早春は水辺から

もう明日から3月。高校の卒業式がはじまり、社会もいよいよ「春」の季節入りです。まだ積雪は冬の最も多い時期とそんなに変わらぬ厚さの雪国ですが、自然も、「春」の言葉をつかってそんなに不釣り合いでない様子が所々で見られます。

雪国の早春は水辺からやってきます。わが家前を流れる小川の岸辺にはバッケ(フキノトウネ)やネコヤナギが顔を見せ、河畔林の湧水に育つノゼリが少しずつ伸び始めています。

ノゼリの緑はヤマドリの大好物。天然のセリ谷地(やつ・低湿地)でたっぷりと食事をとったヤマドリが足元からドドドドーと大きな羽ばたき音で一直線に飛び出しました。

今冬の村の川は水量が豊富。成瀬川も、わが家前では、この時期としてはいつもの年より流れに勢いがあるように見えます。

春をそうやって感じながらも、今朝は風がなく快晴、放射冷却となりマイナス12℃。今冬いちばんの寒さで、薪ストーブの暖かみがひときわありがたく伝わってきます。

春祈祷

きのうは、地元(岩井川)神社の春祈祷の日。

祭典、掃除、境内の草刈り、秋祈祷と一年続いた神社の別当役も、大きなつとめはこの春祈祷がしめくくり。のこされているのは祭典までの清掃作業だけになります。

湯沢雄勝地域限定の大雪・着雪注意報が出たきのうでしたが、夜中遅くから降った雪も朝には止み、日中は陽射しも続くほどの参詣日和。

社殿の掃除や神社に道をつけるわれわれも、参拝に訪れる部落のみなさんからも「へんだてみでェ(先日みたいに)、荒れぞらでねふて(荒れる天気でなくて)、えがったなァ(よかったですね)。オメだの(あなた方の)、オラだの(私たちの)、おごねェ(行い)、えぇふてなんべェ(よくてでしょう)」などと、互いにニコニコ顔での言葉が交わされました。

吹雪や荒れ空はあっても、これからは春の雪。新しく積もってもすぐにメタメタと雪は湿り消えやすくなります。雪とまみえて山などにはたらく人々は「今年は、シラパデが、ねふて(白く堅く締まった積雪の層がなくて)、雪ザクザクて、やっこェ(雪がザクザクとして、柔らかい)」といいます。雪の締まりが弱いとなれば、雪解けの進みは案外早くなるのでしょうか。

食は健康の源

塩漬けされている山菜やキノコの味を楽しむめる冬も、残される月日はあとひと月半ほど。

「塩漬けは旨いうちに」と、塩出しされた山の幸が食卓へ上がり続けるわが家。今いちばん利用されているのは、煮物用にアガキノゴ(サクラシメジ)と山菜のサグ(エゾニュゥの仲間)。納豆汁用にサモダシ(ナラタケの仲間)とワラビです。

栄養満点の納豆汁は気がのればほぼ週に一度。アガキノゴやクリフウセンタケとサグを欠かさぬわが家のおでん風「でぇご汁」は、私が好物だけに、冬の食卓からほとんどなくなることがありません。

村の伝統食・納豆汁や、そういう完全無農薬・天然の肥やしで育つキノコや山の幸を常食しているせいか、内臓や血管はすこぶる丈夫で、この20数年ほど、くすりを常に服用という生活とは運良く無縁です。

われわれの社会は健康を害する過度のストレスもあり、食ばかりが健康の源ではないでしょう。それでも食はやはり命をささえるカナメ、量とともに内容でもです。食でこちらが危ない領域にはいっているのは塩分の取り過ぎ。もう遅いかもしれませんが、最近はそれにもようやく注意を傾けるようになっています。

夜中に起きることもなくぐっすり眠れ、内臓関係は今のところこのとおりマメですが、目の病や、山行で転び岩に強打した腰など内臓でないところから体にガタがきていますから、私の場合は外堀から健康が狭められている感じではあります。

早いもので2月もまもなく終わり。65歳と記せるのはあともう少しだけ。マメを過信せずガタついていることを知り、平均寿命までおよそあと15年、歳相応のうごきで山菜やキノコの野山をまた駆け回りたいと思います。

夕べの強風から一転して今朝からは真冬の空に逆戻り。窓や戸が吹雪でたちまち真っ白になりました。

農で2つの会議

2月の農業委員会総会と村の水田農業再生協議会の総会がきのう開かれました。

農業委員会では、村がかかわる農地転用案件(所有権移転をともない農地を農地以外の目的として使用する案件・沼又地区の農地)や、今月も農地中間管理機構関係の利用権設定(農地の貸し借り)案件などが審議され、いずれも可として決定されました。

水田農業再生協議会では、長年つづいた国からの出荷限度数量や作付け面積の割り当て配分が来年からなくなる前の最後の年の協議会であり、29年度にむけた村の方針を決めました。平成30年産米からいよいよ始まる新たな動きへ備えた国の考え(環境整備)が、農政局側から説明もされました。

市場規模では自由競争が一方にあるもとで、生産者米価の暴落を防ぐために自主的な作付け制限を促す、この考えが今後どのように米の流通と価格に作用するか、あわせて米の直接支払い交付金10㌃あたり7,500円も30年産から廃止されます。いずれ、米の需給全体をめぐって村の農家所得へどのような影響が及ぶか不安は消えません。

午後は、その農業収入も含む税の申告で地元の相談会場へ。昨年の村民全体の収入・所得は、果たしてどのような変化を見せたのでしょうか、注目です。

地吹雪のなか秋田市へ

きのうは議会関係の自治功労者表彰式と理事会で事務局長とともに秋田市へ。

表彰は全国町村議会議長会の表彰伝達と県町村議会議長会の2つ。いずれにも元職や現職の議長さんたちが名を連ね、議会表彰は五城目町議会が受けられました。

八郎潟町議会は改選後(無投票)の初議会が明日開かれるということで、新しい議会人事構成がここで決まる運びのようです。

県議会の定例会開催中で、知事は代理出席のあいさつ、当然県議会からの出席はなく、町村会長として当村の佐々木村長が二人目の来賓あいさつに立たれました。

今回は例年になく表彰者数が少ない年でした。それぞれの町村で、改選の年によって議員の入れかわり数に大きな特徴があることをしめすもので、議会によって入れかわりには年による大きな波があることを表彰式から感ずることができます。

猛吹雪かと思えばお日様が照ったり、変化の激しい天気の中の高速道往来でしたが、寒中と同じ気温下、同じ吹雪でも寒中とはやはり寒さの趣が違います。それは雪原を勢いよく走る地吹雪を見れば「春がそこまで来ている」を感ずるからでしょう。

凍みを利用したこんな加工食品も

「あれっ、鏡餅?」と思いましたが、これは搗いた餅ではなく、米粉などを活用して固め、冷凍・乾燥後に味をつけて揚げ物にされた「かゆ餅」という名のお菓子の元。

お菓子は村の加工研究会の母さん方の手によるもの。自然冷凍で乾燥されている場面ですが、きれいな吊り下げに目がひかれました。2枚目の写真がその仕上げ品で、直売所などにならびます。

▼我が家の鉢物として今花をつけているのはサザンカだけ。切り花を除けば花とは縁のない雪国の冬。それだけに、玄関でほぼ一冬咲き続けるサザンカは、家族の心をほっこりとさせてくれます。冬は、体とともに心の芯もぬぐだめ(温め)ねばです。

知恵と勇気を見せる鳥たち

週末、所用であちこちをまわっていての通りすがり、国道上にカラスがフワリと飛んできて口から何かを道に落としました。

そうです、よく見かけるカラスのくるみ割り芸当です。私の前を通った車のタイヤでそのクルミは見事に割られ中身の食べられる状態になっています。厚い積雪のあるこの時期、いったいどこからクルミを探し出してきたのか、いや、探したというより、おそらく秋のうちにネズミやリスのようにどこかに蓄えているとしか思えませんが、まずは、クルミを蓄えているであろうカラスのその知恵に感心。さらに、リスのように堅い実をかじる術がないカラス、こんどは道路に実を落として人様のタイヤでつぶし割らせるその知恵。これには感心を通り越してその賢さに「いやぁ、まいった」です。

身近なことでありながら自然には不思議がいっぱい。いつか、カラスのクルミ貯蔵庫を探し当ててみたいものです。

知恵だけでなく勇猛でも知られるカラスの仲間たち。先日のテレビでは、ナワバリに侵入したクマタカを撃退しようと堂々とたたかいを挑むカラスよりもはるかに小さなカケスの姿を報じました。普段なら天敵として襲われる相手なのに、侵入者にむかう勇気、クマタカはついにその場から飛び立ちました。

同じ仲間のカラスもナワバリをまもるためならタカなどの猛禽類によく向かっていく姿を目にします。彼らには知恵もあれば勇気もある。我々がお手本としなければならないところが、生きものたちの姿にはよくありますね。

▼春への橋渡しとなるこの季節特有の地吹雪が一定間隔でやってきました。きのうは気温もマイナス6℃。屋根にも、雪原にも、尾根にも、「へり」の風下にはどこにも大きなダシやマブができ、窓にも久しぶりに寒中のような雪が吹きつけました。

大きなヒラ(底雪崩)の始まりです

わが集落の南側、堰堤(平良発電所導水路取水口)上の急斜面に比較的規模の大きなヒラ(底雪崩)が見られました。きのうはひと月先の気候を思わせるような暖気でしたから、ほかにも底雪崩のおきたところがあったでしょう。大柳地点ですでに積雪2㍍越え、これからの斜面は、大小を問わず要注意です。

わがたんぼ脇の雪庇も、ふくよかさをさらにまして女性的な美を成長させてきました。雪庇の裏側斜面では、そこを歩いたキツネが、柴木の根元から足に土をつけて出てくるネズミを狙った跡がありました。

そばの小高いミズナラの森に棲むタヌキの群れは、相変わらず2つの穴から出入りして外歩きもしているようです。いったい、いまの季節、どんな食べ物を目的に穴の外へでるのでしょうか。穴の中には、何かの蓄えもしているのでしょうか。

冬眠もせずに、主にいきものをとらえて豪雪の冬を越すキツネ、テン、イタチ。そしてタヌキも冬はおそらく肉食が主でしょうが、かれらのたくましさにはいつも感心してしまいます。雪上にのこされた彼らの足跡、それは夜中に必死で獲物を探す姿と重なって見えます。

85歳で燃えさかる若者の心を小説に

若い頃、長く仕事でお世話になったN氏から、おととい少し厚めの封筒で便りが届きました。

開封したら、中に収まっていたのは小説。そこには「冠省  突然で恐縮ですが、自作の小説を一編お送りしました。八十五歳になって初めて手掛けた創作です。実は義兄(姉の夫)が前大戦で戦死したのですが、戦後七0年間、この件が忘れられず、「ボケないうちに」と思って書き纏めてみた次第です。――ご笑覧いただければ幸甚です。皆様のご健康とご自愛を願って  早々」と記された言葉が添えられておりました。

N氏は、私がお世話になった当時から、話し言葉、文章の論理が明快で、かつ難しいことをやさしくわかりやすく表す文書というものに心がけられた方でした。それだけに、私などは、文書の書き直しでよく厳しい指導をされ、直された後の文書は骨と肉がなくなって皮だけしかのこらなかったということも度々ありました。

しかしこちらは義務教育時代の大半は学校の学びがまったくいい加減、そのため土台がほとんどできていませんでしたから、そういう指導をされた割には成長できずその状態が今も続いています。脇にそれますが、封建社会の寺子屋に通った子たちのように、「子供時代に読み書きの基礎を徹底して養っておくべきであった」は、私の痛恨の思いです。とにかく小中学校と、学びからあまりに遠いくらしを過ごしてしまいました。

さて、公立高校の教諭も務められたN氏は、すでに大冊を含めた社会運動史などいくつかの論文で編集・執筆者として活躍され、今なお研究論文などで健筆を振るわれております。しかし、「当時のN氏を思えば思うほど、まさか、小説を著すとは。それも85歳で、戦争と愛を主題にした作とは」と、まず驚きました。

小説の内容は、公立病院の医師であった義兄(独身)が軍医として南方戦線に召集され戦死するまでの実話を基にした創作です。国のちがいをこえて、平和の尊さと、人間愛、戦争というものをはさんで時に熱く時に深く燃えさかる若者たちの愛を掘り下げたものです。創作は、主人公をめぐって、祖国にのこした相思相愛の許嫁と戦地で出会った外国人女性の心の葛藤などをあらわしたもので、いっきに読み手をひきつける力が文章にはあります。

年齢を知らされなければ、おそらく85歳の方が著した作とは思われないいわば「青春小説」。この熱い心がちりばめられた創作を読ませていただき、「まだ数えで66歳の自分など、年寄りじみたことを言ってられないな」と、己を振り返ったところです。

▼屋根から下ろした雪がこのように積み重なり、我が家はいつもの冬のようにもう少しで二階の窓から出入りできるほどになっています。ほぼ平年並みの積雪でもこうです。今後この高さが増さなければよいのですが。

常に行財政改革の徹底を視野に

きのうは議会の2つの常任委員会の調査活動があり会議が開かれました。

議会事務局提供

一方の委員会では、公共施設の維持管理や村財政の現状と財政見通し等について、もう一方の委員会では、椿川に建設された循環拠点施設(くん炭製造施設)と田子内の食肉加工センターの稼働、運営状況について、それぞれ総務財政課長、企画商工課長の説明を受け、午後にまたがって質疑応答が交わされました。

総合計画が定める事業進展を着実にはかりながらも、村の安定的な財政確立、そのためにも住民本位の行財政改革の徹底が我々には常に求められます。こうした各種の調査活動が、委員会としても、議員個人としても、今後の議論や提言、提案に活かされていくものと思われます。

▼きのう午前は手術後の抜糸の日と決められていました。これで再び両眼が明き、やや遅れて会議に出席。両眼への点眼がまだしばらく続きますが、まずは病からも窮屈さからも完全解放されました。

こちらにとっては値の張る「サングラス」を、紫外線対策「眼はカナメだから」ということで提供していただき、とくに雪原では今後常用することにしました。再発しないよう養生につとめながら、また雪の山に出かけたいと思っています。