「納豆汁」の納豆つぶし技

昨日、あるひとときの会話のなかで、納豆汁のことが話題になりました。

話題の一つは「その栄養価」。村の誇れる郷土食として伝統の納豆汁は、具材の豊富さからして抜群の栄養食でもあります。なにしろその具材は、納豆はもちろんのこと、あぶらげ、豆腐と、大豆を原料にする食品がならび、それにワラビとキノコ(とくにサモダシ・ナラタケ)が欠かせぬ具として加わります。

もう一つは、「納豆をつぶすのに手間がかかって大変」という話題。そういうこともあって、県内の店頭には「納豆汁の素」もならんでいます。しかし、その「素」は、自分で納豆をつぶした味にはどうしてもかなわないという話題もこれにつけ加わりました。

それで、こちらはそういうことへの解決策として「ひんぱんに納豆汁を食す我が家では、いとも簡単、短時間で納豆をつぶしているよ」と話題をなげかけました。

我が家で主に納豆をつぶすのは妻。妻のやり方はごく単純です。まず納豆を容器から取り出して水の浸透しないビニル小袋に入れる。それを袋ごと煮沸しているお湯に入れて納豆を軟らかくする。軟らかくさえなれば、あとはすり鉢でつぶすのはたちまちのうちにできる、という具合です。たったこれだけのことで、納豆つぶしの労がまことに軽くなるのです。

ほかの料理などで使用し熱くなっている鍋の蓋の上に載せていても軟らかくなるそうですし、「電子レンジでチンもいいはず」と妻はいいます(こちらは妻が電子レンジで軟らかくしていると思い込んでいて話題提供で電子レンジを紹介しましたが、妻は、電子レンジはなるべく使いたくないので、納豆ではやっていないそうです。これは私の憶測が間違い、早合点でした。お湯で軟らかくしているとは知りませんでした。きのうの会話に同席のみなさんごめんなさい。)

どんな方法でもいいでしょう、要は納豆粒を軟らかくしてしまえばつぶすのは簡単ということですから、まだお試しでない方は是非やってみてください。こちらも軟らかくした納豆を一度つぶしてみましたが、これはほんとに楽チンですよ。もちろん軟らかくしたからといって味は落ちません。

もっと先を行く納豆つぶし技もあるでしょう、きっと。おいしくて健康の源、納豆汁をどんどん食べるためにも、いちばんわずらわしい「納豆つぶし」に思案を注いでみたところです。山菜(ミズやアザミ等)のさば缶鍋と同じで納豆汁は村伝統の郷土食。ほかに比べて食味値抜群の村産あきたこまちとこのふたつの郷土食は観光客にも大ウケのようです。

議長・副議長研修会

28日、全国の1000近い町村の議会議長・副議長が集う恒例の研修会が東京国際フォーラムホールAで行われました。昨年までは中野サンプラザが会場でしたが、かわった今年の会場は近くて広くてわれわれにとっては大歓迎。

副議長も私も、この集いにあわせて田植え作業をすすめ済ませていての出席です。西日本、関東、東北の雪の少ない地方の方々なら田植え作業とはかちあわないでしょう。が、豪雪の地方や北海道などもおそらくそうでしょう、そこは今が田植えの最盛期。毎年のことながら暦とにらめっこしながらのあわただしい5月末です。

それに、こちらは身内の方が突然亡くなるということもあり、病院への往来や葬式(今日)も重なるという予測していないこともおきましたから、あわただしさがさらに増しました。

研修会のおおまかな内容は資料として配られた印刷物(写真)のとおり。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地方議会(とりわけ町村議会)の活動がわが国地方自治の発展を先導してきた役割を、それぞれの事例からナマの声として学ぶ貴重なときを過ごしてきました。いずれのとりくみにも、こちらが想い行動してきたところと共通する議会活動への教訓と課題があるととらえましたので、今後の活動に学びのいくつかを反映させていきたいと考えております。

わが村はまだ田植えが終わっていませんが、電車からながめる横手盆地も岩手から南下の関東平野でも田植えはもうとっくに終了。早苗が育つ田園のはるかむこうには、ちょうどわれわれが鳥海山を東側からながめると同じで、新幹線車内からのぞめる栗駒も、焼石も、山麓東側はまだまだ残雪多しの山容です。

昨年の村は、この時期、田植え後の低温で苗の初期生育が大きく遅れました。しかし今年は、都内も村も気温はほとんど違わないほどのむしむし暑さの夏日。この後もお天気は良さそうですから苗の初期生育は良い状態で進みそうでまずはホッとしています。

深山もタケノコのはしりが

田植え後の休日、タケノコの様子を見ようとブナの森の深山に3時間ほど入りました。

何十年も雪上の春山を歩いていますから、雪解けの早い笹藪(チシマザサ)箇所がどこかはすぐにわかります。そこはほかよりはるかに早くタケノコが芽をだす所。

 

 

 

 

 

 

 

 

ということは、タケノコが大好物のクマさんもそういう場所をよくわかっていて、そこへ集中するということでもあります。予想したように、そこの笹藪の中には今々クマがタケノコを食べた跡と、地には土が沈むほどの大きな足跡も。

笹の森には残雪がまだ多く、朽ちたブナにはワゲキノゴ(ヒラタケ)がいいかたちで顔をだしていました。今の季節のヒラタケは身が厚くて味も濃し。味噌汁に入れたら絶品の旨味をごちそうになることが出来ました。

早苗で落ち着きのたんぼ景色

予定通りきのう田植えを始めました。

今年は育苗センターで蒔かれた種の一部に発芽の正常でないモノがあったらしく、急きょJAの組織網を駆使して正常な苗の確保がなされているようです。

そういうことでわが家が購入した今年の苗は、育苗センターのいつもの育苗箱とは色形がちがい、何よりも箱の床土がちがうためか苗が崩れやすく困りました。慣れるまでは扱いに手間取り、いつもより余計な時間を要してもしまいました。

発芽に障がいがみられた原因は特定されていないと以前お聴きしましたが、苗半作どころか、その前の「種」はカナメの元。今回の事例をよく検証し同じ轍を踏まないようにがんばってほしいものです。

田植え時は「ネコの手もかりたい」ほどですが、たんぼ脇の道路ではそのネコがゆったり姿勢で横になっています。このネコくんは、ここ数年間、春夏秋冬、厳しい雪の寒中も、わが部落の端から端まで国道の歩道を堂々と往来。人が近づいても慌てて逃げることなく、家々の庭先をまるで我が家のようにして自由な一日を過ごしています。ある朝など、このネコが座っている目の前にイタチが立ち止まりましたが、それを追いかけるしぐさはひとつもみせませんでした。我が家の飼い猫だった亡き「ポコ」くんならとっくに捕獲したはずですが、イタチを襲う本能がこのネコにはないようです。半分は野良猫のようなたくましいくらしながら、そんな不思議を感じさせるネコくんでもあります。

 

さて、ネコにカメラをむけたりしながらも田植えは進み、夕方のたんぼは早苗でやっと落ち着いた景色となりました。

成瀬ダム建設促進期成同盟会の総会

きのうは朝の8時半から村農業振興地域整備協議会へ。平良発電所への取水施設や建設会社資材置き場への転用を目的とした農地について、農業振興地域に指定されている区域からの除外申請を審議する案件の会議でした。

午後は成瀬ダム建設促進期成同盟会の総会と研修会、終わっては村商工会総会と懇親会へ出席。村のダム振興事業協同組合の総会には途中からの出席予定でしたが、時間が中途半端過ぎてこちらは欠席。

商工会の総会では、人口減少への対応策をあらためて重視し挨拶といたしました。ダム事業が終わるおよそ5年後を見据えた村の発展策、産業振興策の基盤をつくるのが、今に生きる我々の責任であるととらえ、政治と商工業発展の分野でお互いに努力を尽くしあおうという旨をよびかけお祝いの言葉といたしました。

商工会もダム事業協同組合も役員改選があり、商工会長も事業協同組合の理事長も現職が勇退となり新会長が決まりました。商工会長は鈴木國男氏から大橋建設の古谷秀克氏へ、ダム事業組合理事長は佐々木芳隆氏から鈴木國男氏へと会長職のバトンが渡されました。

▼先日の須川高原の写真、汚れがついていたらしくおかしな黒点模様がありました。せっかくの景色ですので、別のカメラで同じように撮っておいた場面などをまた載せました。

林では、残雪そばのブナ枯れ木にユキノシタキノゴ(エノキタケ)も見られ、まだ雪に押さえつけられているマンサクは、高原の温泉入り口近くでみられるタカネザクラと同じように今が開花の季節です。


 

 

 

 

 

 

こだわりの農

20日の早朝、畦塗り作業に精を出すSさんご夫婦です。


我が家と同じように人の手での畦塗り作業にこだわる同じ集落の先輩Sさん。ほかにも田んぼへは堆肥をすき込み、収穫時はハサ架け乾燥と、昔から伝わる作業の一貫ぶりには感心します。

村農業委員会の会長でもあり、現役の菌床しいたけ栽培篤農家でもあるSさん。忙しい身ながら手作業を離さない考えの底には、農にかける独特の「哲学」みたいなものがあるのかもしれませんね。

▼21日はこちらも朝の4時半から妻と二人で代掻き作業へ。

転作としておよそ25㌃のたんぼに植えたワラビがいよいよ盛りの季節。たんぼ作業の休憩時など、妻はワラビ採りで気分転換も。

きのうは早朝の気温が3℃。おととい朝もそうでしたが、たんぼの見回りでちょっとした作業をしただけでも手袋がなければ手がかじかむほどでした。

そんな具合ですから我が家ではまだ朝晩の寒さをしのぐのに暖房は欠かせず、「これで今シーズンは終わりだな」と、きのうは薪ストーブの最終の煙突掃除も。もうひと月近くは、煙突から煙が上がり続ける模様の山里のくらしです。

明日からの田植えを予定している我が家。きのうは「シロヤシオツツジに会いに行こう」と妻と二人で須川高原へ。ゴヨウツツジとも呼ばれるこの花の盛りは少し過ぎていましたが、今年はやはり何年かに一度の花着きの多い年で、ここに通って20数年ほどになるのか、同じ群生でこれだけ花数の多いのは久しぶりのことです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

萌えたばかりの高原の絶景、雪渓の鳥海山や焼石連峰をながめ「秋もええのも、自然がみんな躍動の春の輝きは、もっとええな」などと語り合いながらの往き来となりました。

 

 

 

 

途中、県道仁郷大湯線の高原入り口で埼玉からの2台の乗用車が止まっていて、声をかけられました。一関方面から上がってこられたのでしょう、「小安温泉に行きたいが、この道路が通行止めで困った。どう行けば一番近いでしょうか」というおたずねです。25日は開通予定の旨をお知らせしながら、道筋をご案内しました。

この春もこれまでと同じように、この県道が通行できなくて残念という方や、問い合わせの声が各方面へ数多くあったようです。これだけの観光資源をもちながらのこういう閉鎖状態。一年でも早く、国道342号と同時の冬季閉鎖解除ができるよう、観光立国、観光立県として関係される方々のご尽力をねがいたいものです。

新緑、深緑、残雪、花々

須川温泉のある標高1000㍍ラインの須川高原では、まだ樹林帯にも所々に雪があります。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こういう所では、雪消の時期の日数差によって木々の芽吹きにも早い遅いがあり、同じブナの木でも深い緑と萌葱の緑のわずかな色違いがみられます。

湿原の池塘周辺にはミズバショウやショウジョウバカマ、タムシバが花盛りで、コバイケイソウは芽をだしたばかり。排水のよい日向地面にはイワナシもいい花形を見せてくれます。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝、所用で横堀にでかけた後に向かった20日の須川高原は残雪の上に新たに降った雪もみるほどに低温となり空気が澄んでいましたから、残雪や若葉の背景には雪にたっぷりと覆われている鳥海山がひときわ目立ちます。これは、青葉の時をむかえた平野部の田園地帯からの眺望も同じで、一年でもっとも鳥海山がくっきりと浮かび立つ季節到来です。

25日には、国道342号と国道398号を連絡する県道仁郷大湯線(旧有料道路)が開通予定のようです。ぜひ、絶景の須川高原と温泉へお出でください。ほんとに見事な景観ひろがっていますよ。露天風呂からの景色も、紅葉の秋と優劣つけがたい景色を堪能できるはずです。

雨天の屋内運動会

18日、激しい雨のなか雄物川の改修整備促進期成同盟会の総会で大仙市へ向かいました。

その雄物川は、昨年の豪雨氾濫被害で記憶に新しいところ。議案の事業報告のなかでも、被害発生の大きな要因となった堤防未整備区間の改修のための緊急要望活動が被災後幾度か行われたことがのべられました。そうしたこともあってこれまでにないほどの整備促進計画が具体化され、19日にはその着工式が計画されてもおりました。

ところが、あの大雨です。総会冒頭のあいさつで会長の老松大仙市長さんは、明日の式典は中止になるだろうの旨をのべられました。雨脚はその後も強く、雄物川や支流のいくつかが氾濫危険水位を超えるか一部で氾濫もあり、住宅や農地などへの浸水被害が報道されました。被災のみなさんには心からのお見舞いを申し上げます。

わが成瀬川も今年いちばんの洪水となりましたが、この川としては中規模の増水です。

 

 

 

 

▼雨天はその日の夜中も続き、19日の小学校運動会は体育館での開催となりました。せっかく練習したのですから、ほんのり温かな陽射しのもと、グラウンドで児童たちや保護者たちの躍動を拝見したかったのですがお天道様には勝てません。グラウンドでかけっこの晴れ姿をみてもらいたかった子たちは「残念無念」のおもいだったかもしれませんね。

でも、「高い山では雪も」という予報もあった肌寒いお天気でしたので、雨も寒さも心配ない屋内運動会はかえってよかったかもしれません。これはこれで運動する児童とそれを応援する保護者や家族たちとの距離感が近く、またひと目で全体が視野にはいるので「なかなかいいもの」とも感じました。


 

 

 

 

 

 

 

▼その雨の週末、自宅周りの笹藪では笹子(ささご・ネマガリタケノコ)が盛りの季節となりました。深山のチシマザサのような太いタケノコはありませんが、旨味では人里のタケノコもひけをとりません。


 

 

 

 

そのタケノコをはじめ、ウド、アザミ、ウルイ、セリ、クレソン、ミズ、ワラビ、タラノメ、コシアブラ、ゼンマイ、コゴミ、ワサビ、アエコ、ミツバ等々、みんな歩いてすぐ近く自宅から300㍍まわりほどの距離で必要な時にいつでも必要な量の山菜を手にすることができるのですから、これは「幸せなくらし」という範疇にはいるのでしょうか。

時々妻から、夕餉のお吸い物などを熱くしている途中で「あっ、三つ葉、ねえ、採ってしてけろ(あっ、ミツバがない、採ってきてください)」といわれ、軒下近くからミツバを摘むこともあります。また味噌汁の具が不足した時など、妻はやはり軒下近くからすばやくミズを引き抜いてきて当座をしのいだりもします。山里のくらしはこんなものです。

その山里で、たんぼに転作栽培しているワラビも、いよいよ採り盛りの頃となりました。

田植予定日を決める

非常勤特別職の公務員である身とともに、提出書類の職業欄には「農業」という肩書きを記すこちら。

春と秋は、経営規模の大小を問わず待ったなしの欠かせぬ農作業があり、一方では半分常勤なみの非常勤特別職としてほぼ毎日役場へ通い、会議や行事への出席も当然あります。なので、農繁の5月は時間や日程のやりくりで手帳とにらみあいの時となります。

日本社会の常として、人事異動が終わり新年度の活動が本格化する5月にはあらゆる団体や組織の行事がくまれはじめます。そんな折には、なるべく農家でない議員各位のご協力をいただき、会議などにも時に代理の出席をお願いしたりでしのいできました。それでもなお、非常勤特別職・兼業農家にとってはなかなか気の休まるいとまのない春です。

そういうことで、5月の残り公務としていま出席が決まっている行事予定をみれば、今日は大仙市で雄物川の改修整備促進に関する期成同盟会の総会、明日は小学校の運動会、23日は村農業振興地域整備協議会の会議、成瀬ダム建設促進期成同盟会の総会(横手市)、村ダム振興組合の総会、村商工会の総会、28日は全国の町村議会議長・副議長研修で29日まで都内滞在、30日は国道342号整備促進期成同盟会の監査で事務局の岩手一関市の職員さん来村への応対などがあります。これから加わる行事がほかにあるかもしれません。

さあ、5月後半はそれらの間をみての田植えです。田植えまでには、畦削り、肥料・土壌改良材散布、耕起、一度目の代掻き(荒代)、畦塗り、一度目の畦草刈り、代掻き(植え代)、育苗農家からの苗運び、の主に8つの前段作業があります。主だけでなく副もいれたら作業の数はさらに増えます。今の我が家は苗をつくっていませんが、以前はこれにもっと多くの作業が加わる育苗とそれに要する数多の段取りしごともありました。

稲作はとかく田植えと稲刈りに報道や世間の目は集中しますが、植えるまで、刈り取るまでの段取りと目立たぬ作業こそカナメの仕事。昔から「苗半作」などの言葉もあります。苗作り作業の良し悪しひとつが収穫の半分を占めるほどに大事との意味で言い伝えられてきたのです。なんの仕事でもそうでしょうが、成果(収穫)を生むためには、地道な日々の努力・過程こそが大事というわけです。

さて田植えまでの8つの前段作業のうち5つまでは済ませた我が家。手帳の行事日程をみながら一つずつ作業の段階をすすめ、きのうは6つ目のしごととなる植え代掻き前の畦草刈りに動きました。予定通りに事が順調にはこべば、田植えは24日あたりに始めたいと思っています。あとはその日前後が最悪のお天気でないことを祈るばかりです。

畦塗り

過ぎた日曜日は、深山の花たちを愛でながら山菜も少し手にしました。

この日は集落の春祭り。祭りの食卓には欠かせぬ山の幸、一級品のシドケ(モミジガサ)やウドが深山でもいよいよ盛りの季節をむかえました。


 

 

 

 

 

 

 

きのうは妻と二人で畦塗り作業にびっしり一日を費やしました。普段使わない筋肉や、腕と腰にかなりの力がかかるので、これは今時の農作業のなかでは「難儀」の部類に入るでしょうか。今は機械での畦塗りがほとんどで、わが集落でもクワを手にしてのこんな塗り仕事を続けているのはほんの数戸でしょう。

腕も痛い、腰も痛いの作業ですが、仕事を終えた後のきれいな畦を見ればそんなつらさはどこかに飛んでいってしまいます。それはきっと、手仕事というものへの達成感があるからなのでしょう。