豪雪の山里らしい年末です

師走なのに寒中を思わせるような厳しい真冬日が続きます。今日の雪の降る様子を見て「こりゃあ、この冬は豪雪を覚悟か」と思いはじめたところです。

そんな年末猛烈寒波のなかで仕事納めの日をむかえました。

役場前ではいつものように年の瀬の朝市が開かれ、年越しやお正月用の品々がならび、甘酒がふるまわれています。

わたしの今年の活動だよりも今日が納め日です。山里ぐらしのほんの一すみをお届けするたよりを1年間開いていただきましてありがとうございました。来年もどうかまたおつきあいのほどよろしくお願いいたします。

来る年は1月4日に通年議会が招集されていて仕事始めとなります。お互い、交通事故や雪の事故などに遭わないよう気をつけられてよいお年をお迎えください。

年末最後のあらげぞら(荒げ空)

きのう朝からほぼ休まず降り続き、夕方まで30㌢をこえる積雪が新たに重なりました。夜から朝は台風並みに発達した気団のために集落は猛吹雪に襲われました。強風とともに降った雪のほとんどは飛ばされて風下に吹きだまりとなり、それが屋根ではマブ(建物の風下にできた雪庇)に、山の尾根筋ではダシ(尾根の風下にできた雪庇)となりました。

 

 

 

地形上、村内でも「風の強く吹く集落」として知られるわが住む 所。そのために昨夜の雪は屋根にはほとんどたまらず風下にマブとなりました。それが今朝自重で耐えきれなくなり「ドーン」と音をたてて欠け落ちました。落ちた時の圧力で家がガタガタと揺れ、それで目覚めるということに。

こういうマブ、ダシ(雪庇)が発達した後の雪下ろし、登山や雪原の端歩きはとても危険です。ダシを踏み抜いて屋根や稜線から転落したり、山ではダシの落下がワス(表層雪崩)を誘発することがあります。山歩きでほかの人の転落を直前で見たり、カモ猟で雪原の端歩きをしていて川岸に転落した体験したことのある私は、雪庇の怖さが身にしみています。

▼横手での所用果たしついでに、「年越し、お正月用の買い出し」につきあい、なじみのスーパーに入り野菜や果物などの陳列棚をながめました。今にはじまったことではありませんが、そこであらためて「中国産」商品の多さにウーンとうなりました。

山菜などはその典型で、量としてはだんぜん多いゼンマイやキノコのサモダシ(ナラタケ)をはじめ、なんとアガキノゴ(サクラシメジ)にも中国産の字が。キクラゲなどもふくめ、乾燥できる食べもの、塩蔵できる食べものなど、貯蔵のきく食品は中国パワーが圧倒しています。

今年最後の公務会議

きのうは湯沢雄勝広域市町村圏組合議会の12月定例会が開かれました。公務としての予定ではこれが今年最後の会議です。

全員協議会で議案の詳細説明やいくつかの報告がなされ、本会議では、鈴木管理者が業務全体にわたる業務報告を行い、補正予算案など2議案を審議可決しました。

業務報告では湯沢火葬場についても触れられ、施設稼働開始から34年を経過し老朽化が進み、施設全体が狭隘であることから、施設の今後のあり方を検討する「湯沢火葬場検討委員会」が、市町村の担当課長と組合職員を委員として6月に設置されていることも報告されました。

道跡から歴史をしのぶ

土曜日、物置小屋の雪下ろしついでにわがたんぼ脇の里山にあがってみました。

ここは積雪が1㍍を優に超えています。たんぼがあるカドリノ(川通野)の台地は古来から椿川・手倉地区と結ぶ道があったところ。その台地より先の大部分はいま杉の林になっていますが、道筋跡は冬になると藪が雪に押さえられますからこのようによくわかります。

今のように道路が川のすぐ脇を通るようになったのはいつの頃なのか私にはわかりません。村の郷土誌には、明治12年(1879年)1月に調べられた地図が記載され、明治24年に椿川村が豊ヶ沢の弘法下を七拾円で売り、その代金で新道を開削したらしい旨は記されています。新道が通れるようになったのがその年なのかはわからないのです。

ともあれその旧道、村道55番目の指定とされている柳沢線は、大部分が山道のままで、手倉越(仙北道)をのぞけば昔の人々の踏み跡がすぐ近くで偲べるところ。

源義家、義経、そして平泉藤原三代の礎を気づいた清衡、さらに高野長英、禁令の頃のキリシタン、戊辰戦争に関わった藩兵たち、蓑虫山人等々、この道を通った、あるいは通ったであろう人々の踏み跡にまつわる私のロマンはどんどんふくらみます。ここで、一服しただろう、ここの水で喉をうるおしただろう、義経主従はそのときどんな会話を交わしただろうなどと。

さて、話題は少し脇へとびます。その踏み跡近くの平たい峰一帯は、石のほとんどない赤土の厚い層です。そこは土が軟らかくて掘りやすいものですから、アナグマのつくった巣穴が集中して見られます。このことは毎年お伝えしていますが、アナグマは現在冬眠中のはず。ということは、厳冬の季節にも厚い雪に穴を通し土穴から出入りしている生きものの跡は、アナグマの穴を間借りしているムジナ(タヌキ)ということになります。

種の違う同士ながらアナグマの掘った見事な地下すみかの一部をタヌキが使わせてもらっているのはよくあること。今度、足跡を正確に観て、現在の穴の主を定めようと思います。

写真の集落はわが地元部落の遠景です。一番近くでほぼ集落全体を見渡せる場所でもあるので、毎冬一度はここに立ちます。

▼この日、家の玄関から向かいの山を眺めたら、雨天のなかで立ち止まったままのアオシシ(カモシカ)が目に入りました。600㍍ほど前方ですが、老眼のこちらも遠くへはまだ目が利きます。

双眼鏡でのぞいたら木の芽か常緑の草を食べている様子で、1時間近く同じ場所に立ったまま。はんすうなどのために長時間座って休むことはよくあるのですが、立ち姿で一点に長くとどまるのはめずらしいこと。きっと、よっぽどおいしい食べ物があったのでしょう。

穏やかな冬至前日

木々に一日前から着いた雪が落ちずにそのままのところへ夜中にうす~い新雪が重なり、朝から快晴、風もなし、気温およそマイナス10℃。きのうはめずらしい条件がそろった雪の村となりました。

久しぶりに早朝の除雪車出動もなく、オペレーターのみなさんもゆっくりの朝だったでしょうが、日中もその穏やかさが続いて、行き交う人々のあいさつも「え空で(よいお天気で)、ええな」でした。陽のあたる自宅のしごと部屋なら暖房もいらずで、こんなお天気は冬の間には数えるほどしかやってこないのが冬の村。

ちょこまかの所用を果たしついでに、そんなうれしくて明るい冬景色のいくつかをおさめとっておきました。こちらがよく通う県境や郡境の尾根もいい輝きを見せていました。こういう日に高見の尾根にのぼれたら、もっとわくわくするような景色を眺められ、冬の生きものたちとの出会いも楽しめたでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▼盛況に終わった秋田でのねんりんピック。パークゴルフ競技がおこなわれた村でも、きのう締めの実行委員会がおこなわれ、現場責任、運営に尽力された方々の労をねぎらいあいました。

実行委員会の主な目的は、大会の円滑な運営をはかること。こういう催し事の世界は「円滑に終わってあたりまえ」というのが世の常識。大きなトラブルなく、全国から招いた方々に満足していただけたのは、事務局の尽力、そしてパークゴルフ協会のみなさんの奉仕活動、各団体・個人のご協力があったからです。皆さんごくろうさんでした。

母屋を初の雪下ろし

きのうは、今冬はじめて住宅母屋の雪下ろしへ。下屋は二度目の下ろしとなり屋根の上でびっしり半日過ごしました。我が家だけでなく、お隣も、そのお隣もみんな雪下ろしです。

 

ほんのわずかの間でしたが、久しぶりの青空をうれしく拝ませてもいただきました。雪国真冬の空は鉛色の雲にほとんど覆われ続けですから、お日様と青空はそれだけありがたいのです。

屋根のそばにはクリやケヤキがあり、そこには冬の小鳥たちがよくやってきます。きのうもシジュウカラの群れに混じってヤマガラらしい姿(写真)も観られ、動いている私たちのほんの近くで小枝の翔び移りを繰り返していました。

たった半日の屋根上労働ですが、記録の歩数は約9,000歩。正確な万歩計ではありませんが、溜めていた雪が重いこともあって、結構いい運動になりました。

眼の治療を終える

両眼の手術後、1年間にわたって点眼治療を受けていたが、主治医さんから「少し、気になるところがあるが、まずよいでしょう」との診察で眼科通いをようやく終えた。

「翼状片」という眼の病で、原因としては紫外線の浴びすぎなどがあげられている。仕事でも趣味でも、子供の頃から現在まで、山と雪上でのうごきが多く、しかもサングラスを使わなかったので「紫外線が原因」にはうなづけるところがある。

2回にわたる短時間の手術で「翼状片」は切除され、ひどかった乱視もほぼ正常になったが、老眼だけは相変わらずで、眼鏡なしでは本も新聞も読みにくいままだ。

「外出時にはサングラスを」と、これまでかけたことのないほど私にしては高価なサングラスを眼鏡屋さんでこしらえプレゼントしていただいたが、治療が終われば眼のことはいつの間にか忘れてしまい、サングラスは車のダッシュボードにおさまりっぱなしがつづいている。「病治りて医者を忘るる」のいい類いである。

私の老化は、手術にあうほどのことという部位ではまず眼からきて、それは一時の補修をした。これから先、今度はどこに老化のあらわれ、医師のお世話になるところが出てくるのか、頭か、足か、腰か、内臓か、それとも……などと、そんなことが気になってきてだろうか、山科正平氏(北里大学名誉教授)著の「新しい人体の教科書・上下(講談社)」をいましょっちゅう眺めている。

眺めているというのには理由がある。これは文字どおりむずかしい教科書だからである。それで、文章のわかるところだけをひろい読み、カラー図解のわかるところだけを「眺め」るわけである。眺めるだけしかできなくても、これは、老化そして病が避けられないだろう自分の体を知るうえでとても参考になる。病治りて医者を忘れても、この著書だけは時々ひらくことがこの先もありそうだ。

▼きのうは農業委員会の年末懇談会へ。今年は、農業委員の公選制度が廃止され、新しい制度のもとで農業委員会業務にたずさわる方々が選任され活動している。昨年から、この制度移行にあわせた枠組みをつくるためにご尽力いただいた各位と、新たな職務につかれたみなさんへ感謝を申し上げ、挨拶の一言とした。

旬のハタハタ

秋田名物とうたわれるハタハタ。今年は同じ沿岸でも男鹿をはじめとする昔からの本場漁場への接岸が遅く、漁期のはじまりで新聞やテレビをにぎわしたのは仁賀保市の各漁場でした。

男鹿でハタハタがトンという単位で獲れだしたのは先週。過ぎた週末に所用で集落をまわったら、家々の玄関に箱入りのハタハタが一つ、二つと目に入りました。毎年のことで、魚屋さんへ注文していたのがやっと入荷の運びとなったようです。男鹿でも獲れ始めたのでようやくこちらにも大量にまわってくるほどの流通量になったのでしょうか。

わが家もブリコ(卵)入りハタハタ大小50数匹が入った一箱を4,700円とかで求めてきたそうで、いちばんおいしい時の初物を焼いてごちそうになりました。

粘るブリッコ、なんとも表現しがたい上質の薄い脂がのった焼き魚の味、一年の締めくくり年末、そして明ける年始と、ハタハタがなければなんだかものごとのケジメ、始まりがつかないほどくらしから離れない我が家、というより秋田ケンミン。ハタハタは鰰、雷神(神鳴り)様がつかわしたおめでたい魚との説もあるそうですが、神の字がつく魚のいわれがわかるような気もしてきます。

ところで、ハタハタといえば、普段は釣りなどまったく縁のない方々もふくめて沿岸部へ釣り人が集中する秋田。餌釣りではなく、漁港などに接岸したハタハタの群れにいくつもの針を垂れて魚体のどこかに引っかけ釣り上げる方法の釣りらしく、鮎のとも釣りにやや似たものなのでしょうか。ともかく、ご夫婦連れなどもふくめ、俄にうまれたハタハタ釣り人口はこのようなわけで急速に増えているようです。

毎年のことながら、それら釣り人の海への転落が多発しているため、近年は釣り許可の場所が特定され狭まっている由。関係者の取り締まりパトロールもよく見かけるそうです。加えて今年は、北朝鮮からとみられる木造漁船や遺体などの漂流漂着が多発していますから、いつもの年よりはるかにパトロールは強化されている模様。沿岸部はそれがために、許可場所は以前よりさらに混み合う現象もあるとのこと。

そんな中、ハタハタ釣りとはまったく別に昔から海へ川へと釣りを大の趣味とする友人が、16日、例年のようにハタハタ釣りにも出かけたようです。でも、「今年の釣果はよくない」と聞きました。初めの頃に出かけた「ハタハタ限定釣り人」中には一定の「漁獲」を得た方々もおられたようですが、今年は接岸数がやはり少なかったのでしょうか。

▼25日に広域市町村圏組合の12月定例議会が予定されていて、きのうはその議会に提出される議案や全員協議会で協議される案件などの説明を各課長さんたちから受けました。

スキー場安全祈願、雪下ろし

15日はスキー場安全祈願祭。我が家の集落ですでにこの日で80㌢をこえる積雪でしたから、スキー場はそれを上回る雪。まだ一部ゲレンデの運用だけのようですが、おかげで、昨年と同じように早い営業スタートがきれました。

「まだ雪下ろしはやらなくてよい」などと思っていましたが、先月末から積もっていた雪に断続して雨が降り、通常より何倍も目方がかかった雪で屋根は重みに耐えている様子。それで、作業小屋や車庫、小物置小屋や住宅下屋などの雪下ろしに今冬はじめて本格稼働。

案の定、雪は重く、積雪量も案外多く作業は体のすべての力を注ぐほどのなかみ。日に肌着を二度替えるほどに汗を流しました。下ろした後のきのうからも雪は降り続き、この調子だと年内にもう一度の雪下ろしは避けられない空模様です。

▼小屋の作業に向かった際、そばの雪上に新しいヤマドリの羽とキツネの足跡が。猛禽類に襲われるか追われたのでしょうかよくわかりませんが、この様子だと、おそらくヤマドリを仕留めたのはキツネ。尾羽はオス、まだそんなに羽の長さはなく光沢も弱いので若鳥でしょう。

 

雪のシーズンになれば、このように動物たちの「生きるための動きの跡」がとってもよくわかるようになります。生きものたち観察のうれしい冬本番が今年もまたやってきました。

雪を寄せながら

農作業場前の除雪作業でロータリー除雪機をきのう動かしました。今冬初めての稼働で、屋根から下ろした雪がやがて高く重なり、そのままにしておいては雪下ろしが出来なくなるための作業です。

近年の村は自然落雪方式の屋根構造が多くなり、2階建ての家でも屋根全体の雪が滑り落ちるとたちまちのうちに軒下に雪が重なります。当然、その雪を除雪しておかないといずれは屋根雪がつかえて落下できなくなるので、屋根からの雪下ろし作業はないものの、落下して堅く締まった雪を除雪する作業はつきもの。その主役は機械です。

水が豊富で条件のよい方は軒下に池(雪消しエド)をつくり自然消雪をはかる方もいます。しかし、そういう豊かな条件、環境をもつ方はごく限られるでしょう。

豪雪の村の家々でロータリー除雪機が購入されるようになり、あるいは個人でも小型のショベルローダーなどを購入される時代になったのにあわせて、落雪方式の屋根構造がいっきに増えたような印象をもちますが、どうでしょうか。それに、世間の多くも、大工さんも、「片屋根の住宅はつくらない」というおかしな昔流儀が以前はあって、それも落雪方式の家屋づくりを遅らせた一要因とも思われます。「型を重視し、現実の難儀を軽視した」ということでしょうか。

いまの村の新築家屋は、落雪構造か、雪下ろしが必要な家屋でも危険のない平たい屋根構造になっています。「雪下ろし」などは少数派になりつつあるのかな。ですから、いずれこれから50年後ほどには、「住宅の雪下ろしで事故」ということは、村内ではほとんどなくなるかもしれません。下ろす作業にも危険防止策が強調、工夫されてきましたからね。

場所が狭くて落雪構造もできない、雪もロータリーなどで寄せ難い家屋密集の市街地は今後もしばらくは「雪下ろし」が続くでしょうが、それももっと簡易で費用も安い「下ろさなくてよい方式」がきっと考えられるはず。

それにしても、ちょうど道路にまかれる融雪剤(塩)で自動車の車体が腐食するのを何十年も克服できない(どうして、車のメーカーは、塩腐食に強い車体をつくらないのでしょう)でいるように、わが国は、「雪からの差障りを克服する手だて」においてもっと頭脳の集積をはかってよいのではないかと、塩でサビついた車をみる度に思います。そういう思案がなぜはたらかないのか、当方にとっては不思議なことのひとつでもあります。

▼サツマイモ、ジャガイモと、冬はお芋のおいしい季節。関東方面の友人、親戚などからおいしいお芋が毎年秋から冬にかけて届きますが、そのうちのひとつが相模野の台地で獲れた芋は芋でもやまと芋。20歳の頃1年間農業先進地研修でお世話になった相模原Sさん宅からのおいしい冬の部の定期便です。とろろにしたり、焼いたり、てんぷらにと、若い頃はたらいた台地や、近くを流れる相模川を思い出しながらごちそうになっています。