雪が多くないのでヤマドリも助かっている様子

美郷町、羽後町、東成瀬村、3町村議会議長会の協議会がきのうひらかれ、今年の活動計画を話し合い情報交換を行いました。

平成の市町村合併を経てつくられた協議会では、お互いの自治を学ぶうえで参考になることが多く、私どもも、議会活動や議会事務、政策推進の面で羽後、美郷の事例にいくつかを学んできました。今年は、この後6日に美郷町の農業関連策を視察に常任委員会が訪れる予定もくまれています。

▼きのう午前、降雨の下での役場からの帰り道、国道沿いの斜面にヤマドリのメスがうずくまっていました。寒中になり大地が厚い雪に覆われると、彼らがエサを摂る場所は雪の積もらない沢や雪が崩れ落ちて土肌の出る斜面、積雪の影響を受けないウメボドゲ(ツルウメモドキ)やヤマブドウの実、漆の仲間の木の実などに限られてきます。(昨秋はヤマブドウが不作、いつもと違い冬に実のついている蔦はほとんどありませんでした。)

ヤマドリは、木の実の豊富な秋にはたっぷりの栄養をとれるので蓄える脂肪も多く、この脂肪は野生鳥獣の中では「最高級の脂」とされ、ダギニグ(抱き肉・胸肉)と調和されたお吸い物料理や焼き鳥は狩人の間では究極のごちそうとされてきました。(ただし、狩猟法でメスは捕獲できずオスヤマドリしか捕獲できないという定めがあります)

秋は脂肪も多く体が丸いヤマドリも、寒中以降は摂れる食べ物の質・量が少なくなるためでしょう、だんだんと脂肪が落ちて体も細くなります。でも、今年は比較的雪が少なく食べ物を摂れる範囲が多いのか、このメスヤマドリはまだふっくらと丸い体型を維持しているように見えます。

このメスヤマドリ、天敵に襲われず春をむかえることができれば、恋の季節を経て、いっぱいの子たちを連れる姿と出会えるかもしれません。

土にはたらきかける人々の集い

金曜日は湯沢雄勝の「わくわく農業活性交流会」(管内の担い手連絡協議会など主催)、土曜日は「村の農業を語るつどい」(村の田畑会主催)と、いずれも農業の担い手組織のみなさんのつどいへ出席しました。

▼「わくわく」の講演では、業務用米の重視が語られました。また事例発表の一人として、村農林課主任のSさんが、わが村の農業振興策をわかりやすく説明。「若いのに、立派な発表」と私に声をかけてくれた村外の方がいて、うれしくなりこちらもうなずきました。

▼村のつどいでは、東北農政局秋田支局の菊池満氏が、新たに導入されようとしている「農業の収入保険制度」について、仙北市西木町の赤倉栗園代表 赤倉一善氏が「栗栽培家業から稼業へ」と題してそれぞれ講話をされました。

TPPと抱き合わせだった農のコスト論が盛りです。コスト低減をはかるは農商工すべての産業に共通する課題でしょうが、「農」の部門で国際的な「競争力」が強調されるとき、それは少しちがうと疑問視したくなります。欧米など農産物大量輸出国が、農にどれだけの保護政策をとり国家予算を注ぎ込んでいるか、そのもとで、国家の安全保障戦略として「食と農」を結びつけ、対外戦略をたてていることにもっと注目したいものです。

わが国の食は、麦、大豆、家畜飼料等々、輸入相手国の動きにほぼ命運を握られています。「食」の根幹は国内でまかなうという欧米の安全保障政策に学び、消費者もふくめた国民全体が、安易なコスト論にはめられないことが、世界人口の爆発的増加のもとでますます大切と思われます。再生可能エネでエネルギー自給率を高める(これは地方自治体としても課題)ことへの重視と同じで、食の根幹は自前で確保する。そのためには日本国内における農のコスト論には限界があることを見つめながら独自の経営努力をしたいものです。

それに、国内では「いつおきても不思議でない」とされる大都市を襲うであろう大地震も必ずきます。その時に、都市部の方々(その多くは農山村出身の身内の方々でもある)が頼りとするのは、たとえば米味噌がほぼ一年分蓄えられている農山村、飲料水も豊富で、いざとなったら一定期間の大規模避難受け入れもできる農山村の家々や施設でしょう。対外的な安全保障政策とともに、地震国日本固有の大規模災害時の安心確保のうえからも、農のコスト論に安易にはまってはならない。国家としてのコストがある程度高くついても「農山漁村を維持しておかねば」という世界先進地の国づくりにも目をむけねば、です。

▼沿岸部を中心に風が強かった金曜日。人里は案外おだやかでしたが、寒中の焼石連峰では、南よりの強風のもとで積もっていた粉雪が舞い上がりを続けます。名峰・さんさげェ(三界山)も、頂からまるで噴火煙のような雪煙がうまれ北へ流されていました。

その写真を撮ろうと車を降りたら、しだれ桜の幹にアオゲラがとまっていました。この鳥が止まっているということは、桜の幹内にも虫の何かがつき始めているのでしょうか。

現行体制で最後の地域農業委員会研修・交流会

湯沢雄勝地域農業委員会連絡協議会による合同研修会と交流会がきのうわが村を会場に開かれました。平成の市町村合併後につくられた連絡協議会ですが、郡市でこうした組織をつくり、研修・交流会を続けてきたのは県内にもあまり例がないでしょう。

毎年持ち回り開催してきた集いで、例年11月頃に行われていたものですが、昨年11月は種苗交換会にあわせた県の農業委員大会の会場が湯沢市であったことや、3年に一度のそれぞれの委員会管外研修で日程を割かれたことなどもあり、今年度は年明け開催に変更していたものでした。

時あたかも新しい農業委員会法にもとづく新体制に移行する年でもあり(現体制での任期は7月)、研修テーマも県農業会議総務企画部長の松田功氏を講師にお迎えし、それにふさわしいお話をしていただきました。

湯沢市、羽後町、東成瀬村とも、先の12月議会で農業委員と農地利用最適化推進委員の定数条例を決めており、全国、県内の市町村と同じように農業委員だけでは大幅に現数を下回っています。

そういうこともあり、「戦後続いた現組織体制での最後の研修・交流会、」「同じ顔ぶれとしては、おそらく最後の集い」ということを、当然ながら意識された日となりました。

今年度は、議会の3市町村交流会もわが村が当番で天候快晴。きのうも、寒真っ最中の時でしたが、つかの間のとても穏やかな一日。開催当番地として、お天気に助けられた28年度でした。

今冬3回目の雪下ろし

週間天気予報をみて、行事予定をみて、屋根の積雪量をみて、「今日しかない」と、昨日今冬3度目の雪下ろしに上がりました。

もうひと降り重なってからでもよかったのですが、今日から催し事がいろいろあり、それでやや早めの3度目下ろしです。

まわりはだんだんと2㍍近くの積雪に近づき、いつもの豪雪の村らしくどっしりと厚い雪に大地が覆われ、ようやく「これで、あだりめェの、冬ィ、なった」そう思える落ち着いた景色がひろがります。

▼先日「何かを咥えていたカケス」を載せました。その何かがわかりました。あれは「イラガ」、刺されるととっても痛い毒蛾の仲間が入った繭のようです。もちろん、カケスはあの繭の中に食べ物が入っているということを知っていたのです。

繭の中で生きるのは普通はサナギでしょうが、イラガの場合はまだ完全なサナギにならない「前蛹」という幼虫の状態で冬を越すということです。繭は、昆虫の仲間としてはめずらしく堅くできていて、かなりの圧力を加えないと破れないほどといいます。

大きな幼虫が冬に食べられるわけですからカケスにとっては大のごちそう、咥えた繭を木の枝に打ちつけたり、こすりつけたり、真剣なうごきの意味がわかりました。堅い繭、幼虫のような「前蛹」、ここでくらしながら、自然って、生きものって、まだまだ知らないことがいっぱいです。

地方の盛衰が国の運命を決める

寒の真っ最中ですから、いつもの年なら行事のない日や時間には雪下ろしや除排雪に明け暮れの日々のはず。しかし、昨日までは雪は降るものの雪と向き合う作業時間が案外少なく、その分、物事をじっくり考え、読んだり、みたりする時間が多くとれます。

たとえばその考えるなかでとくに意をはらうのは、中・長期にわたる村の展望についてです。地方自治体流にいえばそれは総合計画、経営体ならば経営ビジョンでしょうか、つまり何をめざすかの「戦略」、そしてそのためにどんなことをやるかの「戦術」です。

実は、議会だよりへの年頭のあいさつの中で、平成の市町村合併時に村が単独村の道を選択したことにふれました。規模の大小や財政見通しの良し悪しを問わず、この時にわれわれ市町村は大きな選択を強いられました。その時、中・長期の展望をにらんだということになるでしょうが「単独村でゆく」という方針を村はとりました。こういう選択を、しかも期限付きで迫られることは行政史上にそんなに多くあることではないですから、ここでは「戦術」ではなく、最も大きな正確な「戦略」をもつことを地方は問われたといえます。

そして平成の合併はひとまず終止符を打ち、それから10年以上の年月を経ました。村の選択がまちがっていなかったというのは当事者である村内の大方の見方でしょう。それと同じようなことを、県内の元行政に携わった少なくない方々などからも「あんたのどごろは、ええ、判断をした」との声として寄せられます。客観視としても、自治を「戦略」としてしっかりまもったということはきわめて貴重なことだったとされているのです。

そして、10年以上を経た自立の村のこれからです。人口減少全体をとらえて、よく「村はこのままでやってゆけるのか」ということが言われます。しかし、人口規模での心配ということでは、人為の市町村合併以外、自治体が自然消滅した事例はないはずです。

全国には、何十年も前からわが村より人口の少ない町や村が一定数あり、1000人以下の町村もしっかり自治を保っています。たとえばそこの一部集落が消えることはあっても自治体そのものが消滅したということは聞きません。「地方消滅」の言葉に踊らされない、憲法が定める自治の権利とは、そう容易く人口云々で「消滅」されるものでないことを心得ておきたい。むしろ、地方の盛衰で国の運命こそ定められると思うべきでしょう。

一方で、立てた自治の「戦略」をよく見つめ、必要なら練り直し、100年の大計とまでいかなくとも10~20年スパンで常に「戦略」を新鮮にし、視野においてしごとをする、これが集団としてはこれまでに増して求められると考えます。個としても「そのために、その年ごとに、自分(自分の持ち場)は、どんなしごとをするか、しなければならないか」公職に身を置くものの一人一人として、その心構えを離さずつとめを果たさねば、です。

▼我が家の軒下には蜘蛛の巣がいっぱい。軒には彼らが越冬しているのでしょうか、それを狙ってか、シジュゥカラの仲間が冬にはよくやってきます。小鳥は、よくはたらきます。

「ポスト真実」

ある発言や出来事、政策をとらえ、それを事実としてメディアや対立する陣営が伝えたかと思えば、当事者である一方はそれを「ウソ」だという。内外を問わずリーダーと呼ばれる方々の発言と報道をめぐって「それでは真実はどうなのか」ということで疑問の湧く日々が昨年あたりからとくに多い。

事実でない偽りの発言、主張、あるいは報道をどちらかがしているわけであり、こういう偽りの積み重ねは、偽りを繰り返した側に反省をしなければならないかたちで重い負荷となって戻ってくる時がいつかあるのだろう。

昨年、世界で一番注目を集めた言葉として、オックスフォード大学出版局の辞典部門は「post-truth(ポスト真実)」を選んだという。その意味は、「世論の形成において、客観的真実が感情や個人的な信念への訴えかけよりも影響力に欠けている状況、またはそれに関連した状況を表す言葉」と定義されているそうだ。

つまり我々の感覚でいえば、事実、真実でなくても、世論うけした言葉を発して支持を集める、あるいは偽りで世論誘導するというぐらいの理解でよいのだろうか。「ポスト真実」は、イギリスのEU離脱や米大統領選などでの現象をとくにとらえてのことのようだが、似たような現象は現世界に多くあるし、実は過去の世界にも多くあったのではないか。

「ポスト真実」の言葉で考える世界の歴史。その代表的な現象は、世界の現代史に深く刻まれる政治による国民の大量虐殺を為した、あるいは現在も為している事例であり、もう1つは外国への侵略によって他国民を虐殺した戦争の歴史であろう。政治の偽りはやがて強権(弾圧法)とセットされ、究極の行き着く先は反対者への殺戮として歴史に刻まれた。

「ポスト真実」、このこととの関連で考えさせられた著書がある。もちろん「ポスト真実」という言葉などまだ流行でない平成21年に著された書だが、それは昨年文庫版として再び世に出た東大教授・加藤陽子氏の著書「それでも、日本人は「戦争」を選んだ(新潮社発行)」である。

著者の加藤氏は、文庫版の前に著した「もとの本(朝日出版社刊)」のおわりで記述した言葉を文庫版のあとがきでも引き次のように記している。一部を太字で引用してみたい。
もとの本の「おわりに」で、私はおおよそ次のようなことを書いています。いわく、私たちは、現在の社会状況に対して判断を下すとき、あるいは未来を予想するとき、無意識に過去の事例を思い出し、それとの対比を行っています。その際、そこで想起され対比される歴史的な事例をどれだけ豊かに頭のなかに蓄積できているか、これが決定的に重要です、と。今の時点から振り返ってみても、この「おわり」に記した認識に基本的に変わりはありません。むしろ、日本という国が歩んできた過去の歴史、また国と国とがぶつかり合った戦争の歴史を、中高などの年齢が若い世代、中高年などの気持ちが若い世代に、ますます広く知ってもらう必要があると感じるようになりました。真実を知らねば、です。

 

集落を見下ろして

村商工会の新春懇談会。会を構成する方々には、初代の経営者とともに、二代目、三代目の方々が幾人かおられます。あるものを継ぐ、とくにそれが経営という場合には、初代とはまたちがった並でない苦労というものがあることを、村の外のいろいろなところでうかがうことがあります。

若手経営者のみなさんはこれからの村づくりのカナメとなる方々。彼ら自身が先代と同じようにあらゆる研鑽を積まれ、いまの時代にふさわしい経営開拓と発展を成し遂げてほしい、行政の側面からもできる限りの支援策をひきつづきとらねばと、そんなことを思いながらひとときを過ごしました。

懇談会では若手落語家によるお噺が恒例になっていて、今年は6代桂文枝師匠門下の桂三河さんが登場です。やがて、笑点とかに出るような大成を願いながら、若さいっぱいの噺をお聴きしました。落語、漫才、コント、表現方法はそれぞれちがっても、人の喜怒哀楽を趣多彩な笑いでつつみこみ表現します。なかでも一人で演ずる落語は、これは聴き手を引き込むにはほんとにあらゆる芸の技がもとめられるものと聴く度につくづく思います。

実は、演じて語るということでは演説もそれに通ずるところがあります。そのはしくれで語るつとめを時々している我々ですが、聴く方々の心に留まる語りというのは、なかなかできないものです。ある弁護士の方が、法廷での弁論で「よくできたと思うことは、めったにない」ということをお聞きしたことがあります。どんな世界でも、自分が納得のゆく語り、聴き手の共感をよぶ語りとは、むずかしいもののようです。

▼きのうは、朝のうちの天気が比較的おだやか。運動がてら、向かいの山の高見まで上がり集落を見下ろしました。ここからの景色をながめるのが好きで、冬と春はよく上がります。

こうして冬の集落の一部を見下ろすと、屋根の雪下ろしをする家と、自然落雪方式の家の区別が一目瞭然。雪下ろしをしなくてよい家が年々増えているのがよくわかります。近年は、軒先だけに特殊なトタン屋根を葺き、そこに弱い電流を流して雪を溶かし雪下ろしゼロという方法も普及しているようです。道路沿いや住宅密集地など落雪方式が無理な屋根での新しい雪下ろしゼロ方式こそ、究極の屋根雪対策となるかもしれません。

上がり始め、そばに小鳥が飛んできて止まりました。人をそんなに恐れないようです。小鳥としてはめずらしくシベリア方面から渡ってきたジョウビタキでしょうか。帰りには、カケスがなにものかに襲われ、いまいま食べられた跡が。肉も内蔵も骨も何もなし、残っているのは嘴のついた頭とあの羽だけ。飛ぶ速度の遅いカケスは天敵たちの格好の狙われ相手。おそらく何かの猛禽類に襲われたのでしょう。

 

寒中に新芽

水挿しのタラノメがようやく食べられるようになりました。

昨年初冬に杉造林地の中から採ってきて居間に置きひと月余。自然のままでは春5月になる頃と同じ暖かさが部屋のなかで積み重ねられたのでしょう、軟らかな緑がいっせいに出てきました。

タラノメといえばやはりテンプラ。一足早く新芽をごちそうになり、やや単調な冬のくらしにちょっとのアクセントを添えてもらいます。

今日は、今年初の農業委員会総会。対象農家10戸3㌶近い農地について、中間管理機構を通じて農業法人へ貸し付けする利用集積計画が主な案件です。午後には商工会の新春懇談会にご案内をいただいております。

雪国では水利がカナメ

国道や旧国道沿いでありながら流雪溝が整備されない地区が、我が家から西側などをふくめ村内にはいくつかの箇所であります。そのかわりに排雪で大きな役割を果たすのが、わが集落ではそばにある小川。

そこまでの雪運びを担うのはトラクターで、我が家のトラクターは、たんぼで動くよりもはるかに多い時間を冬にはたらきます。

流雪溝や流量の豊富な水路そば、あるいは排雪好条件の恩恵にあずかれない家々の多くでは、このようになんらかの除雪機械(トラクター、ローダーなど)を持たなければ車社会となった村の冬を越せません。こうした機械は、新品を求めるとなればウン百万円を要します。

見方を変えれば、流雪溝を利用されている方々はそれだけ大きな負担を流雪溝(公)に肩代わりしていただいているということになります。金額換算にしたら膨大な除雪費用を担っている流雪溝はほんとにありがたいもの。それだけに、村の防災無線でも留意が呼びかけられていますが、とくにこれからの寒中、マナーをまもった利用にはよくよく心がけてほしいものです。

さて、もうひとつ我が家の雪消しで大きな役割を果たすのはエド(池)。鯉を放つ2つのエドは冬には雪消しエドに早変わり。屋根から下ろす雪の3分の1ほどはこのエドの水で解かします。雪国にとって水利の便は生活に欠かせぬもの。毎年2㍍前後の積雪があっても、水さえしっかり保たれていれば冬のうちとりわけ厳しい2ヶ月はしのげるのです。

寒も一休み中に雪下ろしの仕上げ

雪おろし作業のついでに歩いたわがたんぼ脇の高台からのぞむきのうの景色です。

寒気が続き樹木への着雪が落ちずにそのままでしたから、午前中は里山でも、陽光、雪、杉の木がつくる陰と陽、寒の季節特有の雪景色が村いっぱいにひろがりました。

里山でもこうです。一日いっぱい雪をまとわり続け、時折陽射しをあびた県境尾根部などは、遠くからながめても見事な樹木景観がつくられていることがわかります。そこまでリフトで上がれるジュネススキー場なら、こういう時など景色のすばらしさに感嘆の連続でしょう。

たんぼの高台からさらに小山に上がれば、そこには何十年もマミ(アナグマ)かムジナ(タヌキ)たちがくらしている土中の巣穴があります。真冬でも活動するはタヌキ。そして冬眠するというアナグマ。むかしは気温が上がると冬でも狩人に撃たれることがあったアナグマでしたから、この穴にくらすのは果たしてアナグマかタヌキかわからなくなりました。この穴を掘ったのはまちがいなくアナグマですが、もしかしたらタヌキも土中の小部屋のどれかを借りてくらしているのかも。

夏はまだまだたくさんの出入り穴がありますが、冬は、2㍍近い積雪を通して2つの出入り穴だけを利用しているらしく、土の着いた足跡が穴口にはいっぱい。土中にくらしている集団は何匹なのか、こちらの気配を穴の中で覚っていたのか、どれだけの小部屋をつくり棲み分けているのか、冬のタヌキは何を食べて生きているのか、ここに来ればカメラをむけながら毎年同じことを思います。

寒の季節になると、より美しさが増すたんぼ脇のミズナラに生きるヤドリギの実。コーッ、コーッの鳴き声に空を見上げたら、この日も雁の群れが南に向かいます。モノトーンの世界、生きものの極端に少ない冬は、ちょっとした色の変化や生きものたちの動きになぜか敏感になります。