転出教職員あいさつ会、村表彰式

きのう午前、転出される小中教職員のみなさんの合同あいさつ会が教育委員会主催で行われ出席。

学校からは、年間を通じて議会や議員へ諸行事へのご案内をいただきます。また議会常任委員会の学校訪問や、全国の市町村議会から村の教育行政視察で訪れるみなさんへの応対で学校へ足を運ぶ機会も幾度かあります。また、月々の広報やホームページで学校情報も発信されております。子供たちの文集なども届けていただいており、授業風景や子供たちの成長の様子をそれらすべてを通じて目にする機会が多くあり「村の子たちを、よく育てていただいている」と、常々、学校のみなさんには感謝しています。

社会の仕事は、職種を問わずどんな仕事も大切なものです。しかし、人間の人格形成に大きな影響を与える教職という専門職は、やはり昔も今もほかの仕事と同列にはあつかえない特有の崇高さをもっていることは否めないと私は思っています。

先生方の教えや学校生活のなかでの貴重な言葉は、子供たちの記憶のひだの中にしっかりと刻まれていて、今後の人生のいろいろな局面で、その教えが記憶から引き出されて、生きる力にされてゆくものと思います。

そういう大事なありがたいしごとをしていただいたみなさんへ心からの感謝をこめ、村で尽力いただいたことへのお礼のご挨拶をほんの一言のべさせていただきました。新たな任地でも、村での体験を糧にされましていっそうのご活躍を願いたいものです。

▼挨拶会の後には、29年度の村の表彰式へ。今年度は、交通指導隊の自治功労2名、食品衛生指導員の保健衛生功労1名、そして各種スポーツ賞(栄光賞6名2チーム、奨励賞19名3チーム)と芸術文化賞(栄光賞5名1団体、奨励賞8名)への授賞となりました。

表彰はたゆまぬ努力の結晶です。受賞されたみなさんおめでとうございます。

まだ雪の白が支配していても、春です

まわりがみんな山々の村で、成瀬川がほぼ直角に折れ曲がるところに位置している我が集落。川は集落を貫流しここでほぼ真西へむかうため、お日様が沈む方向と川の流れが重なるようになります。

春の今は、その重なりがいちばんぴったりしている時。村の西方入り口のごくわずかの範囲だけは山がありませんから川筋にUの字の空間ができ、そこに春の陽が沈みます。ですから、わが集落からだと今の季節がもっとも夕日が遅くまで見られる時といえます。

連日のうららかな陽射しは雪解けをどんどん進ませています。雪解け水が増える夕方になると成瀬川も笹濁りの色から濁流に少し近い色へと川面が変わるようになっています。まもなく3月も終わり。冬の眠りから覚めていた川は、これから本格的な堅雪シーズンが始まれば午前は笹濁り、午後は暴れる濁流へと動きを激しくします。

濁流の岸辺、石の下では、もうカジカたちが卵をもっておなかを膨らませはじめている頃でしょうか。

見渡すまわりはまだ雪の白い世界が支配していますが、カラスやトビも、枯れ枝や枯れ草を咥えて飛ぶ姿を見かけるようになりました。川でも空でも、みんな命をつなぐ準備がはじまる春です。

しなり強さで豪雪をしのぐ

雪解けの進みにあわせて、土の見える範囲が日ごとに増えている村です。

春一番咲の野の花フクジュソウやバッケにつづいて、チャワンバナコ(キクザキイチゲの仲間)もようやく見られるようになりました。

雪崩跡の渓流沿いの急斜面では、厚い雪に押さえつけられていたモミジが、しなり強い樹勢をみせて半年ぶりに樹幹を上に向けています。長く厳しい豪雪の冬に耐えるには、人々の意思にもしなり強さがもとめられるのですが、同じように雪国の木々たちも、ただの強固さではなく、しなり強さがなければ冬を越して生きることができないのです。

 

ヒメマツ(キタゴヨウマツ)やブナなどもそれは同じです。雪の下になっている枝も、果樹や庭木などとちがって雪解けにともなっての枝折れはほとんどなく、雪で下にひっぱられる強い圧力にもこのように頑と耐え続けることができています。その力もみんな「しなり強さ」なのです。

成瀬ダムの転流式

成瀬ダムの本体工事が今年夏に着工となる運びで、それにさきがけて行われる成瀬川(北ノ俣沢と赤川)の流れをトンネル(上下段2本とも平成24年度完成)に仮排水する転流式がきのう26日に行われました。

転流式は当初、旧国道の橋の上で行われる予定でしたが、当日の橋上は晴天ながら風やや強し。テント設営などの安全確保を考えたのでしょう、このため式典は急きょ上段仮排水トンネル(洪水時の流水用トンネル)内で行われることに。

式典では、本体工事中に通常時の流水が通るもうひとつの下段仮排水トンネルにむけて最初の転流が行われました。太古から続いたであろう河川の流れが約1.3㌔㍍にわたって数年間切りかえられ、ダムの堤体工事は夏頃から始まる予定とされています。

ここの河道筋は、昔からイワナとカジカが多く、砂防堰堤までのあいだには多くのウグイも共生していた魚のとっても豊かな渓流で、私も若い頃から魚獲りによく通いました。トンネル近くのひとつひとつの淵と瀬は、私にとって村内外の多くの方々と魚獲りや水浴びで戯れた、いっぱいの忘れられない思い出がある所でした。

魚たちの様子は今も同じだったようで、1.3㌔㍍区間に棲息していた大小のイワナやカジカなどは、転流とともに捕獲され、また川に「引っ越し放流」されます。この日の転流式でも、村の保育園児たちによってその一部の魚が放流されました。

こちらの予想どおり、ずいぶん大きなイワナや最大級のカジカ(メスはおなかに卵をもっている頃かな)も見られました。越冬明けの魚たちは、これまで経験したことのない変化に「これは、何事ぞ?」と感じたでしょう。

「さよなら ぼくたちの ほいくえん」

23日(金)は保育園の卒園式。

今年の卒園児は15名。卒園証書を手に「僕は、私は、00になりたいです。」と大きな声で人生最初?の公への夢発表。目を潤ませている母親、笑顔の母親へ「おいしいりょうりをつくってくれて、ありがとう」等々とお礼をのべる場面。そして「さよなら ぼくたちのほいくえん」の合唱には、こちらも、毎年のことながらジーンと胸にくるものがあります。「消防士になりたい」、「警察官になりたい」、「アイドルになりたい」などなど。時代がかわっても変わらぬ子供の人気の的となる対象もあれば、時代をうつす「なりたい」対象もあり。まったく純な夢言葉をきくのもいいものですね。

子育てはまことに苦労が多し。それだけに、とりわけ同じ親でも母性という特有の愛情を子に注ぐ母親と、卒園児担任(だった、もふくめ)の保育士さんの喜びは大きなものがあると会場の雰囲気から感じます。「あの子が、この子が、こんなにりっぱに育ってくれて」と、感きわまるシーンに今年も触れることができました。

「♪♪~さよなら ぼくたちの ほいくえん~♪♪」よかったですね。子たちはよく育った、そして、保護者も保育園もよく育ててくれた、ありがとう、おめでとう、です。

ところで、これまで何十年もお聴きしていてなんとも思わずにいたのですが、この歌は「ぼくたちのほいくえん」ということで、「ぼく」はありますが「わたし」がないのはどうしてなのでしょうね。歌の場合は「ぼく」に「たち」の言葉がついているということで、男女児すべてをくくるように理解できるからそんなに気にすることではないかもしれませんが。「さよなら 『わたしたち』の ほいくえん」との詞にならなかった理由がきっとあるのでしょうね。

▼24日は彼岸の明け。わが家のお墓参りはこの日が習わしで、菩提寺境内の雪の墓地に向かいました。お墓はごらんのようにまだ厚い雪の下。スコップで少しだけ雪を掘って壇をつけ、村のお年寄りのみなさん手作りの彼岸花、ローソク、線香を、みんな雪に立てて拝みました。

18日の彼岸入りからこの彼岸明けまで、そして月命日と、仏前のお膳には家族が「この冬を越してきた食べ物」が妻の手でいつものように供えられました。まもなく春本番、これからの月命日には、貯蔵された食べ物ではなく採りたての山菜料理などを供えることができるようになります。

広域組合の議会へ

広域市町村圏組合の3月定例議会がきのう開かれました。

湯沢も羽後もわが村も、20日に3月議会を終えています。きのうの広域議会で管内のすべての市町村が責任を負う行政は新年度に向かう方針・計画、その裏付けとなる予算を決めたことになります。

今年度の広域行政で最大の事業は新消防庁舎と関連施設の建設。一般会計の継続費として30年度と31年度にわたり消防庁舎で17億2,140万円 、消防指令センター整備に3億6,675万8千円の予算がくまれました。そのため一般会計の当初予算も前年度当初予算比で47.4㌫増の約40億6,100万円となりました。

消防庁舎は今年の夏に工事着手で14ヶ月後に完成予定の計画。訓練棟は平成31年夏頃に着手で約4ヶ月後に完成の計画。外構は平成31年の夏頃に着手し約7ヶ月から10ヶ月後に完成予定という計画でそれぞれ進められます。

年度末、人事異動の直後でもあり、議会を終えてからは年に一度の懇親の場が設けられ、お互いの労をねぎらい合いながら語り合うひとときを過ごしました。日中午前の村は本降りの雨。帰宅の夜中には新雪で、わだち以外の道路面は真っ白に。

暑さ寒さは彼岸までですが、その言葉は列島真ん中あたりまでになら通用する表しかたか。春は確かに来ましたが、豪雪の村はまだまだ寒い日が続きます。ただ、今年は開花が早いとされた関東圏の桜の花びらにもおととい雪が降りました。気団の流れが尋常ではない年となる、これはその前触れなのでしょうか。

3月議会を終える

村議会の3月定例会議は20日に終わりました。議会は本会議をいったん休会とし散会され、これから6月までは常任委員会活動が続きます。

議会事務局提供

当初予算案などをはじめとする議案はすべて可決されましたが、予算案の審査を行った予算特別委員会の委員長報告では、「財政運営上、さらなる事務事業の見直しと経費の縮減、財源の確保等に努力し、持続可能な財政運営に向け、先を見据えた行財政改革の推進に取り組んでいただきたい」などを旨とする言葉が「委員会の総意」としてのべられました。将来にわたって持続可能な村づくりに心がけることの重要性、予算案を可決した委員会としての、これは村政に責任を負う強い意志の表明と受けとめました。

村の政治に関わるものの一人として私も常々おもうのは、今現在の村とともに、中長期の将来にわたる村においても、村に誇りをもてる村民(言葉にあらわして誇りを語るかどうかは別にして)がいっぱいおられるということが念願であり、理想であり、よろこびでもあります。「そのために、執行当局側も議会も、お互いの役割をしっかり果たすために、新年度にむけて力を尽くし合いたいもの」と、平成30年度をむかえるにあたって意を堅め直しているところです。

▼きのうは彼岸の中日。親の仏前にお参りで訪れた親族たちへおつきあいをしたり、数日前突然断水した自家用水道の破損箇所点検と修理に追われたりで、あっという間に一日は過ぎました。

その自家用水道の点検見回りに出かけようと歩き始めたら、この間ノウサギが伏せていた同じ柴木の下にまたノウサギが伏せていました。その前々日の点検時もまったく同じ所に伏せていましたから、これが同じ柴木の下で3度目のご対面です。

 

狩猟時代もふくめ私の長い山歩きのなかでも、同じ柴木の下におそらく同じノウサギが3度も短期間に繰り返し「ねぐら」をとっていたのを見るのははじめてのこと。家からわずか200㍍ばかり離れた斜面でのことですが、このノウサギは、よほどこの地形と柴の下がお気に入りのようです。

私と顔を合わせる度に逃げ走らなければなければならないムコウさんは「休んだ気がしない」ときっと思っているでしょう。でも、この様子だとここから離れそうもないので、まだ雪のあるうちは4度目、5度目のご対面もできそうです。

肥える土を運ぶ大ヒラ(大底雪崩)

先日ご紹介した、わが集落真向かい山の斜面、通称「キノギッピラ」に毎年見られるヒラ(底雪崩)。豪雪の今年は例年に増して雪崩の規模が大きく、日曜日にその雪崩跡そばに近寄ってみて、大雪崩のすさまじさをあらためて感じました。

雪崩の3月になると、私の記憶は今から50数年前にさかのぼります。沼又沢のブナ材伐り出しで山小屋に泊まる作業員たちへ食材などを背負い運ぶ女たちの列に混じって山へ歩いた昔のことです。馬場から沼又オドヂ(大栃)やススコヤ(すずこや)の山小屋があった沢までの間に大きな雪崩の落ちる箇所が何ヵ所かありました。

そのうちの一箇所はとくに大雪崩で、雪崩跡のデコボコの雪の間をあっちに曲がり、こっちに曲がりしながら女たちと雪崩を越え歩いた当時を想います。

さて、キノギッピラのこの大雪崩もふくめてヒラは、同じ雪崩でもワス(表層雪崩)とちがい雪とともに大量の土肌を削り取って滑り落ちます。雪崩の落ち止まるそこは肥えた成分を含む土がいっぱい溜まる箇所でもあり、アエコやホンナなどとりわけ良質の山菜が植生する場所ともなります。なにしろ、何百年、何千年と土が溜まり続けるわけですから。「いい山菜を採るなら土が多く落ちる雪崩の下へ行け」なのです。ただし、そこは、常に落石や、残っていれば落雪の危険もあるので厳重注意の箇所ではあります。

ヒラの落ちる下方には清水が湧き出ていて、ミズバショウも小さな新芽をのぞかせるようになりました。成瀬川も連日淡い雪解けの笹濁り色となり、流れの勢いを日ごとに増しています。

童といっしょに大きなヤマメを捕れる小川も、一つ、二つ、三つと渕にかぶさっている雪も次々になくなり、まもなく渓流釣りの足跡がのこされはじめるシーズンとなります。(写真のヤマメはその小川での昨年夏のこと)

 

猛威をふるうインフルエンザ

9日は小学校の卒業式。村内4つの小学校が統合されて後の新生の東小17期目の卒業生は19名。

心配されたようにインフルエンザの猛威は続き、式典に出ることができない卒業生もいて、これにはほんとに気の毒でした。式典には出席、卒業証書を授与されてすぐに退席の卒業生もほかにいて、インフルのために後の祝賀会にも出られなくなった卒業生とそのご家族もおられました。

在校生も、1年と4年は学年閉鎖。閉鎖こそないもののほかのクラスにも幾人か罹患の子がおり、送る子たちも、我々にとってこんなことはあまり体験がないほどの少なさでした。

せっかくのお祝いの式典と祝賀会に出られなかったみなさんのお気持ちを察したところです。この時期のインフルエンザには困ったものですね。

猛烈ウィルスのためにそういう異例なもとでの卒業式でしたが、式典そのものは、いつものように感動いっぱいにすすめられました。卒業生たちの学校生活への思いと、夢や目標を語る言葉、在校生たちの送ることば、全員による「心の中にきらめいて」の歌、そして「さようなら」の言葉に、なんとも頼もしい、子たちの立派な成長の姿を感じました。

▼日曜日の午前は、「村の自然に触れたい」と、娘の友人で秋田市からかけつけた若い女性の方をご案内して家の近くを散策。清水の湧き場所でセモリ(トウホクサンショウウオ)やカエルを見たり、バッケ、ノゼリ、クレソンを摘んだりで過ごしていただきました。

こういう散策がてらに楽しめる里山も村の貴重な資源。これからの堅雪シーズンは、里山からちょっとしたブナの森の深山まで、簡単な雪上歩きで楽しめるところが村にはいっぱい。春先のこの「資源」も村を訪れる方々を増やせる「村ならではの大切な宝」と私は思います。

この冬、ウン十年来のおつきあいの宮城県のキノコ同好会のS氏からご連絡があり、同好会のみなさんが大勢で秋、10月に村を訪れブランに泊まっていただく予定にもなっています。みなさんには何十年か前にも一度泊まっていただいております。そんなことからも、もっと季節ごとの「豊かな村の資源」に目を注ぎ、観光や交流に結びつけていきたいものです。

▼午後は猟友会のノウサギ巻き狩りに招待をいただき、鍋をかこむ夕方の宴会に参加。狩りへの参加者も年を経るごとに少なくなっていますが、今シーズンの猟のこと、クマのこと、新たな話題として取り上げられるようになった村でのシカの出没、湯沢雄勝管内での幾頭ものイノシシ捕獲のことなどが語り合われていました。

花も咲き、虫も飛び

豪雪の村でいきる春をむかえた人々は、「ゆぎは、降るように、ける。(雪は、降るように、消える。)」とよく言います。

豪雪というだけあって冬は、1日か2日の間だけでまれに50㌢~1㍍も降り積もることがある雪ですが、それと同じように、春になればたちまちのうちに雪が少なくなる雪解けの早さを「降るように、ける」と言い表してきたのです。

その降るように解け始めた雪。山や里の斜面やヘギ(堰・用水路)の所々で土肌が見え始めたと思ったら、早速、セキショウやフクジュソウ、バッケ、ギシギシ、ウドザグ(ハナウドの仲間)、ヒロッコ(ノビルの仲間)などが顔を出し、または花を見せています。

常緑のセキショウをのぞけばみんな雪の下ですでに新芽を出していて、雪解けとともに陽射しを浴び萌葱色となり、あるいは蕾をひろげたのでしょう。フクジュソウには、野生のニホンミツバチなのか、早くも雪の上を飛来し蜜をもとめて花から花への飛び移りを繰り返していました。

明後日は彼岸の入り。春の花も咲きはじめ春の虫も動き出しました。豪雪のむらも、冬とはいよいよサヨウナラの3月半ばです。

▼きのうは、広域市町村圏組合の幹部職員のみなさんにお出でいただき、組合の3月定例議会に提出の議案説明を受けました。

午後は、厚生連雄勝中央病院の運営委員会へ。運営の最大課題は医師確保の安定化。万全な医療体制を築くことは地方の振興発展に欠かせぬ政治の要でもあります。課題解決のためには医療機関の固有の努力がもとめられることはもちろんですが、国の医療政策の根本見直しがやはり大前提としてなければ、です。われわれ議会は、そういう面への努力をひきつづき傾けたいと思います。