはどう生きるか(吉野源三郎著 マガジンハウス刊)」と、同じ著者の原作を漫画(正確にいえば漫画だけでない)で著した同社刊行の「漫画 君たちはどう生きるか(羽賀翔一著 )」の二つの著書への反応の大きさを率直にうれしく思っている一人である。

人の道のあるべき姿を真剣にとらえ生きようとしている人々がこれだけ多くいることを知り、少し大げさかもしれないが、「わが国も、こういう著書に共感する人々がたくさんいるなら、将来は明るいだろう」などとも感じている。

「あまのじゃく」というほどではないが、世の中の「はやり」というものにはまるで無頓着なこちら。たとえば本などを買い求めるにしても、芥川賞や直木賞などと名のつく作品というものが発表された数年間はそのほとんどを読んだことがなく、それが文庫出版される頃になってまれに手にするようなものである。図書館にゆけば二つの新受賞作品ならすぐ借りられるだろうが、そういう流行ものにどうしてか心が動かないのである。

そんな私が、めずらしく「はやり」といってもよいだろう前述の本二つにこのほど手をだした。こういうことは、山崎豊子氏の諸々の著書が発行された時以来のことであろうか。

小学生の頃は、学校図書もふくめ本を読むなどということとはまったく無縁の暮らしで、貧困きわまりない家庭にも本などほとんどなし。雑誌漫画さえ買ってもらえるのは一年にいくらもなく、同級生から借りてたまに読むだけ。だから、おのずと日々のうごきは、川と山とたんぼと畑を駆け回ることだけが多く、そういう暮らしは中学を終わる頃までほぼ同じ。学校の教科書以外で文学本を読んだことなど、おそらくほとんどなかっただろう。

そういう自分の生い立ちがあるからよけい強く感ずるのかもしれないが、こういう著書と小中学の時代に誰でも易く触れることができる今の子たちはほんとうに幸せものと思う。

合わせて200万部以上の発行をこえるといわれるこの二著作。マンガでも、原作でも、もっともっと読み手の輪はひろがってゆくだろう。なぜなら、この著書は、大人から子供まで、その琴線に響く永久に変わらぬ「人の道のあるべき姿」を問い語りかけているから。

こういう著書を読み感銘をうけた子たちなら、今のように国政を揺るがすような大事から世間万般の悪事を含めて、あのような卑怯な生き方は決してしないだろう。彼ら国の為政者にこそ、たとえば仏教の言葉を引けば忘己利他の心がより求められるのに。彼の為政者の方々はそういう徳や人の道を教える著書に子供の頃から多く触れられる環境にあっただろうが、果たして「君たちはどう生きるか」など徳を育む本を読まれた方々なのだろうか。

さて、村の図書館にもこの著書はおかれてある。近場の書店にも売れ行きが好調なのだろう、いっぱい積まれている。まだお読みでない方へは中学生も含め是非おすすめしたい。漫画(文章もある)もとてもいいが、原作はやはりより深く著者の心を理解できると思う。