花の焼石、ご来光山行(その4)

まだ早朝のうちだが早くに歩きを開始したのだろう、岩手側からのにぎやかな女性登山者の方々などと次々とすれ違い、秋田側でも集団や単独、ご夫婦、それにいかにも恋人同士らしい雰囲気の方々とも行き会う。

その際、やや遅れて歩いていた若い女性の方とすれ違い、道をゆずろうとしたら木の根に足をとられ四つん這いになってしまった。「たはー、なんでこんな時に」と、この山行3度目の転倒・つまずきに、つい齢65を自覚する一幕も。足が、若い頃のようではないのである。

CIMG5376-1CIMG5379-1CIMG5386-1CIMG5389-1CIMG5391-1CIMG5400-1CIMG5402-1CIMG5404-1CIMG5413-1CIMG5414-1CIMG5420-1CIMG5428-1CIMG5433-1CIMG5437-1CIMG5442-1CIMG5448-1CIMG5449-1CIMG5451-1CIMG5453-1CIMG5455-1CIMG5456-1CIMG5457-1CIMG5459-1CIMG5461-1CIMG5462-1CIMG5463-1CIMG5464-1秋田側では、盛夏の花の名所8合目~9合目で歩を止める方々が多く、ハクサンフウロの群落に「うわー、すてき、きれい」と中年女性の方々が歓声をあげ、カメラをむけていた。
タカネナデシコもぽつぽつ咲き始めている。

DSC_0327-1DSC_0331-1DSC_0334-1DSC_0336-1DSC_0337-1DSC_0349-1焼石沼ではじめてゆっくりと休む。エゾノクサイチゴの熟し始めた実をごちそうになり、サンカヨウの実も口にし、清水に浸けておいたスモモで疲れ気味の体をピリッとさせ直して下る。

駐車場着11時45分。やはり車はいっぱいで、仙台、八戸、高崎、八王子、岩手など県外ナンバーも多かった。車で下がる途中林内をのぞくとマタタビの花が盛り。花びらを下向きにして日陰に咲く姿は可憐そのもの。歌や句を詠む方々がこんな場面に接したら、いい作がうまれそうな花である。

CIMG5555-1CIMG5556-1▼きのうは、美郷町、羽後町、東成瀬村の県南3ヶ町村議会議員連絡協議会の研修会と情報交換会が美郷町でおこなわれた。

研修会には、県の誘致企業として旧千畑町に拠点をおき、今では本社も合併後の美郷町に移転、自身も家族とともに秋田に居を構えている(株)斉藤光学製作所の社長、斉藤伸英氏を講師に招き、「戦略」という演題で社の経営哲学と、会社経営だけにとどまらない氏の考える組織と人間のあるべき姿、生き方で、示唆に富む講話を拝聴した。とりわけ、若い世代への早めの事業承継の大事さは、会社経営の範疇をこえ、政治や諸々の事例にもあてはまる、そんな含みを感ずるお話で、これは議員各位の胸にひびいたのではないか。

春の改選で構成が新しくなった羽後町議会のみなさんとも、一同に集うのははじめてで、研修会、情報交換会とも、新鮮な雰囲気が漂うひとときとなった。新鮮、とりわけ若いというのはいいもの。

研修会でも、テーブルを囲む席でも、多忙なところ時間を割いていただいた斉藤社長さん、松田町長さん、そして準備と運営にご足労をおかけした美郷町議会のみなさんには、ここからもあらためてお礼申し上げます。

花の焼石、ご来光山行(その3)

暗闇ののぼりなので、往きは花などほとんど楽しめない。が、その分、下りは、花、花、花に見とれる山歩きとなった。

CIMG5254-1CIMG5266-1CIMG5277-1CIMG5280-1CIMG5281-1CIMG5289-1CIMG5297-1CIMG5299-1CIMG5302-1CIMG5303-1CIMG5306-1CIMG5310-1CIMG5311-1CIMG5318-1CIMG5324-1CIMG5326-1CIMG5327-1CIMG5329-1CIMG5332-1CIMG5334-1CIMG5338-1CIMG5339-1CIMG5342-1CIMG5349-1CIMG5361-1CIMG5364-1CIMG5370-1CIMG5374-1ただ、焼石を知る方ならわかることだが、真夏の花ステージとしては花盛りにはもう1週間ほどというところであった。それでも、雪田や雪渓が遅くまで残る豪雪の花の山は、夏の花に混じって春や初夏の花(ハクサンイチゲがまだつぼみもあり、リュウキンカも残る)が同居咲きしているからまずは小満足。

横岳ルート、姥石平ルート、東焼石・夏油ルート、南本内岳ルート、それにわが村側ルートと、せっかく来たのだからすべてのルート途中にある花名所まで足をのばしたいのだが、どうも足が重い。無念だが、今回は横岳方面にだけは上がり、姥石平を過ぎ9合目経由で焼石沼に下りた。

CIMG5553-1▼きのうは県町村電算システム協同組合議会の定例議会、終わって町村長と町村議会議長合同の政策研究会と意見交換会に出席。

議会は、電算システム改修費約4600万円余の増額補正、27年度一般会計決算(歳入総額約8億8980万円余、歳出総額約8億8615万円余)を審議、可決・認定した。

CIMG5554-1研究会では、(株)あきた森の宅配便代表取締役の栗山奈津子氏の講演をお聴きした。氏は、山菜を軸にした予約制の宅配便を主に首都圏のみなさんへ届ける事業を起こした方。地域資源を活かす、何よりも「やる気」がカギであることにみなさんうなずかれていた。

花の焼石岳ご来光山行(その2)

DSC_0018-1DSC_0022-1DSC_0032-1DSC_0039-1DSC_0047-1DSC_0073-1DSC_0075-1DSC_0076-1DSC_0100-1DSC_0109-1DSC_0110-1DSC_0112-1DSC_0119-1DSC_0130-1DSC_0138-1DSC_0156-1日はまだ昇らぬものの、東に日の出予兆の光がとくに強い部分がある。そこは早池峰らしい山の少し右側あたり。ここから真っ赤な太陽がのぼるはず。カメラを据えた足下のミネウスユキソウが、夜露のしずくと月光に照らされて美しい。

西からは上弦の月、東からは日の出前の薄い太陽光を受け、2つの光線が反射しあう雲海は地球の自転にあわせて刻一刻、1秒ごとに輝きの様子を変える。はじめおだやかだった雲海も所々に雲の波が生じてきた。風と光のつくる芸術だ。目が雲の海と太陽光の強い一点に釘づけとなる。

日の出までに夜の景色を堪能できたので時間はあっという間に過ぎ、いよいよ予定の日の出時刻。光線の強いところに二本の光が輝き、「おっ、出るぞ」と心と手をカメラに構えた瞬間、たちまちのうちに太陽は顔を出し、勢いよく昇り始めた。時刻は4時32分。

「日の出は、シャッターチャンスの時間が少ないから」とよく言われるが、ほんとにそのとおり。ドキドキして、まごまごしていて、それにいつものように写真の技はないと思っているこちらなので、肝心の写真は、現物の日の出に申し訳ないようなものしか撮れない。それを承知で、日の出前、日の出の瞬間、日の出過ぎの雲海と、シャッターを押し続けた。

日の出の瞬間は欲張って動画にもおさめ、タゲのすず(焼石の清水)とともに妻へのお土産に。

DSC_0181-1DSC_0184-1DSC_0186-1DSC_0189-1DSC_0203-1DSC_0212-1DSC_0216-1DSC_0218-1DSC_0226-1DSC_0234-1オホーツク海高気圧による冷気がつくる雲が太平洋側に厚く張り、地形の特徴からその冷気が奥羽山脈をこえて流れ込もうとする秋田と岩手、あるいは郡境の雲の様子がこの日は眼下によく確かめられた。この冷気が強すぎると、大飢饉をおこした太平洋側だけでなく秋田側にもそれが流れ込み山間の村は大冷害となった過去をもつ。たなびき、流れる雲は、美しさだけでなく、悲惨な人間社会の歴史を想う雲でもある。

焼石の頂上にこれだけ長く滞在したのは久しぶりのこと。夜露と早朝の陽射しに輝く頂上の花々をながめたり、栗駒、鳥海山や遠くに月山までのぞみ、陽射しと雲海に輝く岩手山や北上山地の山々も目に刻みのこし、下山開始が6時少し前。

今回は横岳方面に足を伸ばしてから姥石平をまわる予定で、岩手側にまずは下る。横岳分岐で「名古屋から来た」という高齢の方と初めてすれ違い「おはよう」の挨拶。山頂そばで、「おはよう」も久しぶりのこと。

花の焼石岳ご来光山行(その1)

むかし、まだ焼石岳にあがべご(日本短角牛)が自然放牧されていた頃、8合目焼石沼に牛の監視小屋(初代の小屋はずっと手前の清水そば。沼のそばは二代目の小屋)があった。

小学生当時もふくめ、テントなどもたない我々はよく子供たちだけで、あるいは家族連れでこの小屋に泊めていただいた。焼石岳頂上で、岩手、秋田側両市町村の親善登山行事がしばらく行われていたが、この監視人小屋がなくなったのはそれよりまだ前。小屋がある頃には、この行事に参加する村役場職員や近隣自治体の関係の方々が前夜の泊りなどでテント代わりにも小屋はよく利用された。

監視人小屋は、いつ、だれでも、泊りを許してくれるいわば無料の山小屋のようであったので、監視人さんはご迷惑(もしかしたら、話し相手がいて、登山者とお酒を飲み交わしたり、ごちそうのときは歓迎だったかな?)だったろうが、文無しの我々は気軽に泊まれることができてよかった。今のようにキャンプ用の炊事器具やインスタント食材の豊富な時ではなかったから、煮炊きできる薪ストーブがあるのも助かり、こちらも30年ほど前まではこの小屋で友人たちと子供を含む家族連れで煮炊きを楽しんだこともある。

8合目に小屋があるから夜道でも気楽に向かえ、昔は夕方から、あるいは深夜にもよく焼石をめざした。泊りだけでなく、天気の急変などでは避難小屋の役割もここは果たし、若い頃の山行きではそういう体験もいくつかある。

と、そういうことで、前書きが長くなった。つまり、「監視人小屋があったので、昔は、焼石頂上からのご来光を拝むことが簡単にできた」ということをいいたくて、ついつい脇道にそれた。実は、焼石頂上でのご来光拝みは、記憶に残っているのでは50年近くほど前しかない。久しぶりにと先年、山好きの女性らをお誘いして向かったが、あいにくの雨天、曇天でのぞみはかなわなかった。

行事なしの休日、オホーツク海高気圧が張り出し太平洋側は曇り、日本海側は快晴、こんなまたとない機会が急にやってきた22日、「今晩、たげ(岳)さいぐ」と妻に告げ、夜11時半に家を出発。今回は単独行。駐車場からの歩き始めは11時50分。林がないところでは上弦からの月光が強く、星のまばたきも薄くなるほどだが、電灯に頼り黙々歩く。

クマ避けに時々ホーホーと声をあげ、ラジオを聴きながら焼石沼到着が2時少し前。それから9合目に向かったら風があり、風があるのに草木が濡れているので雨具を着ける。沼に波がたつほどの風だ。汗をかいたがそのまま頂上に向かう。

9合目焼石神社を過ぎての岩わたりの夜道歩きは視野が狭く、ちょうど足も疲れがピークになる頃で危ない。こんなことは初めてだが、岩の道で2度も転んだ。幸い穴にも落ちず、足をくじいたりもしなかったが、膝と手を強打し痛む。こんな無様もはじめてだが、とにかく油断は禁物と教えられた。

休みなしで頂上到着は23日午前2時半。奥羽の峰を境に横手盆地は晴れで町の灯が見え、胆沢平野はすべて雲の下。ねがってもない夜景の中、風に耐えて日の出を待つ。

日の出の予定時刻は、秋田の新聞で4時半。日の出までの時間があり、手袋をかけなければ手がかじかむほどに風も吹く。体をあたためようと少し駆け足したり、風下に寄って妻が準備してくれた熱いコーヒーを飲んだり、お月様と星空を眺めたり。

DSC_1125-1DSC_1129-1DSC_0002-1DSC_0007-1DSC_0009-1DSC_0013-1日の出はまだだが、雲海が月光に照らされて太平洋側は夜の雲の海がずーと眼下にひろがる。雲の上から顔を出しているのは左に和賀山塊や岩手山、岩手山とならびで向き合っているように見える北上産地側に高い頂の峰が連なっているのでこれは早池峰山か。そのはるか右側・南の遠くにやはり頂を見せる山がある。これは太平洋沿岸部側にある五葉山かな。月光が雲海に反射して、まだ日の出前に、こんな景色が見られるのはなんとうれしいこと。

水道施設請負契約議案などで臨時会議

議会事務局提供
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村議会の7月臨時会議を22日に開催、秋田栗駒リゾート(株)の平成27年度経営状況報告、簡易水道更新施設の請負契約案件3件、国保診療所会計の補正予算1件を審議。原案どおりの可決とされました。

リゾート(株)の27年度総売上高は4億240万357円。内訳はスキー場約4235万円、須川温泉の栗駒山荘約1億8684万円、ホテルブラン約1億2342万円、パークゴルフ場約522万円、堆肥化施設約28万9千円、受託収入4212万円。

営業外収益が主に雑収入などで1500万円。

販売費一般管理費が約3億935万円となり、税引き後の当期純利益は約1792万円の黒字で、累積の純利益は約△7682万円へと減額されました。費用の中で最も大きいのはもちろん従業員給与で、約1億3561万円となっています。

議会事務局提供
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議会後には、村の食肉加工センターの運営などについて、指定管理者の(株)羽後の國ファーム側から当局と議会合同で若干の報告を受ける時間がとられました。センターの稼働は始まったばかりですが、議員側からは、雇用の安定した確保が計画どおり進むようにという期待・要望の声があらためて会社側へ寄せられました。

請負契約案件は、いずれも大字椿川地区に建設されている簡易水道更新工事の施設で、今回は施設の要とされる膜ろ過処理設備工事が1億2744万円で仙台の理水化学株式会社へ、高区配水池築造工事が7700万4千円で岩野・大橋特定共同企業体へ、低区配水池築造工事(作業用道路工事も含む)が1億119万6千円で横手水道・鈴木建設特定共同企業体と契約するものです。

▼議会を終えた22日・金曜日は、午後に週末の所用で村内をかけ回り、夜11時半に自宅を出て焼石岳に向かいました。天気や気圧配置(太平洋側に雲海がたなびく気圧)、行事予定をみて、「ご来光と花を拝むなら、この日しかない」と急きょ判断しての山行です。

花は夏真っ盛りのステージにはもう一週間ほど必要という具合でしたが、それでもハクサンフウロやタカネツリガネニンジン、トウゲブキ、ミヤマリンドウ、ミネウスユキソウ、キンコウカ、クルマユリ、それに初夏の花のハクサンイチゲやコメツツジ、ハクサンシャクナゲ、ウサギギクが、遅咲きの花名所では盛夏の花と同居咲きしています。

CIMG5137-1CIMG5148-1CIMG5162-1CIMG5178-1CIMG5182-1CIMG5189-1CIMG5229-1CIMG5230-1CIMG5262-1CIMG5263-1ご来光は、念願かなって雲海から昇る景色を拝むことができました。雲の海からの日の出を拝んだのは富士山頂で以来のこと。岩手山、早池峰、それに五葉山でしょうか、頂を雲の上にみせる奥羽や北上の山々、朝日はずっと北寄りの早池峰山と思われる頂のやや南側に顔を見せました。後に、息をのむほどに心が躍ったご来光の様子を記したいと思います。

2本目のトンネル工事安全祈願祭へ

議会事務局提供
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成瀬ダム国道付替2号トンネル工事の安全祈願祭がきのうおこなわれ、議員一同ご案内をいただき出席しました。

平成30年11月の竣工をめざし、冬期間もふくめ交替制による24時間フル稼働の作業が続けられます。

2号トンネルが完成すれば、残雪のあるゴールデンウィーク時の栗駒山・須川温泉地区への交通がさらに安全便利となります。加えて、2号トンネルより先の落雪対策などがさらに完全なものとなれば、坂を上がり終えた国定公園地区はほとんど平坦な道路ですから、冬季閉鎖の早期解除が加速できると思われます。

あの狐狼化坂さえ危険無く上がれたら、やがては、雪上車運行などによる須川温泉の冬期間営業も検討に値するのではないかと、こちらは以前から考えています。「冬期は荒天続きで営業はむずかしい」という判断はすでにしめされてはいますが。

全員協議会(議会事務局提供)
全員協議会(議会事務局提供)
全員協議会(議会事務局提供)
全員協議会(議会事務局提供)

午後は、今日予定されている村議会臨時会議のための議会運営委員会が開かれ、その後に開かれた全員協議会では、議案説明や秋田栗駒リゾート(株)の経営状況報告、水道事業やダム事業関連、教育事業の当面する状況説明などがおこなわれました。

国道397号整備促進期成同盟会の総会

CIMG5124-1CIMG5127-1CIMG5119-1CIMG5129-1きのうは奥州市役所で国道397号線の整備促進期成同盟会の総会があり出席。副村長、産業建設常任委員長、建設課長とともに、397号線を往復した。

秋田側から出席の方々には前日の342号線の会議と同じ顔ぶれの方もおられ、「つづけて、ごくろうさまです」のあいさつ。

三陸の陸前高田市や大船渡市も会の一員で、会長職を担っていただいている奥州市や、北上山地の住田町など、国道が縁でつながることになった市町村同士ではあるが、東日本大震災時の支援などもあり、前日の会議と同じく「連帯して目的達成を」が湧きでてくる総会でもある。

会議では、国道342号と397号を結ぶ山間道路、栗駒焼石ほっとラインについて、岩手県県南広域振興局が発行したリーフレットが配られ、会長から紹介されるという一幕もあった。いずれの道路も、栗駒山、焼石岳、須川温泉、世界遺産・平泉、そして秋田県南の観光ルートと結び合う路線であり、ここでもゴールデンウィーク前の冬季閉鎖早期解除など周遊の効果をより高めるための要望もかかげられた。

帰り、胆沢ダムそばにある焼石クアパークひめかゆで昼食をとった。この温泉宿泊施設はダム建設にともなう国道の付け替えがあり国道の本線からはなれた。だが平日でも宮城ナンバーもふくめ駐車場に車は案外多く、われわれは食堂に入っただけだが、館内もにぎやかそうだった。財布のヒモを堅くしなければ暮らせないご時世なので、とりわけそういうときには観光産業は厳しい。が、評判のよい温泉もふくめ、この施設は誘客にそうとう努力されているのだろう、そんな雰囲気を外見からは感じた。

写真は、あいさつを述べられる会長の小沢昌記奥州市長と、ほっとライン紹介リーフの一部。沿道にある胆沢ダム。わがたんぼ脇に咲くツリガネニンジンの仲間。

栗駒観光、平泉世界遺産とかかわる国道342号

CIMG5117-1CIMG5115-1国道342号線の整備促進同盟会できのうは一関市へでかけました。

横手市からわが村を縦断し岩手県一関市を経て宮城県登米市につながる342号は、栗駒国定公園や世界遺産の平泉などをふくむ周遊観光、産業振興、生活・救急救命道路として重要な路線。東日本大震災時の支援やその後の復興においても大きな役割を果たしている道路です。

わが村側としては、一部の拡幅やカーブ箇所などの改良がおこなわれていますが、ひきつづき奥羽山脈部分の冬季閉鎖区間についてゴールデンウィーク前に早期通行できるようにすることが要望の主眼です。

あわせて、この国道について同じように大きな念願は、岩手側の真湯から須川温泉間にある車両同士の交差(とくに大型バス同士)に苦労する箇所の拡幅改良で、これは、栗駒登山や須川温泉地区を経由する周遊観光客を増やすうえでわれわれは欠かせぬ解決課題ととらえてきました。

須川温泉を訪れる関連3県の方々やほかの県外のみなさん、観光業者さんからは「岩手側の国道も、宮城(国道398号)や秋田側のように早く拡げてくれれば」という声が今も多く寄せられます。観光シーズン真っ盛りの渋滞時などに通行された方なら、その思いをなおさら強くもっておられるでしょう。

観光は周遊の時代です。観光立国をかかげていて、この貴重な観光資源をもつ地域だけに、道路利用者の切実なねがいとして岩手県真湯~須川温泉間の抜本改良の声も、これからはうんと強めてゆかねばと感じました。(最初の写真は来賓挨拶を述べられる高田一郎岩手県議)

助け合い、奉仕の大切さを知る大会2つ

16日は社会福祉大会、17日は消防訓練大会にそれぞれ出席。

いずれも村人の安心・安全なくらしをささえる大事な活動をしている組織の大会です。私たち人間の社会は、ひろくとらえれば、奉仕、助け合いの心で成り立っていることを考え合うこの日はよい機会。

寿命80年をこえ、人は病気にもなるし、高齢でくらす年数も長くなり、「社会的な弱者」といわれる立場におかれて生活する確率も高くなります。そんな時代ですから、福祉とは、社会的弱者のために税がもっとも有効活用されている政治のしくみとも考えることができるのでしょうか。

国家も、県も、村も、すべて政治は税金で運営されていて、その税金はいわば「最大の助け合い、奉仕」の結晶のひとつともいえるものでしょう。時あたかも、医療、介護、年金などで、制度の今後をどうするかの国の審議会がはじまります。

社会の助け合いのかたちは、自助、共助、公助と、わかりやすく大きくわけられています。福祉の一番のカナメ、どこからみても、誰がみても、「これは必要だ」という公助の一線を後退させない、充実させるために、とくに助け合いの大元締めである国政に私たちは敏感でありつづけたいと思います。あわせて福祉と奉仕の心につらぬかれて活動する2つの団体が、3つの助け合いの輪のひろがりにいっそう力強く貢献されるよう期待したいものです。

CIMG5086-1CIMG5090-1CIMG5097-1CIMG5099-1消防の訓練大会はあいにくの雨。やや冷たげな風もあり、テントの中にいて雨合羽を着けてちょうどよいほどの空模様。途中少しの天気様子見もありましたが大会は続行。いつものように気概あふれる技が整然と披露されました。すべて「基本に忠実に」が訓練の最大のカギでしょうが、それぞれの分団、班の個性ある技と表情、動きも、観させていただく側としては魅力があるものです。とくに個性に私はいつも注目です。みなさん雨のなかご苦労様でした。

規模拡大だけでなく、光る中小規模経営にも視点を

10頭いたかどうかというほどの乳牛を飼い、ごく普通規模のたんぼをつくり、それで立派に生計をたてていたUさん(故人)という農家が横手盆地におられた。

若い頃、わたしはよくこの家におうかがいした。世の中が「大規模、大規模、とにかく大規模経営」へと農業の規模拡大をあおる時に、広大な牧場や草地があるわけでもない平場で妻と二人酪農を営んだUさん。

小さな規模で長い間立派に経営を確立していたUさんのはたらく姿を目にして、そして時には、いかにも農業人らしい骨太の手でお茶を飲みながら談笑する姿をみて、これが日本農業のあるべき姿なんだ、篤農家とはこういう方を指すのだと教えられたことを今も思い出す。

もちろん酪農家だから、みなさんが出稼ぎにむかった時もUさんは農業からの収入だけでがんばり、こつこつとしたはたらきで自宅の新築もかなえた。

世間は広いから、Uさんと同じように小、中規模でも専業農家として人々から尊敬されている農業人はほかにもおられるだろう。そんなに規模の大きな経営でなくても「農業で食べれる」という証をしめしてくれている全国のこういう方々から、国も、地方ももっと学ぶべきと思う。

日本農業の発展方向は規模拡大だけにあるのではなく、秀でた技と経営能力をもてば、まずまずの暮らしをささえる収入が確保できるような家族経営の道もこのようにある。中には専業と肩をならべるような優れた兼業農家もいる。それを実証している農家を紹介しながら、必ずしも大規模ではないながら希望を灯し続けている中小の農を育て支援するのも国政や地方政治の大きな仕事ではないだろうか。

TPPを軸に規模拡大にあまりに傾むこうとしている国の農政。集落を維持するという特徴をもつ「日本農業の進むべき道」は、そんな機械論だけでない、わが国らしい独自の方向を政治がもたねばとこの頃とくに思い、小農でも頑張っておられたUさんの生き方をふりかえった。

そういう素晴らしい中小の篤農家とは天と地ほどの差があるこちら。ただ、先達が拓いた農地を耕し続けねば、活用しなければと「農の根性」だけはなんとかなくしたくないと今はふんばっているところ。「米なば、買って、食ったほう、ずっとええ」との流れが加速し、そのとおりだということをわかっていながら、「経済だけで、割り切れるものでねぇ」と、3度目の畦草刈りに例年よりやや早めにとりかかったこちらも小農のはしくれ。CIMG5078-1

▼作業を終えたら、栗や栃の葉などを食べる大毛虫が、一本の木を食べ尽くしたのか移動中。蚕より一回り大きな虫で、図体が大きいだけに、さすが被害をもたらす規模も大きい。CIMG5081-1