大雪対応予算補正などで議会開く

大柳地区で昨日朝の積雪2㍍72㌢。以後の日中も雪は降り続きましたから今朝などもしかしたら3㍍を越えたかもしれません。わが岩井川地区も、今朝で2㍍は優に越えたでしょうから、村の大半の人々は、2~3㍍近い積雪のなかでくらしていることになります。

昨日時点ではまだ豪雪対策本部設置に至ってはおりませんが、とうとう平年並みをはるかに上回る豪雪ラインとなり、今後の除雪費用かかり増しを予測した補正予算案を議題として議会の臨時会議がきのう開会されました。


 

 

 

当初予算の冬期交通対策費は約1億700万円でしたが、それに2千500万円ほど追加などの項目を含む予算案が審議可決されました。補正後の一般会計総額は約36億9千500万円。

積雪2㍍前後で多くの村民が暮らす日々となりましたので、議会は来月初めに村内の雪状況などを視察・調査することにしました。雪と関係する住民の日々のくらしのことをはじめ、災害防止、あるいは今冬のことだけでなく今後の豪雪対応などへもふくめて見回る予定です。要望やお気づきの点などありましたら、役場民生課や建設課、議会事務局、議員へ是非ご一報ください。

明日1日と2日は村を離れるので、その前にと、我が家も残していた雪下ろしの仕上げにかかりました。今日でとりあえずすべてを終えて、今後の寒波襲来に備えるところですが、今冬は、すでに5回ほどの本格雪下ろしをした勘定になります。

我が家では、自然落雪の車庫や農機具格納庫などの軒が雪でいっぱいになり落雪できなくなるラインになれば、「さあ、これからが大変」となり、心の持ちようはわが家個別の「豪雪対策本部」設置みたいになります。それにしても、きのうわが地方があんなに大雪になるという予報はおととい夕方にはききませんでしたから、「冬の天気予報は、週間予報だけでなく、半日後の予報も、当たらないものだなぁ」と、きのうはつくづく思いました。

要望活動スタート

村や県南地域がかかえる国政への今年の要望活動がスタートしました。

きのう行われたのは東北中央自動車道新庄~湯沢地域間の高速道路建設についての湯沢河川国道事務所への要望。山形新庄・最上地方と秋田県南の首長、議長のみなさんといっしょの行動です。来月初めには仙台の出先機関、そして中央省庁・国会へも要望が予定されています。

山形大蔵村の議長さんと席が隣あわせましたので「わが村は2㍍の集落もあるが、そちらの雪は?」とお聞きしたら、冗談半分でしょうが、笑顔をまじえながらそれをはるかに上回る雪の量を数字で語りました。おととい記したばかりですが、大蔵村さんも、わが村も
世界有数の豪雪の村、しかも日本で最も美しい村連合の一員同士でもあります。おかれた環境が共通すると、また固有の親しみが湧いてくるものです。

▼家々の軒下につるされていた自家用の凍み大根が、強烈寒気のなかでほぼできあがりつつあります。

「今年の冬は、平年並みの雪で済むかな?」などと早合点するところでしたが、わが集落で2㍍近くの積雪になりました。あとひと月は積雪の重なる可能性ありで、連続する寒波と降りっぷりのよさに「はたしてどれだけ積もるのか」、心の警戒度数はかなり高めに変わりつつあります。

西和賀町の農家に学ぶつどい

27日、恒例の農業を語るつどいが開かれました。

村の担い手農業者組織「田畑会」の主催で毎年この時期に行われている行事です。

つどいは講演と懇親の二部構成。今年の講演は、お隣岩手県西和賀町のやまに農産(株)代表取締役・高橋医久子氏によるもの。高橋氏は「わらびとカシスふたつの日本一を目指して」を演題に熱く語りました。

高橋氏は、昭和29年生まれの63歳。会社の社長として農産加工品の開発をはじめ「おもしろい、やりがい、利益」をキーワードにくみたててきた経営の大筋を説明しました。

当日は、同じ会社の常務に就いておられる夫の明氏(元町議)もお越しになり、懇親の場でもみなさんと交流を深めあうことに。

わが集落と隣接している西和賀町(合併前の湯田町)は、木材業、林業労働や国有林利活用によるつながりをふくめ昔から村と集落にとってなにかと縁の深いところ。しかも、奥羽脊梁の豪雪の土地として共通の条件にあるだけに、よく知られた先進的な医療政策とともに、豪雪のなかでの農業振興ということでもずいぶん教えられることが多い自治体です。

全国には、国内有数、ということは世界有数の豪雪の土地で、その条件を活かした意欲的な農業振興をはかっているところがたくさんあります。たとえばトマト産地として名が高い山形の大蔵村、農業の町として知られる新潟の津南町などは、町や村をあげて豪雪の条件をプラスにとらえ奮闘されている典型でしょう。西和賀町もそうですし、秋田でも、個々の経営体として、雪とまみえながら高原で牧場経営と加工品の生産販売、観光にまでむすびつけ活躍しておられる仁賀保高原のT牧場さんなども、私はその一つとみています。

今年もすでに各集落で2㍍前後の積雪となったわが村もそれは同じで、古くは繭の生産や葉たばこ生産で全県一の規模を誇った歴史があり、今は今で、食味抜群のお米や名産のトマトなどは豪雪の村だからこその高い評価を誇ります。りんどう、いちご、菌床しいたけ、肉牛、そしてこれはまったくの自然からの贈り物となる山菜や天然キノコも、豪雪とブナやナラ類をはじめとする落葉広葉樹林、広い牧野がある土地だからこその特産物です。農家、経営体個々の特性にそって、ぶれずに試され済みの作目に地道に力をいれ、あわせて新しい分野の開拓も見すえる、村農業発展のカナメはいつもここら辺にあるのでしょう。

▼2枚目の写真は、強烈寒波最中だった26日の入道地区です。27日、28日は、その寒波がもたらした雪下ろし作業が村のあちこちで見られました。わが家も、童たちをまじえながら、歓声にぎやかな雪下ろしの休日となりました。

今度はノウサギ

先日のヤマドリとの出会いの続きです。寒中の美の象徴ともいえる凜としたオスヤマドリの姿を目の奥に焼きつけたまま、今度は斜度のきつい上りのはじまりです。

雪が深ければ深いでここの上りは足腰にこたえるのですが、この日のように堅雪状態だときつい斜度の歩きではカンジキの爪が雪によく刺さらず足が滑り、踏み抜きが苦労でこれもまた疲れます。それでも足が沈まないのはあまりに楽。時折左のブナ樹林の間から鳥海山をながめつつ、どんどん高度を上げます。

郡境近く、いつもの大ブナの下でまずは小休止。あたりに2匹のノウサギの足跡が見え、うち1匹の足跡を100㍍ほど先まで目でたどると、行きつ戻りつ、時にはカギ跡をつけ、途中でトッパネ(天敵を警戒し大きく横に跳ねる動作)跡をつけた様子を雪上に確認。この足跡を目にすれば緊張し、また心が躍ります。ノウサギはそこらに伏せているからです。

 

 

 

「ははぁ、そこらに、隠れているな」と、その100㍍先周辺の小柴の根元を見回したら、いる、いる、ノウサギが低木の下にじっと伏せています。とっくにこちらを発見しているようですが、この距離では、いくらカレ(カノジョ)でもまだ無駄な逃げ出しはしません。日中はクマタカなど猛禽類からの襲撃を避けるため、走り回りは極力避けるからです。

「伏せている山ウサギ(ノウサギ)に近づくなら、上方から」が、マタギの鉄則であり、こちらの体験からもそれは100㌫あたっている教え言葉。それで、カレからずっと離れるように遠回りしてカレが警戒をやや緩めるほど上がり、それから尾根のカゲに出てカレの伏せている場所近くまで静かに下がりました。

およその見当をつけていた所で尾根から出て、カレの伏せている低木を確認。その距離約5㍍。カレの姿は見えませんが、根元から跳び出した足跡はありませんからカレはまだそこにいるはずです。ノウサギの跳び出しスタート姿勢は、人の100㍍走スタート姿勢よりもまだ低く、体を極端に伏せ状態にするのですから、雪に隠れていて見えないのです。

下から迫られればとっくに逃げ出しているウサギですが、上から迫られたのでギリギリまで逃げ出さず、間合いをはかっている様子です。こちらがさらにもう1、2歩近づくと、こんどはとうとうカレの姿が見えました。見てください、敵が上方4㍍ほどまで近づいた時のこの野生のウサギの目と表情。いっきにカレは跳び出し、100㍍ほど走っては一休み、こちらの姿を見つけてはまた走り、それを二度ほど繰り返し、それこそ脱兎のごとく郡境を上り越え、山内三又の山に逃げ下りました。走り姿は条件が悪く撮れませんでした。

 

 

 

 

ノウサギとの出会いの共演を楽しんだ後、郡境の尾根から奥羽の山並みを遠望。お天気は曇りで岩手山などはのぞめず、近くの焼石連峰から栗駒連山までの県境の山々は確認できました。なじみのブナ林を通りぬけ、岩井沢に下り帰宅。いつもなら4~5時間を要するコースですが、堅雪のおかげで、カンジキ履きでも2時間半ほどしかかからぬ歩きでした。


数年に一度の強烈寒気

寒中なのに雪寄せなしの天気が一週間ほど続き、身も心もやや緩んでいたその直後に今度は「数年に一度」といわれる猛烈寒気の襲来、さすが寒中、朝のわが家も吹雪にまとわれブルブルです。

こういう時は、動かす雪の量を極力少なくし、2~3日待てば少しは寒さが緩むでしょうから、ジッとこらえるのが賢明でしょう。とくに流雪溝や水路などは雪が解けることができずの詰まりがおきますので用心が必要です。

村ではこの季節に奥深い山岳へ向かう方は少ないでしょうが、山の急斜面がある場所で工事や作業などをする方々は雪崩に要注意です。また毎年これもよびかけていますが、スノーモービルで深山に入る方々は、ワスへとくに警戒してほしいものです。

先日まで堅く締まっていた積雪の上に、いっきに大量の新雪が積もったときは、「ワス(表層雪崩)」発生の典型的な条件ができるからです。ワスは、予想を超える長い距離を猛スピードで下りますから、作業をしている場所の近場だけでなく、遠く延長線上にワスのする箇所がないか、注意をはらうことも必要です。

▼今日は、県南3ヵ町村議会の議長と事務局長の集いがあります。わが議会が今年の当番地で、活動計画などを決める予定です。

なんと美しい寒中のヤマドリ

きのう記した八卦沢の冬の景色をまず最初に。Kさんがつくり続ける農地もここだと1㍍50㌢近い積雪の下になっています。

大寒をはさむきのう朝まで一週間ほど、降雪がゼロだったりわずか数㌢だったりで、朝の雪寄せをしなくて済む日が続きました。

すでに積もっていた1㍍50㌢近い雪も、晴天や雨、放射冷却などで次第に締まり、春の堅雪渡りのように雪上をキャンジギ(カンジキ)なしで楽に歩ける日が幾日もありました。

そんな堅雪の上にふわりと3㌢ほどの新雪が降った22日の朝、曇り空ですが、生きものたちの足跡がよく見え、しかも樹木の枝に雪がほとんど着いていませんから雪上の足跡が午後になっても消えずに残っています。こういう日は、生きものたちを追跡するにはまたとない機会、ひと冬にほんの数えるほどしかこんな条件の日はやってきません。しかも、足が雪に沈まないめずらしい寒中の堅雪です。役場の所用を済ませてから「これは、またとない日、山行きだ」と急きょ決め食料をバタバタと詰め裏山へ2時間ほどむかいました。

カンジキなしでも歩けますが、時にズボッとぬかることもありますのでとりあえず履いて歩き開始。Kさんのたんぼがある沢をスタスタと登ります。

予想したように雪上は、イタチ、ノウサギ、キツネ、テン、リス、アオシシ(マッカとも言うカモシカのこと)、ヤマドリたちの足跡があちらにもこちらにもいっぱい。

沢の上流部にたどり着いたら、朝に杉林から出てきて沢に入ったヤマドリの足跡が目に入りました。沢の流れは所々が積雪でふさがれていて、穴のあいている箇所からヤマドリは入り、流れのたもとで青草や小石などをついばんでいるのでしょう。入った穴の箇所よりほかの穴には足跡が見えませんから、もし飛び去った後でないとすればヤマドリは足下の沢にまだいるはずです。

カメラを構え、息を止めて、穴の空いている沢の流れに足で雪を落としてみました。が、気配はありません。「やはり、朝の食事を終えて飛び去った後か」と思い、いま一度雪を蹴落とした瞬間、前方10㍍ほどに空いている別の穴から雪の上にひょいとヤマドリが頭を出しました。沢にできた雪のトンネルをくぐっての食事中、こちらに気づいたのです。

よく、ドドドーッの羽ばたき音で瞬間に飛ばなかったもの。これ幸いとまずはその頭にカメラをむけ、ありがたいことにすぐには飛ばずに今度は雪上に全身をみせて数歩走りはじめましたので、またシャッターを押し、最後の飛翔は、あまり早くてよくとらえることができませんでしたが、再生してみたらかろうじて羽をひろげた瞬間が一部写っていました。寒中、雪上のオスヤマドリ。狩猟時や、じっと隠れて待っていての生きもの撮影なら簡単な写しでしょうが、ただ歩いていてのこんなカメラ目線出会いはなかなかないのです。

沢田づくりが消える時代

村のほとんどで、各集落の前後には成瀬川に注ぐ支流の小沢があります。

食糧難、あるいはお米の価値が最も高かった昭和の時代には、これら沢沿いの、ネコの額のような土地までがたんぼとして大切に耕され続けました。

減反政策が長く続き、お米の価値が当時では考えられないほどに低下、一方では農機具や農薬、肥料をはじめ生産コストの増加、それにともなう作業委託料金の高止まりなどもあり、村の沢沿いたんぼはおそらくことごとくといってよいほど稲作には終止符がうたれています。

わが集落もそれは同じで、横手市山内三又との境界に接する荒沢、八卦沢、岩井沢は、かっていずれも水が豊富なために春の早苗田、秋には豊かな稲穂がみられた土地でしたが、今はたんぼとしての水稲作付けはどこにもみられません。集落南側の川向かいのたんぼも、やはり数年前までかろうじて耕作していた方たちがいずれも水稲作をやめ、黄金色の稲穂を今はのぞめません。

そのうち、八卦沢では、一昨年まで82歳になるKさん一人が長年がんばって稲作を続けてきましたが、昨年ついに作付けを断念。それでも、転作として野菜づくりには励んでいますから、たんぼはこのとおりとてもよく保たれ、沢の農地は、Kさんの流す汗のおかげで人と自然がつくる景観がみごとに維持されています。ありがたいものです。

荒れる沢田、黄金色の稲穂景観、お米のことをこうして時々記すのは、「豊かな食ができる農地をこんなにして、わが国は、これでよいのか」という思いが湧くからです。

飽食とか、ご飯を食べる人が減っているとか、全体としてお米の消費量が下がっているとかの現実はあるでしょう。が、一方には、度を過ぎた格差社会進行のなかで、国内でも三食に事欠く方、ご飯をおなかいっぱい食べられない方の姿が報道されることもあります。それを世界規模でみたなら、国内の比でない「飢餓」にある人々が8億人近くもいる現実もあります。

先週の大河ドラマ「西郷どん」は、俵詰めのお米をありがたく見つめる場面をみせ、また、西郷家が借金をしてお米を求め、家族で久しぶりにご飯を食べられるうれしさを演じました。大正、昭和と生きてこられた年輩のみなさんなら、自分の体験とドラマのこの瞬間を重ねて、「ご飯が食べられる喜び」を振り返った方もおられたのではないでしょうか。

たとえばお米が獲れるところでお米がつくられず、8億人もの飢える人々がいる。一方では膨大な世界の軍事費。「地球より重い」とさえいわれる人命にかかわる大きな課題を人類は諸々背負っていますが、その矛盾を惑星地球号の住人はいつ解決できるのでしょうか。

商工会の新春懇談会、大寒の堅雪

恒例の村商工会新春懇談会が19日に開催されました。

懇談会の一部では、プロバスケット秋田ノーザンハピネッツの元ヘッドコーチ長谷川誠氏が「プロ意識とプロマネージメント」と題して講演。長谷川氏は、能代工業高校時代、大学、社会人、そして米国、全日本、ノーザンハピネッツでと、学生、アマ、プロ時代のバスケットを通じた体験に触れながら、競技力向上とともに人間として大切なものは何かをとつとつと語りました。

 

懇談会は成瀬ダム振興事業協同組合とも共催。それもあって、この日は実質的に本体工事に入っている(ダム堤体部の掘削工事)と私たちはみている成瀬ダムについても、ダム工事事務所側から事業状況の説明をうける時間もとられました。

 

2部はいつものように懇親の席。会員のみなさんは、雇用確保、産業振興で大きな役割を果たされていて、なおかつ村の様々な分野の知恵袋として村勢発展のカナメ的存在の方々でもあります。それだけに、お一人お一人が個性あふれる論をもたれ、経営方針もそれだけに多様、進取の気概あふれる方々も多いですから、会話のなかでこちらはたくさんのことを学ばされ、今後の活動の参考になりました。

▼所用の途中に入道からながめた20日朝の鳥海山頂上と、寒中の陽射しにキラキラ光る
雪原です。

この日の雪原は数日間の降雪なしで雪がよく締まり、大人が歩いても雪に足が沈まないこれはほとんど堅雪状態。大寒の日に堅雪状態などというのはめずらしいことでしょう。天気も快晴、こんな日にブナの森の深山にむかえたら、きっといい景色が拝めたにちがいありません。

 

 

 

 

 

 

昨日朝まで久しく除雪なしの日が続きました。最も厳しい寒中に雪寄せしないで済む日々が続くのは予想外。今週に予測されている猛烈寒波は、西の地方や太平洋側にも雪を積もらせるとの予報ですが、そうだと、北日本の日本海側はいつものようにそれほどの雪とはならないのか、それともどっと積もるつもりなのか、いずれ警戒は怠れません。なにしろ大寒の最中ですから。

 

鬼首~鳴子トンネル化で冬の仙台行きが苦でない

所用で二日間、雪のない仙台に滞在していました。

雪道の高速道路は怖くてなるべく走りたくないこちら。これまでの仙台行きは山形東根経由が多かったのですが、国道108号の鬼首~鳴子がトンネル化で大幅に改良されていましたので、今回は秋ノ宮経由で往き来をしました。

二日間とも寒気が緩み道路も快適。こちらの暮らす県南のわが村は位置的には東北のヘソともいわれるいわば中心部。秋田の村といっても仙台までなら岩手県南や宮城の県北山間地方と距離的にはそんなに変わりませんから、北上経由などで遠回りせず古川から高速に入れば時間だけでなく距離的にも「遠い」という実感なく最短感覚で仙台に到着です。

これなら高速料金もほんの少しで済みます(私の軽ジープでたしか片道千円ほど)。あの道路改良では、トンネルの起工式、そして完成後の開通式と出席、国交省東北地方整備局への要望活動でも時々通っていましたが、こうして所用で通ってみて、道路改良のありがたさを、往きも帰りもあらためて思せられた仙台行きでした。途中には、一休み、買い物に手頃な道の駅もあります。

こちらは1㍍をこえる積雪でも、大崎地方の平野部から向こうは積雪ゼロ。ほぼ同じ緯度の地にありながら、奥羽の峰をひょいと越えただけでのこのちがい。冬半年間の雪の有る無し、あるいは雪の多寡、気流と山がつくるあまりにもちがいある景観には、いつものことながら自然の力の大きさをつくづく感じます。

山脈の壁は、冬場には雪をつくる壁であり続けるとともに、夏場は北から村へのオホーツク寒気の流れ込みを弱める壁となり、過去には福島原発事故の放射能気流が入りこむのを防いだ壁でもあったと思います。ブナの森の大山脈は、さまざまなかたちで人々のくらしになんとも大きな影響を及ぼしてくれているものです。

水利は雪国ぐらしのカナメ

積雪情報でお知らせしているように、例年、2㍍ほどの積雪を結果としてはみる村ですから、寒気本番の旧正月までにはおそらくその数値に達するでしょう。

雪のたまりやすい我が家近くは積雪1㍍50㌢近くに達していて、「もう、雪は十分だ」という量になっています。それだけに、ここ数日間のように朝の除雪作業なし天気が続いてくれれば気も体も一休みできて、あとひと月の寒波本番へ再備えの余裕ができます。

寒気の最中、積もる雪2㍍を毎年解かし続けてくれるのは、我が家ではエド(井戸、池)の水。屋根雪の半分ほどはこれで解かされ、さらにその水は道に流され消雪の役割も担います。

雪国の水利は、単純に「受益」の媒体としての農業用水路というだけでなく、その多くは夏期だけでなく、水道と同じで年中使われる欠くことのできない生活用水でもあるのです。