トップアスリートが村に

金曜日は特養ホーム幸寿苑の夏祭り。子供仙人太鼓、餅まき、藤波一座による懐かしの演芸と、恒例の催しが続き、苑庭は一年でもっともにぎやかな夕べとなりました。

 

おとといは、村の中学校卓球部創部50周年をはじめとする卓球記念イベント。昨日は消防協会湯沢雄勝支部の訓練大会と、人々の「動」の華麗さを見つめる二日間でした。

卓球記念イベントには、リオ五輪女子団体で銀メダルに輝いた平野早矢香(さやか)さんと、現在全日本ランキング4位の弟友樹(ゆうき)さんが講師として来村され、トップクラスアスリートの技を直に拝見し言葉をお聴きする機会となりました。

心技ともにすぐれたお二人の姿勢と言葉に「トップクラスにある方々は、どんな分野でもこうあってほしい」と思いながら、お話の時間、村外の学校もふくめた卓球少年少女たちへの臨時の卓球教室、そしてつかの間(お二人の航空便の時間が迫っていたため、少しの間)の夜の交流祝賀の時を過ごしました。

「こうあってほしい」をここに記すのは、真にトップクラスのアスリートとは、秀でた技とともに、しっかりした人格を備えておられる方との思いがこちらにはあるからです。いろんなスポーツの選手を見ても、「強い」だけで、「心」がしっかりしていないアスリートには、深い尊敬の念が湧き出てこないものです。

早矢香さんは現役を引退されていますが、今回のように子供たちへの教えもふくめ指導者として活躍されています。その教えとお人柄にたいしては、卓球に通ずる方以外もふくめ全国的に大変評価が高いようです。そして弟の友樹さんは全日本選手権で3位、全日本ランキング4位の現役バリバリです。

子供たちを励ます早矢香さんの指導者としての今後のご活躍、友樹さんの全日本チャンピオンとオリンピック出場、メダル獲得を願いながら、乾杯の発声をさせていただきました。

▼湯沢市雄勝郡の昨日の消防訓練大会。例年開催の会場は事情があり今年はそこではできなくなり、臨時に稲川スキー場駐車場での開催となりました。

村からは、規律訓練礼式にはまわり当番で第2分団、小型ポンプ操法には村の訓練大会で優勝した第3分団第3部(大柳)が出場。閉会式で審査長が「レベルの高い大会となった」とのべた大接戦の末、村の小型ポンプ操法が見事優勝に輝き県大会出場を決めました。

県大会出場がかかるポンプ部門では「東成瀬に負けるな」を各消防団が目標の1つにしている様子。市郡の技のレベル向上に村の団が大いに貢献していることが、他の団のそんな雰囲気からもうかがえました。規律部門もふくめ、春からの練習に明け暮れした団員各位と、それをささえた消防署や関係のみなさん、ご家族の方々、ほんとうにご苦労様でした。

猛暑の中で薪割り

村の行政無線放送が「猛暑なので熱中症に注意を」と呼びかける中、ヤマユリの花香漂う野で、おとといから薪割りしごとに手をかけています。

薪割りといっても、昨年までとちがい今年はマサカリを振り下ろすのではなく、機械による作業です。

かなり前に電力で動く薪割り機械を購入していましたが、「まだまだマサカリでだいじょうぶ。第一、機械はめんどうくさくてはかどらないだろう。機械の助けを借りるのはもっと齢を増してから」などと、昨年までは若者当時からの強気のままでいました。

ところが、数年前に沢の山行で転倒した際、腰を岩に強打。それが古傷となっているのか年中痛みがとれず、その度合いもややひどくなっています。そういうこともあって、試しに機械を使ってみようかとついに思案を変え、今年から動力へ頼ることにしました。

いま使用しているのは電力で動く機械ではなく、昨年に果樹農家の方から新たに斡旋していただいたエンジンで動く薪割り機械。これは馬力がありますから、たいがいの薪を難なく割ることができます。

これなら、女性たちでも気軽に作業をすすめることができ、こんなに能率良く作業できるなら「もっと早くから使えばよかった」と反省しているところです。めんどう、能率が悪いなど、やってもみないでのキメツケはよくないもの。これはいろんな仕事、活動にもいえること。キメツケ主観は時に正確な判断を鈍らせます。

▼ところで、国政は、ひとまずの焦点だった委員会の閉会中審査が行われました。先日の委員会審議の一部を視聴し、あるいは各テレビ局の報道なども含めて考えれば、問題の本質は依然として明かされていない、というのがごく常識的な見方と思われます。

この問題について、よく「水かけ論」という言葉をマスコミの紙面でも、テレビのワイド番組や解説番組などの報道でも見聞します。水掛け論とは「双方が互いに理屈を言い張ってはてしなく争うこと(広辞苑)」といいます。

互いに主張するその理屈がどちらも真っ当であれば「水かけ論」といってもよいでしょう。が、どうも、今回焦点になっている国政問題とそれに関わり主張する双方の「言葉」を聞けば、明らかに一方の言葉に虚偽が、一方の言葉に真実があるように思われます。この間国会で交わされた問答を「水かけ論」として片付ければ誰に利となるか、考えねば、です。

今回の問題に真実はひとつしかなし。国政を揺るがすほどの件だけに、歴史は、その真実を明らかにしないまま進むことはありえないと思います。その真実の扉を開けるのは国民の力でしょうが、はたして、いつ、どういうかたちでそれは開かれるのでしょうか。

郷愁をさそうバラエヂゴ

同じ木イチゴでも、木の背丈が低くツタ状になって伸び、日当たりのよい場所をとくに好むバライチゴ(ナワシロイチゴ?)が熟れる季節入りです。

私らが童の頃の夏は、夏休みに入ればまずこのエヂゴ(イチゴ)をめざして目の前の堤防に向かったもの。この堤防は、昭和22年7月23日の大洪水で村の歴史に刻まれる大被害の後につくられました。当時、むらの人々は完全流失し河川と化した田畑の復興をあきらめ、それ以上の被害再発を防ぐためだったでしょう、旧圃場の外側にこの堤防建設がすすめられました。

鉄線の蛇籠と今ではそんなに見ることのない木工沈床でつくられた堤防は日当たりがよく、そこは幾年かたつうちにバライチゴの絶好の植生地となりました。半ば欠食児童みたいな私たち童にとって、夏はクマエヂゴ、モヂエヂゴ(エビカライチゴ)、バラエヂゴ、いくらか経ってクルミ、そして秋はアギビ(アケビ)と、食べ物の楽園みたいなところでした。

瀬とふれる蛇籠と沈床は魚たちのたまり場でもあり、川が2つに分かれる広いせせらぎと淵もふくめ、イワナ、川ザッコ(ウグイ)、カジカも最適の捕獲場所で、川、河川敷、堤防は、童たちの自然公園ともいえる場所でした。

▼オニヤンマを含めほとんどのトンボの羽化がほぼ終わったようで、わたしたちのまわりはトンボ、トンボ、トンボでいっぱいです。「農作物にとりつく害虫も、彼らが食べてくれる量はかなりだろうなぁ」などと、風流とは縁のない「益虫」という眼でイチゴのそばにいるトンボを見つめました。

▼きのうのブログ、読み直しを一度もしないままでした。後で読んでみて、あまりにもお粗末な文字ならべに「ありゃりゃぁ」です。4箇所ほど書き直しをしています。失礼いたしました。今月のはじめだったか、村外に住むある方から、「最近、文が乱れぎみよ」という旨を言われました。公の手段からの発信です。気をつけねば。

町村電算システム議会、町村長と議長の政策研究会

町村電算システム共同事業組合議会の定例会がきのう開催され、洪水後の雄物川を渡り秋田市へ向かいました。

国道13号線沿いとちがい、高速道は山地に近い場所を多く通るため雄物川などによる浸水箇所はわずかの地点にしか見えません。それでも「こんな所にまで洪水が」と確認できる農地や、豪雨により山土が方々で崩れ落ちた跡は見られました。

議会の開会に当たって、まず、被災されたみなさんへお見舞いを申し上げました。

議会は、平成28年度の一般会計約6億1千万円余の決算案、29年度補正予算案を、それぞれ認定・可決しました。審議では、「電算システムになってからの、財政的メリット」
についての質疑があり、事業目的にそった費用削減がはかられている旨の答弁が金額をしめして説明されました。

議会後には、町村長と議会議長との恒例の政策研究会へ。今年の研究会は「なぜ女子はいま地域に向かうのか」-移住女子が拓く都市・農村共生社会-をテーマにした田中輝美氏の講演。自らをローカルジャーナリストと位置づける田中氏は、大阪大学を卒業後山陰中央新報社の報道記者として活躍、2014年秋に同社を退職して独立、島根を拠点に活動されているジャーナリストです。

以前に横手でも講演されたことがあり、最近は、郵便局関係からの講演要請も各地からあるということで、UIターン(とくに女子)について、島根県の実例をひきながら語られました。

移住にあたって大切と思われる心がけについて、「個人の幸せのみでなく、社会の、みんなの幸せを考える若者が増えている」「何でもいいから、とにかく移住をすすめるではダメ。移住してその地域と関われることを明確にしたものが必要」「永住を前提とする移住にこだわりすぎるのは考えもの。たとえ移住しなくても、今後その地域と関われる人々が多くなることが大切」などを、こちらは講演をお聴きしながらポイントと思ってメモ(講演を正確に表したものではありませんが)していました。

手芸と写真の二人展

すでに秋田魁新報紙上でも紹介されていますが、原田ハルヱさん(手芸)と備前源さん(写真)の二人展がこの16日から横手市十文字町のコミュニティハウス ね・ま~れで開催されています。

お二人はいとこで、原田さんの出身地は岩井川。備前さんは私と同級生で、すばらしい写真を若い頃から撮りつづけている岩井川在住の方。原田さんの妹さんも私と同級生ですが、原田さんと我々は歳が一回りほどちがいますし、十文字にお住まいの方ということですので、同じ学校の卒業生であってもこれまで面識はほとんどありませんでした。

きのうは、そんなお二人の展示会に出かけ、秀でた技が創りだした見事な芸術作品を観賞してきました。

私の手元に、世界的に著名な写真家であった土門拳氏(1909-90年)が著した写真論集(ちくま学芸文庫)があります。その著書の最後で土門氏は、「微妙にして美しいものにひかれるこころを養おう。それは自然のすみずみ、野の花、流れる雲にある。人間ならば、含羞のひとにある。」とのべられています。

写真は、それを表現しようとする方の心があらわれるとよくいわれます。備前さんだからこその視点で見つめた自然をとらえる心が、展示された作品から伝わってくる観賞のひとときでした。

原田さんは、手芸に用いる布への愛着を込めた言葉などを、展示室のテーブルに置かれた冊子へ手記模様に綴っておられました。美しい字と文章が連ねられたその冊子の各ページからは、手芸にむきあうご本人の心がひしひしと伝わってきます。

お二人の家筋は、わが村でよくいわれる「てど」のある方々をまことに多く輩出されていることで知られています。「てど」があるとは、ものづくりの技にとりわけ秀でているということで、同じ家筋の「てど」のある方々から教えをうけてきた村人はたくさんおられて、技の伝授は今も村内でありがたく続いております。お二人は、そのすばらしい「てど」の筋に加えて、自らの技を磨く努力も重ねてこられたのでしょう。

今回の展示会をまたひとつの節として、お二人が旺盛な創作にひきつづきとりくまれることをご期待したいものです。

▼きのうは田子内大塚地蔵堂のお祭り日。同集落の愛宕神社も、この24日が祭り日(虫まつりと聞く)。たんぼ脇の地蔵堂と神社には幟がはためき、そぼふる雨の中、地区の親子会による御神輿の練り歩きもみられました。「地蔵堂はお産の神様として信仰が厚く、遠く岩手方面からも参詣者が」と村の郷土誌は伝えます。それだからでしょうか、まわり当番というたんぼ持ち主の家のお母さん方が、祭り日の狭いお堂をまもっていました。

秋田にも集中豪雨

北日本に多い梅雨末期の集中豪雨。きのうの秋田は停滞した前線がもたらす雨雲直下にあたり、雄物川や中小河川が氾濫、各地で浸水や土砂崩れ被害、それにともなう道路や鉄道の交通遮断が続出しました。何よりもまず、被災された皆様へお見舞いを申し上げます。

奥羽山脈に接していながら、ほかの各地よりも降雨量が少なかったわが村。一時は村にも大雨警報が出されたものの、成瀬川は洪水としては小規模のうちに雨あしが遠のきました。

村内の多くの集落は、住宅地が成瀬川河川敷よりはるかに高位置で、洪水での被災危険箇所は限られています。しかし、住宅地の背後には中小の沢があり、崩れやすい地質構造の山地も少なくないためかかなりの箇所が土石流危険の指定地です。豪雨時には土砂被害が想定され、大雨ではそちらのほうの不安が大です。

雷、大雨ということで、土曜、日曜とも予定していた外での薪割り仕事はとり止めに。議会には災害対策特別委員会が常設され、こちらはその委員長の任にもあります。「何がおきるかわからない」ということで待機の心がけをしつつ、ためていた書きもの仕事などにむかいながら、家の中で一日を過ごしました。

合間にたんぼへ出かけたら、常に水を張っているたんぼで生まれたタノクロアゲズ(シオカラトンボ)が羽化し、勢いよく水辺を飛んでいます。このトンボは、昔の苗代の象徴みたいな生きもの。

昔の夏、田植え後苗代に放たれた鯉がやや成長し、浅い水面から背中を出して泳ぎまわり、それに驚いたタノクロアゲズが飛ぶ。昭和30年代、いまから半世紀以上前の夏休みの頃に童の目に映った風景を思いおこします。

地区要望箇所の視察、議会全員協議会、農業委員会懇談会

各地区、部落から村と議会へ寄せられていた今年の要望について、現地視察が必要な箇所へでかけて集落の代表者から説明を聞く活動がきのう行われました。

議会の側は、常任委員会の調査活動という位置づけで、議員、副村長、関係課長とともに村内全域をまわりました。

この日の最後の視察地は大柳沢。ここは、用水路の取水口点検にでかけ、帰路で雪崩の直撃を受けた元部落長のNさんが亡くなるといういたましい事故現場があったところです。昨年12月末のことです。

事故を教訓として、集落の方々が「冬に安心して取水できる水路実現を」として要望を出していたものです。

むかしの人々が、谷の岩を削って水路がつくられた急峻な現場(写真)をみればすぐにわかりますが、まさにそこは雪崩だけでなく上から何がおちてくるかわからない、そして下方も切り立った「命がけ」の岩場の通り道です。

村内には、ここだけでなく同じような渓谷岩場に切り開かれた危険な用水路がありましたが、その多くは改良工事がすすめられ安全がかなり確保されるようになっています。

要望を受けた村では事故を繰り返さないための最良策を地区と協議しながら検討をすすめます。当座の対策と抜本対策を合わせて地区住民の切なる願いにこたえる策をとらねば、と現場を再度訪れた議会側も痛感したところです。

▼視察を終えた後に議会の全員協議会が開かれ、秋田栗駒リゾート(株)の営業状況報告について説明を受け質疑応答が交わされました。村の顔ともいえる指定管理の企業だけに、
議員からは各方面にわたる質問が次々と出されました。

▼それを終わって夜は農業委員会の懇談会へ。新しい農業委員による初総会がきのう開かれ新役員(会長・佐々木省吾氏、会長職務代理・佐々木文一氏、いずれも新任)も決定。農地利用最適化推進委員の委嘱も行われ、新体制での業務が始まりました。

旧委員の任期は19日限りで、そういうこともあって懇談会の中身はいわば歓送迎会ということになりました。私もふくめ農業委員会の業務から完全に退任するのは7名で、全員これまで公選で職務に就いてきた者たちです。私も、会長職15年を含む12期36年を勤めた勘定になります。みなさんのささえでなんとか役割を果たしてこられたことに感謝の言葉を申し上げ、懇談の時を過ごしました。

小学生のみなさんとふれあいのひととき

きのうは、午前、午後とそれぞれ少しの間、東成瀬小学校の子どもさんたちといっしょのところで過ごす時があった一日でした。

まず午前。役場にいたら携帯電話へ突然の着信です。電話の向こうの声は成瀬川漁業協同組合の事務局長Hさんで「これから東成瀬小学校4年生の子供たちがイワナとヤマメを川に放流するので現場に来てみてほしい」というお誘いのご連絡です。

Hさんは昔からの知人で、アユもふくめ成瀬川への魚の放流のことなどでこれまでもいろいろとお話を交わし合ってきた間柄。ていねいなご連絡を受けましたので、魚を放す岩井川真戸橋上流へ早速かけつけました。こちらは、名ばかりの漁協の組合員でもあります。

きのうは天気もよくて、まさに「放流日和」。4年生のみなさんは目を輝かせて漁協の方々からいっぱいの稚魚をバケツに入れてもらい、時に歓声をあげながら水量の豊かな成瀬川へ次々と魚を放していました。イワナやヤマメはすでに漁協によって大量に放流されているでしょうが、今年もアユが真戸橋の周辺にも放流されたそうで、「ここのアユは水がきれいで美味」と評判の声が太公望さんたちから寄せられるそうです。

肴沢の堰堤に魚道があれば下流のアユものぼってこられるとのことです。放流されたイワナやヤマメが育ち、加えて岩井川の堰堤もふくめてアユがしっかりのぼれる川になれば、成瀬川は天然アユの遡上もふくめさらに「おいしいアユがいっぱいの川」として人気が高まり、村を訪れる渓流釣りの方々も増えるでしょう。

▼午後は、少し前から計画されていた「クマの被害にあわないため」ということでの小学校全校のみなさんとのお話の集いです。

増田警察署・東成瀬駐在所さんからの呼びかけもあったらしく、村教育委員会と小学校が主催した集いで、村の猟友会へ「語り」の役割が依頼されていたものです。こちらは猟友会の元会長ではありますが、いまは会員としてはかろうじて籍を置いているものの、銃はすべて廃止している身、もちろん役員でもありません。語り手としてはふさわしくないと思いましたが、会側から「なんとか」の頼みをされ、まずは引き受けました。

短い時間で、しかも保護者ではなく小学1年生から6年生までの子供さんたちだけに「被害にあわないため」のお話をするのはなんともむずかしいもの。10日ほど前に田子内大橋場コンビニそばの国道にかかる大きな橋を駈けるクマを、Tさんが車の中からスマホで撮ったという写真などを拝借しながら、なんとかかんとか語りの時間を過ごしました。

振り返ってみましたら、お話しようと思ったことの7割ほどしか語れず、しかも大事なことをふたつはずしていました。はずしてしまった大事なことの一つは子連れの母グマのこと。子連れの母グマには特別に注意が必要で、人と出会えば子をまもるために人を襲う場合が、単独行動のクマよりずっと多いこと。もう一つは人間が捨てたゴミもクマを人のそばに近づける原因となるので、道ばたや川、山にゴミを捨てないことについてです。

ジュースやビール、酎ハイなどの空き缶はクマが大好きで、ビールの缶を牙でズダズタに穴を開け缶を裂き破いて缶に残ったビールを飲んだりなめたりした跡がよく見られます。クマは学習能力が高いですから、道ばたに行けば空き缶が捨てられているとわかれば寄ってくることは充分考えられることです。ゴミでは食べ物類のゴミもあります。山へ捨てられる食べ物のゴミにもクマは集まりますが、用水路に捨てられるゴミもそれは同じです。

集落の用水路はやがて成瀬川に合流します。用水路に食べ物類のゴミが捨てられれば、ゴミの流れ着く先は川との合流点。クマは腐敗した食べ物も大好きですから、ゴミがいっぱいのそこへ集まります。クマは普段でも集落に近づく時にたいてい川岸を伝ってきます。私の推測ですが、各集落で、大きな用水路が成瀬川と合流する場所近くでのクマ出没情報が比較的多いように思われます。水路に捨てられた生ゴミや空き缶がクマをおびき寄せている遠因となっている可能性も大いにあり、なのです。

結局、クマと出会ってしまう機会を増やしているのは私たち人間社会だということになります。きのうの語りのいちばんの目的は「クマの被害にあわないために」ということで、被害に遭わないために最も大切なことは「クマと出会わないようにすること」と申し上げましたから、クマをおびき寄せてしまうゴミのことはお話しておかねばならないことでした。これも先に学校から子供さん方へお配りしていただいた環境省のパンフレットなどにも書かれてありますので、先生やご家庭のみなさんからもっとくわしくクマのことを教えていただいたり、話し合ったりしてもらいたいと思います。

今回はそういうことのきっかけになればということで、お粗末な語りはごめんしてもらいます。いっぱいの子供さんたちと向き合っての語りってほんとにむずかしいものですね。学校の先生方の「教える」ご苦労をあらためて知ることになった集いで、どうもこちらが一番勉強になった催しということになりました。

最後に、この機会にひとつだけ記しておきたいことがあります。「クマ避け鈴をつけていてもクマに襲われた」「ラジオの音はかえってクマを人に近づけるのではないか」などを報道や出版物の文章でふれることがあります。しかし、それをもとにして「鈴やラジオはクマ避けに役立たない」というのは早合点過ぎます。前記のいろいろな事例については、どんな条件、環境のもとで「鈴があっても襲われたのか」どんな条件下で「ラジオを鳴らしていても襲われたのか」という検証が必要と思うからです。もちろん鈴が万能なわけでもありません。しかし、音を出して、臭いを出してクマに人間の存在を気づいてもらう、そのためにはラジオも鈴もまったく有効で、とくに人の声は最も効果が大きいこと。襲われないために、それにはまずクマと出会わないことが最大の防ぎょであり、その時、音は一番の役割を果たすことは確かですから、例外情報に振り回されずクマを遠ざける基本の対策をおろそかにしない。それが大事だとこちらは考えていることを記しておきます。

国道342号整備促進同盟会へ

横手から当村を経て奥羽山脈を越え、一関市を経て宮城県登米市に至る国道342号線の整備促進同盟会の総会がきのう一関市の保健センターで開かれ、副村長、建設課長とともに出席。

地元の岩手県議さん3氏や関係する3県の道路担当幹部職員さんが来賓として出席されたなか、総会は事業計画を決め決議案を採択しました。秋田側が要望する強調点は1.仁郷から狐狼化までの雪崩防止対策、1.冬期間通行止め区間のゴールデンウィーク前の早期解除の2つです。

往きは397号を、帰りは342号を通りました。一関側は例年こちらよりやや田植えが早いのですが、車窓から見る稲の成長具合はわが村とそれほど変わらないように見受けられました。

途中立ち寄った厳美の道の駅。ここも地元産の夏野菜がいっぱいならぶ季節入りです。

▼夕方、家のまわりを散歩したら、毎年おいしい実をつけるクマイチゴの仲間の木イチゴが熟期を終える姿で見られました。深山のクマイチゴはこれから熟すでしょうから、林道沿いなど、クマたちも一年ぶりに真っ赤な実のあるところを覚えていて寄ってくるでしょう。

村福祉大会、ボンアゲズ羽化、ヒグラシ初鳴き

14日は、前日に開催した高速道路関係のフォーラムに関係した湯沢雄勝の商工関係者や秋田県南、山形最上地方の首長や議長さんたちとともに湯沢河川国道事務所への要望活動を行いました。

15日は村の社会福祉大会へ出席。大会では、ささえあい、助け合いの活動分野で地道にがんばってこられた方々が表彰され、小中学生の意見発表もおこなわれました。講演ではラジオDJなどで活躍されている県ボランティア団体連絡協議会会長の阿部十全さんが、ユーモアに富んだ独特の口調と歌で「福祉」の大切さを語りました。

▼猛暑が続いた週末、不十分にしていたたんぼの水切り仕事をとりあえず済ませました。これでたんぼへの水たまりはほとんどなくなりましたから、カエルやイモリたちはみんな用水路脇などに完全移動したでしょう。

16日、そのたんぼにいっせいにボンアゲズ(アキアカネ)が羽化しました。クルマアゲズ(ヤグルマトンボ)もいっしょです。今度は、ウグイスの初鳴きやオオルリやキビタキ、ツバメの初飛来とともに、ボンアゲズの羽化も自分の季節指標にいれておこうと思いました。その日の前日、夕方、カンカンカンカンと本格的な夏の訪れを告げるヒグラシ蝉の初鳴きも聞きました。

トンボや蝉の羽化や初鳴きの日はいつもの年とどんな違いがあるのでしょうか。きっと、篤農家の皆さんなどは、日記などに書き留めておられる方もいるでしょうね。

17日、やり残していた薪切り作業をやっと終えました。買い求めたミズナラ薪木が5張(約5㎥)、息子の妻の実家が果樹農家で、倒されたり剪定されたりんごの木も毎年運び込んでもらい、さらに今年は、こちらの妻の実家が昨年まで続けていた洋なし栽培を止め、まだ収穫盛り樹齢の梨の木を切り倒していたので、それも薪用に運んでもらい、今年はミズナラ、リンゴ、梨と量が豊富です。合わせたら7㎥近くになるでしょうか。

7月は猛暑など晴天が続きましたが、田植え時以後の低温で村の農作物の生育は依然遅れを取り戻せないでいるようです。我が家など、週末に今年はじめて小さな「元成り」ナスがもぎ取られてきました。

▼妻が若い頃農業の先進地研修でお世話になった千葉館山の花卉農家Sさんから、真夏の定期便トルコギキョウが届きました。暦はまもなく大暑。村の直売所にもトマトが並び始め、食卓にも地元産夏野菜のにぎわう季節がいよいよやってきました。みずみずしいナスとキュウリとトマトで食欲もりもり、猛暑克服です。