広域市町村圏組合の臨時議会、議長選出

湯沢雄勝広域市町村圏組合議会の臨時議会がきのう開かれました。
28年度会計の決算審議を主目的として開かれる議会ですが、今議会は、湯沢市議会が改選後の初議会でもあり、組合議会の議長が空席となっているため議長選挙も行われました。組合議会の新たな議長には湯沢市議会議長の佐藤功平氏が指名推選で選出されました。

広域議会の副議長職に就いているため、このところ2年に一度はこういう任務で臨時の議長職となり、議会前の全員協議会、そして議長選挙までと議事進行をつとめました。

湯沢市議会から選出された広域組合議員のみなさんのうち、議長を含むお二人はベテラン議員でかつて広域議会で共に仕事をしたことがあります。ほかは広域議会は初となるやはり市議会の大ベテランの副議長さんと、今回の市議選で初めて議会で活動することになった若手のみなさんです。

それぞれの議会の長い歴史のなかでも、1期目の若手のみなさんが広域議会で活動するというのはおそらくこれまでにそうはなかったこと。それだけに「期待しています。がんばってください」という旨を、フレッシュ雰囲気いっぱいのみなさんへ語りかけました。

平成28年度決算額は、歳入が約62億2千万円、歳出が約61億9千4百万円となりました。前年度比で歳入歳出が約28億円も増となったのはクリーンセンター整備事業(ごみ焼却場)の最終年度で事業費が最大となったためです。職員給与一部改正案などをふくめ議案はいずれも可決、認定されました。

▼長年続けていた猟銃の所持をやめ、今はワナの免許所持で猟友会に所属しているこちら。免許はあるものの猟にはまったく出かけていませんから、ここしばらくは獲物を自分で解体し食すという作業はやっていませんでした。食べるのは、全部解体された後にみなさんからいただいた鳥や獣の肉、あるいはすでに鍋に入って調理された肉で、自分が解体に手をかけた肉というのは何年もの間ありませんでした。

それが、先日、鴨を丸ごとそのままでいただいたものですから、羽をむしり、内蔵、骨、肉、血管、食道、気道、そして少々の血の塊と、久しぶりに生きものの体に刃物をあて、食べられるかたちに分ける作業を体験することに。切れ味するどいナイフで腹を割き五臓六腑をすべてみるのでちょっとした「解剖学教室」みたいです。

こうして生きものの死と直接むきあい、解体の作業を体験する、あるいは観るということも人には大切です。生きものを食べるという行為、「肉」というものは、こういう作業を経てはじめて人の口にはいるもの。それだけに命の尊さを思い、命を奪った結果の「肉」は、大切に残さずいただかなければならないということを、いつかある集いで語ったことがあります。きのうは、あらためてそのことを強く思いながら包丁、ナイフを動かしました。写真は、解体後の抱き肉(胸肉)と骨付き肉です。とってもおいしくいただきました。


 

12月議会を前に議案説明の全員協議会

議会の運営委員会がきのう開かれ、村議会12月定例会議の日程を1日から8日までとすることを決め、1日は各行政報告を、7日には一般質問が行われる予定です。

その後の全員協議会では、特別職や職員の、報酬、給与等の改正案や、人権擁護委員の諮問案、各会計補正予算案など提出される議案の説明が行われました。

久しぶりに風もない穏やかな晴天となり、焼石連峰のさんさげぇ(三界山)や権四郎森(南本内岳)の雪山姿が青空を背景にくっきり浮かびました。

所用を果たしながら集落を回ったら、猟仲間で大ベテランのAさんが「20日の雪の後に、里山にいたクマたちの多くが県境の深山渓谷に向かった足跡をいっぱい見た」と語りました。あの雪で、先週に穴入りを覚悟し、夏のうちに自分が決めていた冬ごもりの穴へまっしぐらに向かったのでしょう。里山でも、クマの足跡の多さが「すごかった」との体験談をお聞きしました。

まだ里山にモソモソしているクマたちも、この後にまた強い寒波がくればおそらくほとんどが越冬穴に向かうでしょう。もちろん、わざわざ深山にむかわなくとも、里山にも越冬用の穴を確保しているクマたちもたくさんいますからね。

そのAさんから、「ほら、食え」と、シベリア方面から渡ってきたのでしょうアオクビ(マガモ)を1羽丸ごといただきました。解体調理はこれからですが、寒さきびしくなるなかでの脂のよくのった「鴨鍋」のつつきあい、そして抱き肉(胸肉)の焼き肉、これは猟仲間がいるからこそ時々いただけるうれしいごちそうものです。

知事と市町村議長との行政懇談会

知事と市町村議会議長との行政懇談会がきのう県市町村会館で開かれました。

知事をはじめ副知事、教育長、県警本部長、県の各部長、幹部職員のみなさんとわれわれ議長が会議で席を共にするのは年に一度のこの会議だけ。

両議長会から提出される要望とそれへの県側の答えを聞くというのが会議の最大の目的ですが、後に、じっくりと会話できる時間がとられているということも、出席者同士、地域の情報やいろんなことを学び合ううえで貴重な場となっています。

県の幹部さん、県央部や県北の議長の方々から、いつものように「雪はどうですか?」と聞かれましたので「50㌢前後の積雪です。雪下ろしをしている方々もいます」と答えたら驚いていました。秋田市内は積雪ゼロ、「こちらとは世界がちがいます。異国のようです」と、世界有数の豪雪の村と沿岸部の雪なしの土地を比べて申し上げておきました。同じ県でこんなにちがうのですから、たまげてしまいます。

その雪の村は今朝-6℃。きのう秋田の会議に出かける前、所用で村をまわったら「雪が重いので屋根に上がった」「屋根にいっぱい溜めると後で下ろすとき難儀なので、まず一回目の下ろしに上がった」と語る方が各地におられました。積雪量だけでなく、湿り雪なので重量があるようです。「20年ほど近く前にもこんなことがあった」と語る方もおられました。よく記憶されているもので、私の頭の記憶ポケットにはそれがまったくありませんから、記憶というものには大きなちがいがあるものです。

50㌢ほどの積雪をみると屋根に上がるのがここらのごく普通の人々の動き。ですが、こちらは、まだ11月ということもあり、時間もありませんでしたので、「そのうち3分の1ぐらいに雪は減るだろう」とタカをくくってきのうまでは屋根には上がっていません。

根雪を覚悟しながら保育園発表会

人里に初の大雪となった20日朝。すでにみなさん除雪機械を初稼働させていたでしょうが、こちらはその時都内にいました。その後週末にも予報どおりの雪がきて、24日朝にはわが家も除雪機械の初出動、翌日朝も「ほほう」と思うほどに積もった雪を続けて除けました。

保育園の発表会があった25日は、朝だけでなく日中も雪降りが断続し、その降りようを見て「11月中に雪下ろしをしなければならないかな?」との冗談と本音が半々混じった会話も笑いながら交わされていました。

村はもういずこも厚い白の世界、これで根雪を完全に覚悟です。こちらの記憶ではめずらしいほどに根雪の訪れの早い年となりそうです。

そんな雪の世界に映えるのは木の実たち。ニシキギの仲間(昔はこの柴木で掃除用の柴ほうきをつくった)、そしてウメボドゲ(ツルウメモドキ)の、赤、紅、黄、それにウルシの仲間の房実が家まわりのあちこちにいっぱい。地面が厚い雪に覆われたこれからは、小鳥やヤマドリたちがこれらの実をめざして飛んでくるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▼保育園のなかよし発表会は、観るわたしたちの側が子供たちから元気をもらう日でもあります。子たちの保護者はもちろん、おじいさん、おばあさん(祖父のみなさんもその多くはお若いですからこの言葉はどうも適当でないかも)もかけつけますから会場はいつもの年のように満席。

子たちひとりひとりの個性ある表現、うごきに、例年のようにあたたかい拍手が続きました。苦労して育ててきた日々のことが目にうかぶからでしょうか、その成長ぶりに感激してでしょうか、会場から注がれるご家族のみなさんの視線にも熱いものを感じた半日でした。子供って、ほんとに宝ものですね。保育士さんをはじめとする保育園のみなさん、発表会の準備に縁の下の力持ちをされたみなさん、ごくろうさま、ありがとうございました。

地方自治に関わる二つの大きな集い

▼20日は地方自治法ができてから満70周年を記念する式典と記念シンポジウムが東京国際フォーラムホールAで開かれました。式典には約3500人近くの地方自治に関係する団体代表などが出席。平成の市町村合併で町村数が大幅に減じた今(平成11年の町村数2558が平成22年で941)では、公的政治の全国からの集いとしては規模の大きな式典です。

総理、衆参両院議長、最高裁長官が出席のもとで天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、主催者の野田総務大臣が挨拶をのべられ、自治功労者の表彰に続いて3権の長がそれぞれあいさつをのべられました。天皇の退位時期の予測が報道され国民の関心が大きくなっている時だけに、両陛下に注がれる会場の視線と雰囲気は、これまで私が体験した時とはやはり趣がちがう独特のものを感じました。式典の内容からして当然の配慮でしょうが、10時半からおよそ30分間の式典のうちは、報道関係者以外の写真撮影が禁じられていますので、その時の様子を思い起こしながら記しているところです。

この日は、衆議院選挙後初の国会代表質問が行われる日で、式典は11時で閉会、その後に衆議院本会議が開会されていました。

式典後のシンポジウムでは、この類いの集いとしては避けられない時間の制約があるなかで、写真の方々が説得力と個性あふれる持論を展開されました。パネリスト各位の経歴と実績をみればおわかりのように、記念シンポにふさわしく地方自治のカナメは何か、厚みとともに新鮮さいっぱいの議論をお聞きすることができました。

私のメモの中には、「資源を活かした個性あるまちづくりを」「今後は住民自治の活性化を」「災害対応では、恒久的な国の法支援体系が必要」「国から予算をもらってくるのが地方政治家のつとめという時代ではない。自分の地域だけでなく国をかえるという意識で」
「大人が町の魅力、誇りを子供たちに語ることが大切。一次産業を豊かにしたい」「地方政治に住民が関わることが大事。そのためにも首長と議会の能力を高めること」などをパネリスト各位の発言の中から抜き出し記しています。最後のメモには、ある首長が語られた「議員の質問には、ズラ(聴き取りがあやふやでちょっと言葉が正確でないかも)さず、まっすぐ、まともにこたえる答弁につとめるよう職員に言っている」という旨の発言も記しています。さすが、全国的に注目されている首長さん、よく一人一人を見て、しかも具体的な忠告をされ、こういう場で、それを発言できるものです。

シンポまでの合間には、東京消防庁音楽隊による吹奏楽演奏のひとときもありました。政治経済の中心で過度といわれるほどに一極集中がすすみ、国民のはたらきの財産も多くが集められなんでもそろう首都東京。総務省下の消防庁音楽隊の生の響きをはじめてお聞きしました。

▼21日は、翌日に開かれる町村議会議長全国大会で決議する内容などをふくめ、県町村議会議長会による県選出与党国会議員への要望と懇談会がグランドアーク半蔵門でおこなわれました。同じ会場では、いくつかの県の議長会や離島関係などの議長会も行われていましたから、町村議会議長全国大会が開かれたこの週と、町村会の全国的な集いが行われる来週の都内永田町周辺のホテルや会議場は、地方政治に関わる人々のすがたが多くなる11月末でしょう。

▼22日は61回目の町村議会議長全国大会。解散総選挙後初の代表質問が20日から続きこの日も参議院の本会議日程がありました。ために、再任となった大島衆院議長の挨拶はありましたが、首相も副首相も総務大臣も出席できずのなかでの大会ということに。過去10数回この大会に出席していますが、これはめずらしいことでしょう。

大会は、写真のような項目の決議とともに、東日本大震災及び熊本地震からの復旧・復興と大規模災害対策の確立、地方創生のさらなる推進、町村税財源の充実強化、参議院選挙における合区の解消、地方議会議員の厚生年金制度への加入実現を求める5つの特別決議と35の要望を議決しました。

出かけた日の夜から20日にかけての村は、時ならぬ大雪降り。電話先の妻は「えったでに、おが、降って、わっぱがだ。どでんした。えの後ろなば、ひじゃかぶより上のゆぎつもった(いっきょに、たくさん、降って、こまった。びっくりした。家の後ろだと、膝丈を上回る積雪だ)」の旨を言いました。

その時、皇居に沿い桜名所で名の高いお堀千鳥ヶ淵では、土手で 刈られた芝草の片付けが行われていました。ややきつめ傾斜の土手草を集める業者さんたちは、大きなシート模様の道具に竹の熊手で枯れ草を集めていました。首都の最も中心部で垣間見たシンプルな道具の熊手とシート。散策のときになんだかホッとする光景に出会い、しばらくの間眺めていました。

明治神宮の森と代々木公園は紅葉がまだ見られます。公園で休憩していたら足元には人慣れした鳩だけでなくスズメも。危険無し、警戒がなければ野のスズメもこういう姿を見せます。安心が続けば警戒が緩む、人社会の自然災害対応を暗示させるような気をもちながらスズメを見つめるひとときも。この間の都内は晴れではあったものの風も冷たく小春日和とはいえず、いつものポカポカ天気はひとつもなかった4日間でした。

 

 

 

 

 

 

 

22日夜遅くに、「ひじゃかぶ越えほどに雪降った」村に帰り、きのうは親戚筋に連なる方が急逝され、会葬に向かうという日となりました。

 

 

今朝のわが集落への除雪車出動はありませんでしたが、湿り雪が切れ目なく降る朝となりました。これで雪国人の多くは根雪を覚悟したかも。

里に積雪前の仙人様の大イチョウと大日向山

寒波がおとずれる前の17日、所用の途中で立ち寄った仙人様の大イチョウです。

この大イチョウ、村ではもちろん、県南でもイチョウとしては樹齢が長い方に入るでしょう。村の象徴「仙人」地区で永きにわたって村や村を行き交う人々の歴史を見つめてきた大樹。一時は「幹に鋸目を入れられ倒されそうになった」というお話を何十年も前に持ち主の方からお聞きしたことがあります。

 

大樹だからでしょうか、成る銀杏の粒がほかのイチョウよりよほど大きく、昔には「ここのイチョウの実がほしい」と特別に買い求めにこられた商い人がおられるほどで、その道では名の通った大樹ということです。

 

 

 

 

 

 

 

▼同じ日に立ち止まって眺めた大橋場からの大日向山と田子内橋(美しい村の象徴の橋)、成瀬川の初冬の景色です。

大日向山のブナはこの日も新雪をまとっていましたが、この写真の範囲のブナの森(村有地で滝ノ沢集落の入会林)だけでも、私の知るクマの越冬穴が二つあり、写真には入らないその周囲の範囲を含めればこの界隈には村のマタギたちが昔から知る冬眠穴だけでも合計5つほどはあるでしょう。

それらは、岩穴、土穴、ブナの根元の穴と、住みかのつくりは多彩で、私が新たにクマと出会ったそのうちの一つの穴は岩と土が組み合わされた見事な高級穴。

今年も、まもなく穴入りの師走が近づいておりますが、果たしてこの穴の今冬の棲み主は、どんな顔と姿をしたクマとなるのでしょうか。

美しいキノコとの出会いは今年最後かな

過ぎた土曜日、つかの間の散策でいつもの家前の河川敷へ。

19日あたりから強い冬型の寒気が来そうなので「雪が積もらないうちの最後の散策を」とふらりと向かったら、成長しきった少々のムギダゲ(ムキタケ)やカノガ(ブナハリタケ)とともに、さあさあ、こんなに美しい輝きの晩生ナメラコ(ナメコ)がいっぱいです。

期待していなかった出会いだけに、そのうれしいこと。あっちに寄りこっちに寄りしながらしばらく眺め、シャッターを押し押ししました。

 

昭和22年の大洪水までは田んぼ続きだったというここの河川敷(川と石の下には昔のたんぼ作土の層が厚くあるはず)には、県境や深山の森に倒れたブナやミズナラ、トチやイタヤの木が、洪水に運ばれ毎年どんぶらこどんぶらこと流れ着き、それらの枯れ木には多種のキノコが顔を出します(まれにマイタケも)。一方、河畔林のなかで倒れた柳やニセアカシヤにも出るキノコあり。我が家前は、いつもご紹介するように私にとって四季を通じて童たちとの遊びの楽園でもあり、魚や鳥、生きものたちとの出会いの楽園でもあり、さらにきのこと山菜の楽園でもあります。

美しい輝きのキノコだよりを載せられるのは、これが今年の最後となるでしょう。

▼最後の写真2枚は、この間も少し触れました猛毒キノコのニガクリタケです。先の写真で紹介したニガクリタケよりもこちらは同じキノコでも色がやや明るく、食タケのユギノシタキノゴ(エノキタケ)やヤマドリモダシ(クリタケ)により近い色の個体です。もっと似ている色の個体もありますから、ニガクリタケは侮れないのです。こんな小さなキノコで子供をはじめ一家の何人かが死に至ったという例も国内にはあるようです。

くどいようですが繰り返しておきます。食べた量や個人差もあるでしょうが、食べれば、ほとんど死に至る恐ろしい猛毒キノコが、食タケと似た形と色で、同じ木に並んで出ていることもあるのですからやっかいなのです。楽しさおいしさと恐ろしさ、キノコは天国と地獄からの二つの世界からのつかいのようなもの。なぜ猛毒のつかいがキノコにもあるのか、不思議なものですね。

心も体もあっちにこっちにの3日間

▼17日は、県町村電算システム共同事業組合の祝賀会へ。県内すべての町村が組合のシステムを稼働させたことにともなう祝賀会で、平成24年の組合設置以来の念願の全町村稼働到達のお祝いです。

この共同事業によって町村の電算事業にともなう経費の大幅な削減がはかられており、その成果は貴重です。

 

▼18日は湯沢で開かれたある会議に出席した後、村の「いのちを考える集い」へ。自殺予防で活動されている村内の団体「のぞみの会」によって毎年開催されている集いで、県総合保険事業団の船木修氏、臨床心理士の戸田麻美氏、NPO法人蜘蛛の糸理事長の佐藤久夫氏の講師御三方の講演や、北秋田市のコーラスグループ「コールつくしんぼ」のみなさんの合唱がくまれていました。

いずれのお話も、コーラスも、とても勉強、参考になり、心がほっこりとなるものでした。県内とはいえ遠方からこうして村にお越しいただいたこと、それに、ためになるお話をお聞きすることができたことにこの場からもお礼を申し上げます。

講師の佐藤氏は山歩きをよくされるそうで、栗駒山には毎年何回も登られているとのこと。講演の中の写真にも「これは、栗駒へ往く途中のブナです」と、紅葉の季節の写真がスクリーンに映し出されました。こういうかたちで村を思っていただけることって、ありがたいものですね。戸田氏も職務の関係で村に幾度もお越しいただいているそうです。

▼その集いが終わってからは村の4つの農業法人の収穫祭へ。これも毎年行われている今年一年の収穫を祝う集いです。

今年の天候不順は農作物にとっては結果として大きな打撃。とりわけ稲作では収量の減もあり、耕作規模の大きい経営体は「祭りをするほどに収穫を喜べる状況ではない」というのが率直な気分だったかもしれません。それでも、来年への展望をもって収穫祭はにぎやかに行われました。会場では、急きょ、4つの法人体でつくられている協議会名で今後の経営に関わるいくつかの項目で「村への要望書」が村長に渡される一幕もありました。

村が大きな予算で政策を提起し、それにやる気をもってこたえた4つの法人経営体です。個別の担い手農家も含めて彼らは村農業のささえであり、美しい村を維持発展させるためには農地をまもる彼ら担い手の存在が必須です。それだけに、村民や、内外を問わず行政機関からの期待も大きいわけで、その期待にこたえるよう経営体としての大いなる努力前進を願い乾杯の発声に立ちました。写真は村特産の旬の平良かぶ。とってもおいしかった。

▼19日は部落神社の秋祈祷。伍長の役割で雪の中参詣へ。終わって後はまた都内に向かい、今朝は地方自治法70周年記念式典に出席。22日まで諸行事が続き都内滞在です。

雪の線が下りてきました

きのう朝の村は里山の中腹あたりまで積雪線が下がりました。そこに時折の陽射しがあると、雪の有る無しを境にして二つの景色が比較の美を見せる初冬特有の雪の村に変わりました。

まだ積もりはしなかったものの、人里にも雷模様の寒気に運ばれ大きなボダンゆぎ(雨雪)が時折勢いよく降ったきのう。やがて今朝には家々の屋根を薄~く白くしていました。

朝、そんなお天気模様を家の中から眺めていたら、ガラス戸の外に大きなクモがするすると下りてきて途中でピタリと停止。雪を見るようなこんな寒気なのに、冬ごもりをしないでどうしたのでしょう。「朝のクモは縁起がよい」は村の俚諺ですが、それが初冬のクモですから、「おっ、これは、何か、特別によいことがあるのかな?」などと思いたくなるものですが、ごく普通の一日となりました。でも、なんでこんなに寒いのにまだ冬ごもりしないでいたのか、不思議です。

木の葉、草の葉の散った今は、家まわりの私の散策路の木の実たちが目に映えるとき。何かの宝石か小宇宙の星々を見るようなノブドウの実、日ごとに美しさを増してくるツルウメモドキは初冬の木の実の美の女王とでもいえましょうか。                                                         そんな木の実を眺めるたんぼ脇の道には、初冬をむかえた動物たちの忙しそうな動きの足跡がふたつ。一つはクマ、ひとつはキツネでしょうか、我が家から200㍍ばかりの道のやや軟らかな土の上に二つくっきりとならんでいました。クマはまだ小さな若グマのようです。この季節主食のドングリが凶作、クリを除けば主な木の実も不作気味でしたから、越冬のためのエネルギー源、脂肪を蓄えるために最後の食確保にクマは懸命なのでしょう。

散策といえばつきものはキノコ。写真の最初の2枚は傘も柄も厚い晩生のナメラコ(ナメコ)。中はすべてユギノシタキノゴ(エノキタケ)。最後の一枚は猛毒のニガクリタケ。キノコ紹介の本などでは「初冬に出るキノコに毒キノコはない」と記されたものがありましたが、毒キノコでも晩生のものがありますから要注意です。たとえばこの猛毒のニガクリタケ(悲惨な死亡例も時折ある)もそうですし、毒とされるようになったツチスギタケの仲間なども初冬の地面にまだいっぱい見られます。猛毒のニガクリタケは、晩生のヤマドリモダシ(クリタケ)やユギノシタキノゴと同じ枯れ木に、隣り合わせ混じって生えていますから、とくに注意が必要です。写真のニガクリタケは色に特徴があり識別が簡単ですが、中には食キノコ類ととても似た色もあるので油断ならないのです。


 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

そんなことは別にして、里でも雪を見るようになったらやはりユギシタキノゴの発生は旺盛、我が家の味噌汁は毎朝キノコ、キノコ、ユギノシタです。積雪がなければまだまだ私の家周り散策がてらのキノコ取りは続くでしょうが、この週後半は雪予報マークが並びました。そろそろ、今年のキノコだよりは閉め時かもしれませんね。

儲け空で薪入れ

きのうは、朝の予報ではかなり高めの降水確率だったのに、役場から戻ったらなんと陽射しが見え始めました。それで予定を急きょ変え薪入れ作業に集中することに。

雨の確率が高いのに午前中は雨無し。こういうときです「もうけぞら・儲け空」というのは。おかげで冬の間に焚く薪をほぼ間に合うほど格納することができました。

用水路の草刈りなど細かい冬支度はまだ諸々ありますが、お米、味噌、大根、白菜、にどえも(じゃがいも)等々の主な野菜も半年あるいは一年分の蓄えができたし、燃料もたっぷり運び入れたので、まずはこれで雪のくにで冬を越せる支度はととのいました。今年の我が家は農作業も遅れましたが、冬支度を終えるのがこんなに遅くなったのもめずらしいことです。